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「おうちごはんgrin」畑知子さん(2023.12.01 OA)

「出でよ!ジャンヌダルク!!~女性経営者が未来を変える~」。
(毎月第一金曜日・午後7時~)https://www.be-happy789.com/
毎回、創業間もない女性経営者にゲストとしてご登場していただき、
何故、起業し、そして、今後、何をして行きたいのかを、お好きな曲とともに根掘り葉掘りお聞きしていきます。
12月のゲストは、「おうちごはんgrin」の畑知子さんです。

(写真真ん中:畑知子さん)

畑さんとMCの西田さんが手にしておられるのが、畑さんが作ったお弁当。
そう!畑さんの事業はお弁当屋さんなのです。

どうですか?美味しそうでしょう!
ボクらも本番中(笑)に試食しましたが、いわゆる家庭の味、お袋の味と言った感じです。どこに店舗を構えているかと言うと大阪府吹田市の住宅街!
店舗の前で、畑さんにポーズをとってもらいました。

(大阪府吹田市山田東)

畑さんは、1976年に、その大阪府吹田市で生まれ、その後もずっと吹田市在住。小さい頃は人見知りだったと言うことですが、小学生からバレーボールを始め、高校はそのバレーボールで進学したと言うことですから、なかなかの腕前だったようです。高校卒業後には金融業界に就職され、24歳で結婚。その2年後には長女が誕生し、さらにその2年半後には長男の伸之介君が誕生するんですが、その伸之介君に、実にたちの悪い脳のガン・脳腫瘍が見つかります。生検をしようと針をチョンと突き立てるだけで、血が止まらなくなると言うものでした。

(当時の伸之介君)

しかし、医療関係者の皆さんの懸命な治療により、なんとか一命はとりとめるんですが、母親である畑さんは、この間、いわゆる“付き添い入院”を長らく経験することになるのです。付き添い入院とは、子どもが入院した際、家族も病院に泊まり込んで世話をすること。そうした入院のを“付き添い入院”と呼びます。ある調査によりますと付き添い入院において就寝時は「子どもと同じベッドに寝る」あるいは「簡易ベッドに寝る」と言う人が実に9割。(この簡易ベッドは寝返りがうてないくらい狭い)さらに、食事は病院内のコンビニや売店で済ますと言う人の割合が6割5分と言うことですから、1日、2日はいいでしょうが、その入院が1週間、2週間、あるいは臓器移植を待つ移植待機患者のように何か月も、さらに1年を超えてとなるとそれは
相当辛い。畑さんも、当時をこう振り返ります。

「1年間の入院を計3回しました。その間、困るのは食事をとるタイミングがないことです。子どもが一歳、二歳であれば常に『お母さん!お母さん!』ですし、実際、我が子には、点滴が繋がれているわけですから、この点滴が抜けないか心配ですし、なかなか目が離せないのです。そこで、結局食事は朝昼晩とコンビニで、カップラーメン、菓子パン、おむすびなどばかりでしたね」

そう、この経験が、畑さんの事業のもう一つの柱になったのです。
その事業とは何か?それは、畑さんが経験した“付き添い入院”を今しておられるお母さんたちにお弁当を届けると言う宅配サービスです。
それも、店頭で販売する価格より低い金額で、と言うことですから、ビジネスと言うよりは社会貢献の一環と言ってよいと思います。
では、なぜそうしたことを始めたのか?
そこには畑さんの辛い経験があったからです。
長男の伸之介君が無事退院された後の10年近くは、平穏な日々を過ごされ、
3番目のお子さんも授かります。畑さんも、基本、主婦業に専念され、近所の韓国料理店にパートに行く程度だったんですが、2016年の8月に思わぬ事態が起きます。夫にすい臓がんが見つかったのです。さらに、その一か月後には、長男の伸之介君に骨肉腫が発症します。
そして・・・夫は、その年の12月に亡くなられ、一方、長男の伸之介君も
左腕の切断を余儀なくされたのです。
酷だとは分かりつつも、その当時の感情を畑さんにお聞きしました。
 
「主人がいない中、障害の残る伸之介だけでなく、さらに二人の子どもたちを抱えて、どうやって生活をしていこうかな、どうしよう?って感じでしたね」
 
しかし、その数か月後となる2017年の7月に、パート先である韓国料理店を間借りし、「おうちごはんgrin」を開業されることになるのです。
何故、そうした時期に開業されたのか?畑さんを突き動かしたものとは何だったのか?そこには、長男の伸之介君が最初に入院した時に体験したあるエピソードからずっと抱いていた想いがあったのです。
番組ではその瞬間を切り取って、次のようにラジオドラマ風にお伝えいたしました。
 
「持ってきたでぇ!」
そう言って、知子が長男・伸之介君の付き添い入院をする病室に訪れたのは
知子のお友達。
「家にネギと卵しかなかったので」
と、手にはタッパーに入った「チャーハン」を持っていました。
知子は言います。

「味は覚えていません。しかし、涙が止まらなかったことは覚えています。
 多分、このチャーハンは、涙の味しかしていなかったと思います。
 自分のことを心配してくれている人がいる。
 その時は本当に嬉しかったんです」
この思いを、知子は、片時も忘れたことはありませんでした。
しかし・・・
 
立て続けに不幸な出来事が起こった最中で、それが、どうして起業にまで
結び付いたのでしょうか?知子はこう振り返ります。
「長男の伸之介は脳腫瘍の影響で右半身に麻痺が残り、
 左腕が利き腕になりました。にもかかわらず、骨肉腫の治療でその左腕を
 切除することに。しかし、彼は、決して辛そうな顔を見せませんでした。
 私にとっては夫ですが、彼にとっては父親を亡くしたにもかかわらず、
 悲しいそぶりを見せなかった。
 そうすれば、私が、家族が、さらに落ち込んでしまう、と思ったから
 でしょう。であれば、私も、何かしなければと心に決めたのです」

 
病室にまで届ける相手は、最初はたったの一人。
後は知子の友人たちが、買ってくれる程度でしたが、その後、本当に本当に長い時間をかけ、注文を一つ一つと受けていき、さらに、間借り状態から自前の店舗を構え、店頭販売も手掛けるようになります。
そして、さらなる不幸も乗り越えて、病院で付き添い入院をせざるをえないお母さんたちに、笑顔を届けるジャンヌダルクとなったのです。

 
このドラマ部分を聞き終わった後、その「涙の味のチャーハン」について、畑さんは、スタジオでこうおっしゃいました。

「もちろん今も覚えています。こう言ってはなんですが“砂の味”でした。
でも、そこに込められた友達の想いは伝わってくるし、美味しいと言うの
は伝わってくるんです。ただ、私には“砂の味”としか感じられなかったん
です。けれど、本当にホッとしました」

このチャーハンが、畑さんの起業のキッカケだったのです。
しかし、ドラマの中で「さらなる不幸も乗り越えて」とお伝えしたように
実はその後も不幸が続いたのです。
去年の6月に長男の伸之介さんが、別のガンでお亡くなりになられました。脊椎のガンでした。享年17歳でした。

(伸之介君と畑さん)

けれど、この間もスタッフの皆さんの頑張りによりお店は営業。もしこの間に閉めていたら二度と開けることは出来なかっただろうと畑さんは振り返ります。一方、畑さんは、この間、病院で、自分のお店のお弁当を「食べる側」となったんですが・・・
 
「美味しかったです。めちゃくちゃ美味しいと思ったのと、やっぱりお弁当には思いが入るんだと言うことを再確認しました。」
 
そして今、お弁当を店頭で買い求める人も、また配送先も、病院にクリニックや福祉施設など徐々にではありますが増えていると言います。
さらに今後は、こんな展望を描いておられるのです。
 
「付き添い入院をしておられるお母さんのためになることをやり続けていたいんです。入院中に一時的でもいいので、ゆっくり出来るところ、例えばシャワーだけでも浴びることが出来る、一瞬だけでも昼寝が出来る、そんな“お母さんたちの逃げ場”と言うか、そんなお母さんのためのシェアハウスのようなものを作りたいと思っています。」
 
素晴らしい構想!しかし、思わずこう聞きました。
その資金を集める手段はもうお考えなのですか?と。
さて、その畑さんの答えは??
 
「どうやって集めればいいんでしょうね?」
 
スタジオ大爆笑!
もし、良き物件情報をお持ちの方や、「寄付してもいいよ」と言う方は「おうちごはんgrin」で検索し、インスタなどにご連絡してあげて下さい。
 
さぁ、そんな畑さんが番組最後にリクエストした曲は、ゆずの「スマイル」でした。畑さんはこう言います。
 
「子どもたちがただ笑っているだけで、私はとっても大きな力をもらっています。そんな思いが込められた歌だと思い、この曲を聞くたびに、元気をもらっています」
 
そうそう、このお店の名前「グリン」についての説明がまだでした。
「グリン/grin」とは「歯を見せて笑う」こと。
様々な悲しみを乗り越え、明るく笑う畑さんから、こちらも大きな力をもらったOAでした。畑さん、本当にありがとうございました。引き続き頑張って下さい。

(移植待機者・家族のためのお祭り「THANKS FOR LIFE2023」に参加する畑さん
/@フォトスタジオNプラス)

さて、次回は、どんなゲストが、どんなお話しをお聞かせくれるのか?
皆様!!お楽しみに!(*^_^*)

【参考】
https://www.instagram.com/omoi_wo_todoketai/


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