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豊かさと幸せを問い直すスローライフについて

学生の時に受けた講義で、忘れられへん授業がある。大学2年生の時かなぁ。(8年前?9年前?…)芸術学部で手を動かす制作以外の座学は、もっぱら睡眠時間にあてていたわたし。なぜか、あの180分は一睡もせずに聞き入ってた。


【豊かさと幸せを問い直す-スローライフ-】についての講義。


無限の経済成長をしている今の世の中。
どこまで成長をすればいいのか。
全てのものに最先端を求め続ける、今や歯止めの効かない成長になっているが資源は限られていて成長というものは有限なもの。

決して、豊かさ=幸せではない。と。


一例、環境問題。
ひき起こしてしまったと分かりながらなぜ止めないのか?なぜ続けてしまうのか?
もはや、ドラッグだと。とてつもない強い力。
豊かさこそが人間をつまずかせ、人間を滅亡させる。増殖しつづけるガン細胞のように文明はガン化している、とその教授。

所有と過剰から引き算をして“ちょうどいい”にしないといけない。
所有・執着からは〈追い掛けないといけない〉というジレンマが起こり、結果幸せは得れないそうな。


•手放すということ

•贈るということ


このふたつが大事で、今の私たちは所有・過剰から離れないといけない。

速すぎるものは引き算をしスローに。
大きすぎるものは引き算をしてスモールに。
引き算をうまく使い、simpleになること。
引き算に基づいた新しい感覚を手にいれないといけない。
と、メガネにベストのおじさん。

過剰なものは美しくない。と。



その頃の私は、あれもこれも欲しがって、でも周りとは違うと思いたくて、大人なんてダイキライ!みたいな、THE•私イケてる系の若者ってかんじ。

そんなあの頃の私の胸のど真ん中に、どういったことか、直球ドストレートにバチコーン‼︎と入ってきた。何故か、私のこれからのスタイルに、人生に、大切な話を聞いた気がして、無我夢中で持っていたスケジュール帳の白紙のページに、教授の言葉を書き殴った。


その時の直感通り、私は何かある度に、この教授の授業を思い出しては、チョイスをしたり決断をしてきたように思う。


大学卒業後、自分のやりたい事のために22年間生まれ育った大阪を出て、山と海と田んぼしかない田舎町で就職をした。お洒落なカフェや美容院もない、ショッピングができる店も、遊ぶ場所もなければ同年代の友達もいない、そんなところだったが、大阪にないものが全てそこにはあった。

早く仕事が終わった帰り道は、畑からおっちゃんが出てきて野菜を自転車の前カゴいっぱいに入れてくれた。水平線に沈む太陽の位置や花の香りで、季節を感じることができた。最寄り駅の電車は1時間に1本だったが、ガタンゴトンとゆ〜っくりホームに入ってくる2両編成の電車は愛くるしくて好きだった。

田舎暮らしは不便なことが多かったが、それが楽しかった。


不便さを楽しむ。

それもまた、「豊かさ=幸せではない」ということではないかな。身をもって経験した。


引き算をうまく使い、シンプルになること。時に引き算をして“ちょうどいい“にしないといけない。

時に手放す行動は、とても勇気がいることであったりする。痛みを伴うときもある。なかなか癒えない傷になる時だってある。

でも、その痛みを味わうことがなければ、手放さなければ、進むことのできない未来がある。傷もいつかは瘡蓋になって剥がれ落ちる。


要するにシンプルになるのも、大変だったりするんだけどね。


手放すということ、贈るということ、引き算に基づいた新しい感覚を身につけることが、幸せへの鍵なのかもしれない。

豊かさと幸せを問い直す。

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