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関西からやってきたもう1人の侍 "谷佳知"


すっかり冷え込み年の瀬を感じるこの頃
国内ストーブリーグも一段落したが、個人的に嬉しかったニュースは立岡宗一郎残留…は置いといて、亀井善行の年俸1億円到達だ。
今季はスタメン・代打、右翼・左翼問わずフル稼働。
2年連続で規定打席に到達しリーグ優勝の立役者の1人となった。もっと年俸上げてもいいと思うくらい今季はチーム事情に合わせて起用に応え、阿部慎之助と共にベテランの勝負強さを見せた
ベテランが機能しているチームは強いと再認識したシーズンだった。
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もう1人の侍

話は遡り2006年オフ
球団ワーストの5年連続V逸は避けようと、巨人軍は大型補強に乗り出した。

その目玉だったのは、前年のパ・リーグMVPである北の侍 小笠原道大だ。(横浜からFAで門倉健も獲得)
日本ハムで首位打者と最多安打を2回、本塁打王、打点王、最高出塁率に5度のベストナインと6度のゴールデングラブ賞と、打ってよし守ってよしのまさにパ・リーグを代表するスター選手は、その期待通り、巨人移籍1年目に.313 31本塁打 88打点 OPS.902 という活躍で2年連続のMVPに輝いた。(リーグを跨いでの2年連続MVPはプロ野球史上初の快挙)

チームも5年振りのリーグ優勝を果たした訳だが、そのリーグ優勝を語る上で欠かせない選手がいる。
同年、小笠原と共にパ・リーグから移籍してきた谷佳知である。


大学〜社会人そしてプロへ

谷はプロ入り前から華々かしいキャリアを歩んできている。
大阪商業大学時代は3年秋に関西6大学リーグ三冠王でMVPと通算3度のベストナインに輝けば、
社会人時代には1995年の都市対抗野球で若獅子賞を受賞、同年のアトランタ五輪予選ではMVPにも輝き、翌年アトランタ五輪の野球日本代表として銀メダルを獲得。同年ドラフト2位でオリックス(当時のオリックス・ブルーウェーブ)に入団した。

プロでもその輝かしい人生は影を見せず1年目から101試合に出場し着実に一軍での実績を積むと、2年目にはレギュラーに定着。3年目にベストナインを受賞し4年目にはあのイチローと年間を通してクリーンナップを組んだ。5年目の2001年には抜けたイチローの穴を埋めるが如く打ちまくり、自身初の打率3割に2桁本塁打とシーズン52二塁打という日本記録まで樹立。(未だ破られていない記録)

その後も2003年にシドニー五輪柔道金メダリストのヤワラちゃんこと田村亮子さんと結婚しメダリスト夫婦となると、シーズンでも打率.350 21本塁打 92打点、189安打で自身初タイトルを獲得(オリックス・ブルーウェーブ最後のタイトルホルダーともなった。)と、打撃全部門でキャリアハイを更新。翌年2004年のアテネ五輪では自身2枚目のメダル獲得と、既にお腹いっぱいになる程の公私共に幸せで理想的なプロ野球人生を送っていた。

しかし2005年に腰の故障、2006年に肘の故障で2年連続で不本意な成績に終わるとそのオフあっさりトレードに出されてしまった。


巨人軍入り

小笠原の影に隠れがちだが、当時のパ・リーグを代表する巧打者の加入は2007年巨人軍の大きな戦力上積みとなる。

年俸は半額の1億5000万円ながら背番号は憧れの原監督の現役時代に着けていた「8」を背負うと、開幕から1番高橋由伸に続き3番小笠原4番李承燁へと繋がる重量打線の2番打者としてキャリアハイの141試合に出場。
3年ぶりの3割2桁本塁打2桁盗塁をクリアし復活。特に打率.318は小笠原、高橋由らを凌いで当時の巨人軍チームトップという打ちっぷりで過去の故障の影響を感じさせない活躍で見事チームをリーグ優勝に導いた。

2008年はヤクルトから移籍のA.ラミレス、当時26歳の亀井義行の台頭などで起用法が流動的になり、スタメン起用の数も減った。

翌2009年以降もスタメン、代打と起用法は確立されなかったが、打率.331 得点圏打率は4割超と各起用法に応えてみせた。


盟友の死を力に

グラウンドでは寡黙な男で滅多に笑顔も見せない、職人気質のまさに侍の様な男の谷佳知だが、その谷にとって悲しい出来事が起こる。
盟友 木村拓也の急死だ。

同級生で家族ぐるみで付き合っており、常に励ましあってプロの世界を生き抜いてきた盟友の死を受け入れる事は簡単ではなかっただろう。

ファンの我々も気持ちの整理がつかない状態で行われた2010年4月24日 東京ドームでの木村拓也の追悼試合。
ここで我々は谷の底力 精神力の強さを目の当たりにすることになる。

1点ビハインドの8回裏、1死満塁のチャンスで代打に送られたのは谷。それまで打率.188と不振に喘いでいた谷だったが、見事な代打逆転満塁ホームランを放ってみせたのだ。
自身初のグランドスラムは亡き盟友への最高のプレゼントとなった。

この試合後のヒーローインタビューで見せた男泣きに自然と私も涙腺が緩んだのを思い出す。


晩年

その後はポジション争いが一層激しくなり代打起用が主となる。それでも勝負所での一打やいぶし銀の輝きは見せた。2012年にはレギュラーメンバーの不振などもありスタメンに返り咲く試合も増え日本一に貢献。39歳でも変わらず変動的な起用に応えてみせた。
守りの何でも屋が木村拓也ならば、打撃の何でも屋は俺だと言わんばかりに。

2014年からは古巣オリックスに復帰し現役を引退した。

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前年MVPの丸佳浩の加入、5年振りのリーグ優勝等、2007年と通ずる部分も多かった2019年シーズン。
個人的に期待していたのは、谷と同じオリックスから移籍の右の巧打者 中島宏之だ。
スタメンでも代打でもなんでもこなし、ここぞで1本が打てるいぶし銀の選手はチームに必要だと思う。
今季は残念ながら不本意な成績に終わったが、幸い来季契約も締結された。思う存分暴れて欲しいものだ。

阿部慎之助が引退し、若手が台頭しフレッシュな面々が増えた巨人軍。
亀井ひとりにベテラン枠を任せるのは酷だ。
谷もその負担を大道典嘉や石井義人らと分け合ったように。

来季は、今季達成できなかった日本一の瞬間、グラウンド上では影の立役者と称えられるベテラン選手が居て欲しいものだ。

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