車椅子ダンサー・MIHOの 「二度目のガンになりました。で、それが、なにか!?」

~ #5 せな、分からへんやん!~

「もうそこしかなかったわけで、あんまり乗り気じゃなく行ったんです」

そう語りだしたのが、この物語のヒロインで、元車椅子ダンスの日本チャンピオンMIHOさんです。MIHOさんは、高校を卒業したら社会に出て働くつもりでした。しかし、当時は、高卒で、かつ、車椅子を使わなければならない身体障害者にとっては、就職先を探すのは至難の業。実際、MIHOさんを雇おうとする企業は、結局出て来ませんでした。
確かに今のMIHOさんを見れば、企業側の採用担当者さんは、なんと見る目がない!と言えるかもしれませんが、当時のMIHOさんは、そやなかった。ただただ自信のない、人見知りの子でしたから、致し方なかったかも。就活の夢破れたMIHOさんは、元々大学に行く気など全くなかったことから、渋々受験したのが、いわゆる「職リハ」「職業リハビリテーションセンター」だったのです。皆さんはご存知ですか、この「職リハ」? MIHOさんの場合は、パソコンの基本的なワード、エクセルから、簿記や情報処理関係、さらにイラストレーターやフォトショップを使ったデザイン関係の勉強を、毎日毎日、朝から夕方まで学んでいたと言うことですから、まぁ、普通の学校のようなものかと思われますが、実はそやありません。MIHOさんが通っていた職リハのホームページには、こう書かれています。
「障がいのある方々が職業知識や技能を修得し、職業人として社会参加できるよう支援すします」と。
そう、生徒は、障害のある方ばかり。コースも「身体障がいのある方」「知的障がいのある方」「精神障がいのある方」「発達障がいのある方」と分かれています。当時を振り返ってMIHOさんはこう言います。

「まったく乗り気じゃなかったです。おじさんばっかりで。まぁ、18歳の私からすれば、皆、ほぼ年上ばっかりだったわけですけど、実際、一回り程度上の人が多かったと思います。また、ほぼほぼ男の人で、半分以上が男の人やったんちゃうかな。それだけに、余計に乗り気じゃなかった。さらに“障害者”って括られることにも、違和感はありましたね。確かに、全員、障害者やったわけやけど」

シャボン玉とMIHO

前回も申し上げましたが、MIHOさんは、学生時代、ほぼ全く車椅子の人に会ったことなどなかった。自分のことは別にして、車椅子の人を見るのは「テレビの世界の中だけのこと」と思っていた。それが、ここでは、クラスにいる20人足らずの生徒の半数近くが車椅子利用者やったわけで、「あの人も車椅子や」「こんなに車椅子の人がいるんや」となって、そんな彼らと話しをすると、そこはもう必然的に・・・

「めちゃくちゃ話しが合うんですよね。えっ?どんな話しですかって・・・例えば、車椅子のタイヤって、あ~だ、こ~だだとか、車椅子メーカーが、あ~だ、こ~だだとか。それまでは、誰もそんな話しなんてしないし、また、誰もわかんないじゃないですか」

た、た、確かに。学生時代、誰も車椅子のタイヤの話しなんかしませんわな。分からへんし。
さらに、MIHOさんは、当時を振り返りながら、こう語ったのです。

「車椅子を使うようになった理由もみんな様々で、仕事中に“上”から落ちて、だとか、心臓病で、心臓に穴が開いて生まれてきてみたいなこととか、色々な話を聞いて、凄く刺激的と言うか、それまでの学生生活では一切聞かなかったことばかりで」

で、反対にMIHOさんも自分の障がいのことを、これまでには無く、気楽に話せたと言うわけやね。

「そうです。そうすると『小児ガンやったんか?二分脊椎症(生まれながらにして脊椎の形成不全があり、また同時に脊髄の機能を伴う先天疾患のひとつ)かと思ったわ』みたいな専門的な言葉も飛び交って、本当に、これまでにない会話が出来るようになったんです」

確かに当初は、渋々、嫌々通っていたリハビリテーションセンターですが、MIHOさんにとっては大きな転機の場となったのです。楽しく会話が出来ただけでなく、初めて出会った車椅子の仲間たちが、実にアクティブに、例えばドライブに行くであるとか、スキーに行くであるとか、ダイビングに行くであるとか、それまでMIHOさんが想像もしていなかった活動をしていることに大いに驚き、そして、あることに気付くのです。

「両足とも不自由な人が、そこまで出来ている。確かに私は、左足は全く力が入らない。右足だって、上に引き上げる筋力はない。けれど、体重を乗せて立つことは出来る。ケンケンは出来る。私、片足は動くやん。自分って、めちゃ動けるやん!と分かったんです」

まさに180度の価値観の転換が、ここで起きたのです。

「それまでは、これも出来ない、あれも出来ないと思っていたのが、いや、出来るやん!となって、一つ出来ると、あれも出来る、これも出来る、あれもやろうとなったんです。さらに、それまで出来ないと思ってたものが、“それも出来る”“ あれも出来る”と言う情報が仲間たちからもたらされて、じゃぁ、それなら、やりたい!やりたい!となって、ますます出来るものが増えるようになったんです」

18歳の頃のMIHO

(写真:18歳の頃のMIHOさん)

学生時代は、あれもこれも友達に頼らないと出来ないと思っていた自信の無いMIHOさんが、このリハビリテーションセンターに通うようになってからは、反対に「あれも出来るんじゃないか」「これも出来るんじゃないか」と言うような自信溢れるMIHOさんに変身したのです。MIHOさんは、こうした経験を、学校講演で、こんな風に語るそうです。

「何でも挑戦しよう!と言います。せな、分からんやん!と。やりたいと思ってやったことでも、結果が出ないこともある。一方で、やりたくないと思って、仕方なしにやったことでも、やってよかったって思えることってある。私は、実際、こんだけ嫌々学校に行ってたけど、得たものは非常に多い!何でも、全部やらんと、分からへんよ!って」

はい!心に刻みました。金言ありがとうございました。(つづく)

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