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銀行最後の日とそれから最悪の出来事・・・(その3)

その場にいた私は、やめていったものに対し、なぜこのようなことをするのか、本当にやるせない気持ちにはなっていた。

 但し、弁護士は、

「あなたが、どのように思われようが、やったはずだ。どうして認めないんですか?わかっているでしょう。」

 私は、5人に、不正融資の責任を問い詰められており、精神的にも追い詰められていた。

 ところが、不思議なことに、追い詰められればられるほど、燃え上がるのが私であり、また、冷静になるのも私であった。

「回答は、同じです。稟議の決済の中での上司として押印した責任は当然感じています。ただ、私が不正融資を指示したかといえば、そこは覚えていないのです。今は、それしかこたえようがありません。」

すると、コンプライアンス部の坂田さんは、私の目を見て

「わかりました。これ以上はいいです・・・。ご足労ありがとうございました。お帰りになって結構です。」

と、私に言った。

 後ろで、弁護士はチっという感じで、座ったまま、何もしゃべらなかった。

 部屋を出て、エレベーターまで、社員の3人は送ってくれた。静かに歩く中、篠田という私の顔見知りの社員が、小声で

「ご活躍されているのは、わかっています。これからも頑張ってください。」

私は、何にも答えず、お辞儀だけして、そのまま、エレベーターを降りた。

 外に出てようやく解放されて、ほっとすると同時に怒りがわいてきた。入ってからは2時間近くがたっていた。のどもカラカラだった。

 とにかく想定外で、和田次長に騙されてよびだされ、このような仕打ちを受けさせられたのだ。

 私が、もっと利口なら最初の電話で断ってもよかったはずだ。それを、馬鹿正直に、カッコつけてきてしまった。何が悔しいかといえば、小心者の和田次長に馬鹿正直に騙されたことだ。どうしても腹が立ってたまらない気持ちが収まらなかった。

 ただ一つのことは、自分で納得したことはあった。それは、自分が

「覚えていないという回答で通したことだ」

 本当はどうだったかといえば、在職していた時は、部下には、

「上司として責任はとる。だから私のせいにしていいから。」

 と、常々言っていた。その後退職した時に、私は、自分の立場が変わったときにどのように答えるべきか相当悩んだ。

 また、不正融資の処分の時に、まじめにやったと答えたものが、処分され、やってないと答えたものは順調に昇進していると聞いていた。

 退職した段階での答えは決まった。私は、在職していた場合とは違い、もう何を答えても内部のことには口を閉ざすことにした。

 とにかく、自分の責任はかんじることをしているとしても、すでに退職という一番重いものを選択したので、ある程度罰は受けているはずだ。法律違反を犯すことはやってはいない。

 そう自分で自分を納得したのだ。

 だからこそ、この緊急事態でも、自分を見失わず、対応ができたのだろう。

 コロナ禍の現在、ふと銀行員時代のことを思い出すが、だんだん、苦労した嫌な思い出が薄らいでいく自分がいることを、幸せに思うべきかどうか考えている。

 ただ、今まで書いてきたのは、これまでの苦労した銀行時代の記憶を残していきたいのと、誰かに聞いてほしいという気持ちがあったのだと思う。

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