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仕事ラストディ


今日は7年間続けた仕事のラストの日

自分で選択したこととはいえ
いよいよ今日なのかと
数日前から
少しだけそわそわしていた

いつものように
お弁当と水筒をバッグに入れ

私物の持ち帰りのための袋は入れてある

職場の方に渡す品物を
持参して家を出る


職場では最後ということで
気遣った仕事内容にしていただいたり

最後ということで
お別れの時間を作っていただいたりした

保育士なので
担任クラスの子どもたちの顔を見ていると
感情的になりそうになる

そこは、あえて
淡々として保育をした
(少しだけスキンシップ多め・・)

何だかわからないが
子どもたちがいつも以上に
ワタシの周りに集まってくる
(ように感じられ)
嬉し悲しい感覚になった

夕方のお迎え時
保護者の方おひとりお一人の
感謝の気持ちの言葉

感謝されることに照れくさかったり
ありがたい気持ちだったり
それ以上に子どもたちとの別れを
寂しいと出せなかったり

何とも複雑な
言い表せない気分になった

事務室にいると

「りぼん先生、いますか?」

とワタシに
わざわざ声をかけてくださる保護者の方が・・


3年前に担任をさせていただいた子と
その親御さんである

その子は年長さんになっていて
もう少しで卒園である

時間を巻き戻して
懐かしいエピソードを話したりした

わざわざご挨拶の声をかけてくださったこと
それ自体がありがたい気持ちになる

書類のチェック
荷物のチェック

書類は未完成の物があり
処理しようとしていると
「もう、いいよ。やっておくから」と
周りにいた職員に言われる

最後の最後まで
周りに甘えさせていただいた

職場のカギを提出して
職場を後にする


雨の日も風の日も雪の日も
毎日自転車で通った職場

もう来ることはない
と思うと

寂しいような
悲しいような

何とも言えない気持ちになる

一方でどこかで
ピリオドを打てたことに
誇らしい気持ちにもなる

帰宅して
いただいた物に目を通してみる


一番嬉しかったのは
保護者の方からのお手紙であった

内容の一部としては

\
最初は泣いて私から離れずにいた子
次第に泣かなくなり
りぼん先生の顔を見ると嬉しそうに
駆けていくようになる
お迎え時のりぼん先生が話す
わが子のエピソードが
子育てに不安だらけの自分にとって
どれだけ励みになったことか
わが子が
どれほどりぼん先生を好きなのか
伝わってきます
/

私がしてきたこと
受け取ってもらえていたという

保育社冥利につきる
どんなものにも勝る宝物である

もう二度とこの子どもたちを
保育することはない

だからこその
温かいメッセージ

数年後
どんな子どもになるんだろうか

子どもたちの成長の大事な一歩に
携わることができたこと
誇りに感じる

遅咲きの正規保育士
できないことばかりの56歳スタート

スキルも経験もなくて
周りから教わるしかない日々だった


自分にあるものは
意欲と体力のみ

子どもが好きで
子どもの可能性は無限大で
伸ばすことが自分の使命だと
無我夢中で仕事をしてきた

ピュアな子どもたちの感情表現は
いい意味で露骨で
その子にとっての
自分の存在が如実に表れる

泣かれてもいい
泣かれなくなるまで

その子が持っているスイッチボタンを
探りながら
毎日、関わる

すると、ある時、変化が出てくる

何がよかったのかは
子ども本人すらわからない
周りもよくわからない

ただ、子ども一人一人が
「ワタシ」のことをいいと思ってくれた

それだけである

そういうことを目指して
毎日、関わらせていただいた

私はやっぱり
この仕事が好き

一つのことに
終止符を打ち
振り返ることで
終わりにした日

ひとつの節目の日

2024年3月

61歳の私


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