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シネコン(ほぼひとりごと(2020年12月29日(火)))

(写真は、東京ミッドタウン日比谷にある東宝シネマズ日比谷の案内ボードです)

#東宝シネマズ日比谷 #シネコン #映画館


日比谷映画や、みゆき座など、ロードショー上映館が並んでいた日比谷地区に出来た東京ミッドタウン日比谷。13スクリーンの東宝シネマズ日比谷があります。案内ボードの前を通るだけですが。


シネコンという存在を知ったのは、1988年に松山へ引っ越した時。当時の東京の映画館は、数館が同じビルに入っていることはあっても、今でいうシネコンではなく、独立した存在だったことです。


松山のシネコンは街中に複数あったと思います。確か、一番大きいシネコンだったのは、大街道にあるシネマサンシャイン。ビル内にいくつかのスクリーンがあり、それぞれに違った作品を上映していました。


小さな劇場で上映された作品も、人気が出ると、大きなスクリーンの劇場に引っ越したりと、柔軟な対応をしていました。鬼滅の刃のように、複数のスクリーンでの同時上映は記憶にありませんが。


上映できるスクリーンが多いので、マイナーな作品が上映されることもありました。マイナーな作品を扱っていた、東京からやってきた映画関係の知人のセールスに同行したことがあります。面白い経験でした。


便利なシネコンがあったので、東京にいた時より、映画をよく見ました。ガラガラだったことも多く、一人だけの貸し切り状態だったこともあります。映画館はある程度混んでいないと盛り上がりません。


フィルムではなくなった今と違って、ニューシネマパラダイスのように、映写技師が必要だったころの話です。その後、シネコンはどんどん増殖し、都心の映画館もシネコンになり、独立館が珍しくなりました。

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