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友達がどんどん母親になっていくなかで感じること。ハイボールを飲みながらつぶやくだけ


仲のいい女友達のトップ3がこの1年で見事にみんな母親になった。

みんな酒飲みなので、会うたびにお酒を飲み交わしていたが、それもなくなってしまった。

以前は一緒に居酒屋をハシゴしていたが、いまは彼女たちの子どもに会うために私がそれぞれのお家をハシゴしている。


いつもビールを片手にイェーイと写真を撮っていたのが、この前は手土産に持って行ったショートケーキを手に持って写真を撮った。(あまりにも平和すぎて笑った)


ビールジョッキ片手にガハガハと大声で笑っていた友達が、優しい眼差しで子供を見守る、母性に溢れまくった姿になった。


単刀直入に言う。


いま、私はすごく寂しい。


彼女たちと一緒にお酒を飲めなくなって非常に悲しい。(お酒の場という大きなコミュニケーションツールがなくなった)
みんなこども中心の生活となったので、
会話も自然とこども中心になり、
話題のドラマで盛り上がることもなくなり、
毎週みてる番組の5分前になったら見逃さないようにLINEをしあったり(リアルタイムでできるだけ見たい)、なんべんでも繰り返してなんべんでも笑える学生時代のくだらないはなしだったり、
なんでもないはなしを夜中までやり取りしてた。
そんな時間も無くなってきた。
楽しい、嬉しい、悲しい、いろんな感情の共有が以前と比べて変わってきた。
寂しい。寂しいねん。
いや、そりゃそうなんだが。
もういい大人なんだし。
30にもなればそれぞれ生活環境も違う。
なによりお母さんたちは忙しい!!
忙しいんだ!
てかもう結婚してそれぞれ家庭があるわけで。もうオトナだし。わかってる。わかってるねん!わかってるんだけど!!!!!



友達のこどもたちは可愛くて愛おしい。
ふとした瞬間に友達のDNAを感じると尚更可愛い。この可愛いほにゃほにゃとした生き物は、いったいなんやねん?と不思議になるし、人の子を見てこんなに愛しい気持ちを抱くとは思っていなかった。わたしの名前をはやく呼んでほしいし、できれば彼ら彼女たち(子どもたち)とも、友達になりたい。


母親になった彼女たちの姿は尊い。

妊娠、出産を経て、子育てをしている彼女たちには頭があがらない。まじで異次元です。
母性に溢れまくっている彼女たちと一緒にいると、私も彼女たちの母性に包まれるような感覚になる。ともにお酒に溺れていた関係だったが、いまは彼女たちの母性に私が溺れそうになっている。


彼女たちの母性に溺れそうになり、


ふと1人になった瞬間にとても孤独になる。


この対照的な感情に、とっっても疲れる。

いつのまにか心に澱が溜まってしまっている。


彼女たちの幸せなきもち、大変なきもちを、心から分かることが出来ない気がするのもなんだか悲しい。子どもを産んだ事も育てた事もないから、想像でしか分からない。子育てで悩んだり、しんどい時も必ずあるだろう。でも私にはわからないから。立派に母親をしているのを見て、自分の日常のなかでの小言、弱音、悩みを打ち明けることもしづらくなった。こどももおらず、毎日ダラダラと過ごしている私の悩みは小さく思えて言えない。


なかなか自分に子どもが授かれないことに対して、焦りや周りへの羨ましさももちろんある。

でもなんだか今は、その気持ちよりも、とても寂しい。

お母さんになった友達たちが、遠く前を歩いているようで。遠く先を歩く彼女たちの笑顔がみえるが、それはこちらに向けられたものではなく、「ねぇねぇ!こっちにも振り向いて!」と思ってしまうかんじ。



寂しいんだ


これをキッチンで書きながら、わたしはハイボールを飲んでいる。


もう少し時間が経ってから、いつか彼女たちに話せる時がきたら、「こんな風に感じてた時もあった!かまってほしくて私はしゃーなかった!なんだか悲しかったんだ!だから今日はあの頃と同じように一緒に飲めて幸せだ!」と言って、「あほやなぁ〜」と笑ってほしい。
そんな風に彼女たちとゲラゲラ笑いながらハイボールを飲める日を待っている。

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