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新宿追分(ほぼひとりごと(2020年9月29日(火)))

(写真は、新宿三丁目交差点に面したユニークな形の追分交番。右側奥に追分だんごの看板が見えます)

#新宿追分 #甲州街道 #青梅街道


新宿伊勢丹前、新宿追分は、江戸城の半蔵門から、麹町、四ツ谷、大木戸を通ってきた昔の甲州街道が青梅街道と分岐する場所だそうです。今、交差点の名前は、新宿三丁目になっています。


新宿三丁目交差点は、新宿駅東口から大ガードを通って靖国通り(青梅街道)に合流する新宿通りと、明治通りが交差する場所です。左折して、すぐの交差点を右折すると、陸橋を渡って、甲州街道です。


このあたり、江戸時代は信州の大名、内藤家の領地で、内藤新宿という地名だったということです。新宿御苑は内藤家の庭園、初台には、たぶん、関係があると思いますが、内藤病院があります。


内藤新宿は、甲州道中と言われた甲州街道の最初の宿場町。江戸時代から賑やかな場所だったのでしょう。昔からの地名が追分交番に残っていました。だから、こんなデザインなのかも知れません。


追分交番は、銀座四丁目の交番同様、忙しい交番としてランキングされるのではと思います。写真を撮ったのは、早朝なので、人の姿が見えませんが、クルマも人も賑やかな場所の交番です。


もうひとつ残っている追分が、追分だんご。江戸城を築城した太田道灌が、1455年ころ、高井戸でだんごを食べた柳茶屋がここに引っ越してきたのがルーツだとWikipediaに書いてありました。


幹線道路として整備をされたので、昔の道がどうなっていたのか、片りんもありませんが、新宿三丁目交差点にあった追分交番と追分だんごは、ここは新宿追分だと主張してくれていました。


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