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ワタシ 半分 部外者 デス

< 退職まで 28 日 >(実質 8 日)

●情シスが不在になるということ

私のようないわゆる「ひとり情シス」がいなくなり、情報システム部門がなくなることについて考えるのは、私の立場でやっていいことではない。

腹案はあれど、もう数日で出社しなくなる身だ。何を言っても無責任にしかならない。求められれば意見は言うし提案もするが、それは私ではない誰かが実行しなければならないものになる。それは、前任者が残す呪いでしかない。

そしてその呪いは次の情シスにとって良い結果をもたらすとは、私は思っていない。

影響を少しでも少なくするために副業と支援ツールで乗り切ろうという話に決まりかけたというのに…急に「この会社の誰それと打ち合わせをして、今後どうするかを決めてくれ」と言われたというのが昨日のお話だ。

「私との契約をキャンセルして、その会社にする方向でいいんですよね」

と確認したみた。そうではない、との答が返ってきた。

「今後の情報システム系の施策についてどうするかがわからないと、私としても打ち合わせはできないんですが…」

と相談すると、つまりは

トップからの紹介なので、顔を潰さないためだけに打ち合わせをしてくれ

ということだけのようだ。そのために時間を使うのか…いやいや、給料をもらっている身であるので、文句はない。ない、のだが。

●退職者の立場

もう半分以上、私は部外者であると思っている。

つまりは、現社の今後のIT戦略について口を挟む立場にはない。

退職者の美学というツイートを見かけた。美学とはなんだ。それは一体、誰が誰のために使う言葉だ。退職者が求められるものは、業務が止まらないように最大限の工夫をすることだけだ。それは時に汚くズルい方法だって取らざるを得ないのだが、そういう行動は、美学派の皆様にはどのように見られるのだろうか。

加えて言えば、この退職間際という局面でもいろいろな可能性を模索してベストの提案をするというのは無責任だ。そうだろう?私じゃない誰かがやるための提案なんて無責任の極みだ。

現職のみんながとりあえずなんとか運用できて、次の情シスが働きやすい土台を作る。

強いて美学というなら、私にとってはこれだけである。それが、望まれていないなら、単なる独り相撲でしかないが。

●残作業

・社長への挨拶
・取締役打ち合わせ
・支援ツールとの契約
・情シス支援サービス会社との打ち合わせ

あとは仁義をきって、情シス業務を運用ベースに乗せることだけである。もうこれ以上、なにか事件が起こらないよう、切に祈るばかりだ。Amen.


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