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令和のかみなりおやじ

衝撃の出来事

先日の夜、自転車で道を走行していたら、「このやろ~!!!あぶねーじゃねーか!!!」とおじさんに(おじいさんかもしれない)ものすごい勢いで怒鳴られました。

怖かった。すごく怖かった。ぶん殴られるんじゃないかと思った。しばらく追いかけてきたので、「やだーー!!」と叫びながら夢中で逃げました。とにかく、すごく怖かったのです。ほんとに。

やっと平常心を取り戻しこの記事を書いています。

私はよく、ボーッとしてたり漂うように歩く時があるのですが今回もそんな感じだったのかもしれません。自転車だったので、歩いていた人はほんとに怖かったのかもしれません。本当にごめんなさい。

ここにきて少しばかり気持ちが落ち着いてきました。これはどういう意味があるのだろう。もしかしたら、あまりにも私があまりにもフワフワしていて、神様が「少し落ち着け」とかみなりを落としたのかもしれない…。そう考えるようになりました。そして、「なぜ自分は今また書きたいと思ったのだろう」とほんとのほんとの気持ちを掘り下げてみたくなりました。うゎ~となった反動なのか。なんか急に感覚が地下へ伸びてゆくような気持ちです。

もともと幼い頃から本を読むことは大好きで、書く事にも興味を持っていました。読書感想文なんかでもよく賞をもらったりしていました。次はどんな表現を使おうかとか、そういった奇をてらうような気持ちで文章を作っていました。小説みたいに話を作る事も好きだったと思います。でも今思うとそこに自分の気持ちは乗っかっていたのかな?と思うのです。これは今でも覚えているのですが、何かの作文で「道ばたの水仙が今日もおはようと私に挨拶をしていました」というような表現をした事があるのですが、実際水仙におはようって言われたと感じた事はなかったんです。水仙が、そういえば道に咲いていてなんとなく印象には残っていたのかもしれませんが。とにかく表現に対して貪欲な子供だったと思います。

成績も問題なく優等生タイプの人間でした。授業中に普通に先生の話を聞いていれば、それなりにいい点数が取れました。小学生まではどちらかというと勉強が楽しかったのです。それが中学生二年生くらいでだんだんと自分の中の「勉強なんか嫌だなー」という気持ちが大きくなり、高校生で授業中の先生の言葉が全く耳に入ってこなくなりました。

学校の成績が良かったので、未来に対しての選択肢はいくらでもあるような気がしていました。それが成績が悪くなった事で、どんどん自分にも自信がなくなり、まわりにただ流されるような毎日を過ごしていたように思います。「いるのかいないのかわからない」と言われたり。「もっと存在感だして」とか。自分をどういう風に表現をしたら良いのか、どんな風に自分を出したら良いのかわからなくなっていたのかもしれません。まわりとの接し方が全く掴めなくて、頭の中はネガティブな思いでいっぱいでした。まわりが軽やかに楽しそうに会話をしてるのが羨ましくて仕方がありませんでした。つねに消化出来ない気持ちを抱えていたように思います。

それでも人に恵まれていた部分もあったかもしれません。「いるだけでなんか和む」とか「落ち着く」という言い方をしてくれた人もいました。その数少ない友達と、よく手紙のやりとりをしていたのですが、「よくそんなに書く事があるね」と言われた事があります。自分の頭の中のよくわからない感情だったりを、文章にする方が思いを綴りやすいタイプだったのかもしれません。

その後、東京の芸術文化を専攻出来る短期大学に、運良く合格する事が出来ました。なにか趣味で創作活動をしているわけでもなく、「自分を表現したい!」という明るい展望があったわけではないのですが、なんとなく「表現」に対する憧れがあったのかもしれません。

そんな中、突然先生があるレポートを誉めてくれたんです。それはオペラに関するレポートだったのですが「俺は感動した!」と私の目を真っ直ぐ見てくれました。なんだか久しぶりに誉められてとても嬉しかったんです。多分それまでは何も期待されてなかったし、いつも胡散臭そうな目で見られていたような気がします。期待してなかったからこそ、意外な気持ちだったのかもしれませんが、ほんとうにほんとうに嬉しかった。いるのかいないのか分からない自分がはじめて「います!」と表に出られた気持ちでした。自分の思いが伝わるってこんなに嬉しい事なんだなって思いました。そして自分を認めてくれたことがやはり嬉しかったのです。

今のところ「なぜ書きたいのか?」に関してはここまでまとまりました。まだまだ表現しきれてない部分や伝えたい事は沢山あるのですが、それはまた次の機会に書こうと思います。

私はよく感情的になってしまう事が多いのですが、こうして文章にしてみると冷静になれる事も多いような気がします。長い間の、のらりくらり癖が尾をひいて「なぜ?」「どうして?」と自分の感覚、ひっかかったものを大事にすることを忘れかけていたのかもしれません。もしかしたら、令和のかみなりおやじは自分自身だったのかもしれませんね。「わしじゃ~!!!(怒)」といきなりプッチンと切れてしまう前に、とにかく今後も書き続けていこうと思います。







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