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車椅子ダンサー・MIHOの「二度目のガンになりました。で、それが、なにか!?」

~#18(最終話)ここまで出来るように・・・~

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「なんで周りの人間は、そんな小さいことに、悩んでいるの!?
そんなことで・・・ウルサいねん!と、内心は思っています」

2021年の1月24日、このコラムは、この言葉からスタートしました。
この言葉を発したのは、この物語のヒロインで、元車椅子ダンスの日本チャンピオンMIHOさん。彼女は、誕生してから5ヶ月後に脊髄の神経内に腫瘍、すなわち小児ガンが発見され、腫瘍そのものは手術によって無事摘出されましたが、その後遺症で下肢に麻痺が残り、さらに背骨が湾曲する側湾症を患ったため、生まれてこの方、ずっと車椅子生活を余儀なくされています。
そんな彼女は、このコラム開始当時、こう嘆いていました。

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「なんで自分ばっかりやねん!と、めちゃくちゃ思いますね。周りのみんなが、お気楽に見えて、腹の立つ日も増えた、と思いますね」

『なんで自分ばっかりやねん!』と言うのは、2020年の5月に腎細胞ガンが発見され、リンパ節までも侵していると言う、いわゆるステージ3レベルで、結局、手術で、彼女は腎臓の片方を失ったからです。彼女は、二度目のガンに襲われたのです。その手術から半年が無事経過し、当初は、その二度目のガンの手術の後の“落ち着いた日々”を面白おかしく紹介していくつもりでした。しかし・・・

「腰やら、足やらが、もう痛すぎて、痛すぎて・・・一日、耐えて、耐えての毎日です」

これは、このコラムを開始してから3か月後の第10話でご紹介したMIHOさんの声です。この時点では、彼女の側弯症の影響による痛みだと思っていました。けれど、それは違っていたのです。

「二週間半ですかね、入院していたのは」

2021年6月の第11話の冒頭のMIHOさんの声。そして、こう続きました。

「先生(医師)たちは、『異常に早い』ばっかり言うて、私にしたら、そんなこと“知らんがな(怒)” と言う感じでしたよ」

実は、手術で、その患部を摘出出来たと思っていた二度目のガンが、早くも再発したのです。そんなことなど全く想定していなかったボクは、大いに驚き困惑しました。
さらに、第12話では、MIHOさんは、こう明らかにしました。

「手術は難しいと言われました。手術をすると、逆に悪くなる可能性があると。多分、神経をいじるからやと思いますけど。じゃぁ、放射線治療かと思っていると、放射線も難しいと。と言うのも、私の背骨が曲がっているからなのか、放射線を、直接患部に当てることが出来ない場所らしいんです。どうしても腸に当たってしまうって。だから、それも止めといた方が良いとなって。」

このコメントを聞いて、ボクはさらに驚きました。浮かんだ言葉は“手詰まり”。最悪の事態も浮かびます。MIHOさんは、こう続けました。

「結局、化学療法となって、さらに化学療法の中にも何種類かあるそうですが、その中で考えられた結果が、免疫チェックポイント阻害剤治療なんです」

そうなんです。いわゆる「オプジーボ」を使った治療が、始まったんです。

「3週間に一回点滴治療を受けます。入院中に一回受けて、退院後も一回受けました。まずは、計四回続けて、その四回が終わった時点で、そのまま続けるのか、治療方法を変えるのか、見極めるそうです」

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この11話のコラムを書き上げ、アップした直後にMIHOさんからこう連絡が入りました。

「治療が一旦中止された」

それは、肝臓の数値が跳ね上がったからです。そう、心配された副作用が出たのです。えっ、唯一の希望、唯一助かる道だったオプジーボも中断された。これは実に深刻な事態かと。
しかし、MIHOさんは、こう笑って話しました。

「去年、手術をする時に、先生からは『手術によって腸閉塞を起こすかもしれません』『感染症を起こすかもしれません』と色々説明されました。で、結果、両方起こしました。(笑)でも、軽度でした。今回も『副作用が出る可能性は低い。ただ副作用が出た時に、肝臓の数値がめちゃくちゃ上がる人がいる』と言われ、私もへぇって答えていたら、やっぱり今回も出て来た。でも、その数値も上がりすぎず、ギリギリのラインで止まる。私、ホンマにギリギリ女なんです(笑)」

確かに、そうだったのです。去年8月の第14話では・・・

「確かに6月15日が3回目の投薬の日だったんですが、肝臓の数値が悪化していたことから一旦中止に。その後、3日おきぐらいに肝臓の注射治療を計3回受けに行ってました。その都度、血液検査をして『ちょっと下がってるな、ちょっと下がってきているなと』と言う感じで。そして、7月6日の血液検査では『完全に数値は戻っている』と言われ、さらにCT検査も受けて、その結果を見ると先生曰く『やっぱり、かなり効いている。投薬が二回にしては、かなり効いている。リンパ節のところなどは、かなり大きかったのが、もうあまり分らないぐらいになっている』って。それで、再び、7月27日に、オプジーボの投薬を受けました」

その後は、副作用も出ず、治療は継続され、ボクもホッとはしたんですが、ご本人はこう考えていたのです。

「何ていうか、また、崖から突き落とされたみたいなことになったらどうしよう?っていうのがやっぱりあって。だから、今の状況は嬉しいけど、喜んでいいのかわからない。確かに、お薬は効いているから、喜んでいいんだろうと思うし、やりたいことを今やった方がいいやろうけど、調子に乗って、やりたいことやってて、またド~ンと来たらどうしようって・・・もうなんか、ごっちゃになってます」

この“ごっちゃになっています”と言う言葉は、今も記憶に残っています。
さらに、去年末にアップした第17話では・・・

「私、まだ持ってるじゃないですか・・・心の底に不安は抱えているんで。治ったわけじゃないんで。」

がん患者の方々の心情がよく分かる言葉です。
その後、このコラムはアップしていませんでした。と言うのも、「ダンスに久しぶりに挑戦する」と言うメッセージがMIHOさんから届いたので、その機会を待っていたからです。しかし、このコロナ禍で、その機会は一旦白紙に。また暫くはそうした機会は訪れないのかと諦めかけていたところ、
3月3日のひな祭りの日に、とある小学校でダンスを披露する、と言う一報が。その様子が、冒頭の一枚であり、次の写真たちなのです。

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その公演の後、MIHOさんからこんなメッセージが届きました。

「ダンスは約2年ぶり、美咲ちゃんとは2年半ぶりに踊ることが出来て、癌が分かって再発が分かって、どんどんもう踊れる日は来ないんじゃないかなって思って、そう思えば思うほど踊りたくて、昔の身体に戻りたくてたまらなかったですが、こうしてまた踊る事が出来て、昔に比べると苦しい振り付けも多いんですが、なんとか形になる姿でまた踊る事が出来て本当に嬉しかったです。そしてすごく楽しく踊れました。まだまだ身体に不安を抱えているので、いつまで踊れる分からないですが、分からないからこそ出来ることを大切にダンスのある生活を少しでも長く過ごしていきたいと思いました!今、生きているんだ!!と感じれる1日になりました!」

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今、生きている!
それは、ボクも、あなたも!
一日一日を、大切にしていきたいですね。
MIHOさん、これからもお元気に!引き続き、頑張って下さい。
・・・と言う言葉で締めくくって、このコラムは一旦「お休み」に入らせていただきます。
ここまで、お読みいただき、本当にありがとうございました。(了)

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