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人生4回目だと思ったら

「人間に生まれるの何回目?」
友人から出た言葉。

「多分…1回目ではないと思う」
過去の出来事をいくつか思い出しながら、返事をした。

友人も、私が人生1回目ではないことは納得している。
「私は絶対1回目。色んな出来事が起こる度に驚いてる。」
「そうか…。確かに。そう言われてみると私は物事に対してあまり動じないかも。何か起きても『そんなもんか』って思うね。」

「人生何回目?」という考え方を知ってから、私は3〜4回目なんだろうって思えてきた。別の親しい友人は何回目だろうと考えていると、初心者って感じではないけど、慣れている感じでもない。2回目ぐらいかなと思う。
それでは、私は1回目でもなければ、2回目ってわけでもない。やはり3回目かな、いや4回目な気がしてきた。

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最初に思い出したのは、中学生の修学旅行。女子5人のグループで行動していた。そのうち一人が自分勝手な行動をして、他のメンバーは怒り、長い沈黙と一緒に行動していた。なにかのきっかけで、私が自分勝手な行動をした子に話しかけた。他愛もない会話だった。気を遣ったわけではなく、流れのままにそうなっただけで、私にとっては普通の行動だった。
他のメンバーから「よく話しかけられるね?怒ってないの?」と言われて、「別に怒ってない」と答えると「大人だね」と返された。

皆が、その子に怒りを覚えていたことは分かっていたし、だから誰も話しかけないということも気づいていた。だけど、私はその子に苛立ちもしてなければ、話したくないとも思っていない。私は私だし、他の子は他の子。話したくないなら話さなければ良いし、話したいなら話せばいい。それぐらいの考えだった。
「大人だね」という言葉には納得がいかなかったけれど、今振り返ると「冷静だった」ということが分かる。

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来るものは拒まず、離れるものは追わず。この言葉が適していると思うほど、ほとんどの他人に興味がない。大人になって、社会人になって、ようやく自分の冷酷さに気づいた。

友人も恋人も、近づいて来てくれる人とは仲良くなるし、離れて行こうとする人には自然と距離を作っていく。別に未練なんかない。…未練はないと言うのは言い過ぎたけど、未練はすぐに上書きされて消える。

飽きっぽい多趣味な自分。突出した才能はないけど、ある程度のことを満遍なく平均的にできる能力はある。それで学生時代は悩みが尽きなかったけど、社会に出ればそのほうが生きやすいことに気づく。

人生4回目だから、ある程度の経験値はあるみたい。

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いつもどこか他人事みたい。客観的に見てる自分がもう一人いて、「死ぬわけじゃないからこれくらい大丈夫」って。泣くほど辛い経験もしたけど、自分を保つ方法をよく知っていて、いつまでも引きずるわけじゃない。辛い経験も自分の一部だと割り切って生きているみたい。

そんな自分に恐怖を覚えることもある。あんなに辛い経験してるのに、普通に生活してる。笑っていられる。私はどこかおかしいのか?って。精神がタフすぎるのか。

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人生4回目だから。

考え出したら止まらなくなって、文字にしたくて書きました。ただの私の頭の中ぐるぐるしてるものを吐き出しただけです。

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