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その瞬間を楽しむ

最近、趣味で文章を書くことをはじめた。以前にも文章を書いていたことがあったけど、それは長めの”文章”というより、メモみたいなものでした。そのメモみたいなものとは、物事の本質を抽象した短い文章のことで、何か気付いたりわかったりするたびに、パソコンとかケータイに書いて保存するという感じの文章でした。つまり、後からみたときにその内容がわかればそれでいい、という機能性を重視した文章を書いていたということです。それに対して、最近書いたり興味を持ったりする文章は、具体的・個別的なものが多くなってきたと思います。書き手の個人的な出来事が書いてあったり、内容を伝えるための必要最小限から漏れるような具体性のある話のようなもののことです。たとえば、機能性を重視した表し方で「退屈と絶望」と言っていたことを、具体性のある表し方で「立ち止まって話し合う いつだってこうだ まるで流行りさ」(The View ”Dance Into The Night”)という詩で言い表した方が楽しいと思えてきたということです。退屈や絶望といったことをそのまま言うのではなくて、そこから退屈や絶望が感じられる詩のような具体性をもった嘆きみたいなものが、今の自分に響く表現になってきたのです。これはつまり、人生における”無駄”を受け入れることができるようになった、ということなのかな。人生の各場面に対する答えを出すかわりに、人生の各場面の出来事を楽しめばいいじゃないかと思い始めたのかもしれない。「人生の答え」という結果を求めるのではなく、人生の過程をその瞬間ごとに味わっていけばいいじゃないか。最近はそういう風に感じています。そのおかげで新たに読めるようになった文章も増えてきました。
人生は最終到達点を目指す旅ではなくて、その道のりの各瞬間がたくさんの最終到達点なのかな。頭でっかちに答えばかりを探すモードから、その瞬間を楽しむモードに切り替えて、しばらくの間は楽しみながらまったり行こうと思います。この文章ももっと軽いノリで楽しみながら書くつもりだったけど、後半は頭でっかち&暑苦しい感じになっちゃいました。まあ、まったりとその瞬間を楽しんでいきたいと思います。
(そういえば、東京事変の”閃光少女”って、今みてきたようなことを言ってるのかな?)

#エッセイ

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