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901と絶叫マシンとの関わり

私は901。今や絶叫マシンの刺激を快楽として享受している。

実は、私がジェットコースターの存在を知るきっかけとなった出来事は幼少期の頃であったものの、実際に乗れるようになったのは中学2年のことであった。一体どういうことなのか。時系列順に説明していこう。


幼少期

絶叫マシンの存在を知ったきっかけは、幼少期に戦隊ショーを見るために東京ドームシティアトラクションズ(TDCA)へよく行っていたことである。

当時埼玉県内に住んでいた私は後楽園駅からTDCAに入り、現在のスプラッシュガーデンゾーンに存在していた「スカイシアター」まで歩いた。そこまでの道中、どうしても目に入ってしまうものがあった。

それが、ラクーアにあるジェットコースター「サンダードルフィン」だ。

サンダードルフィン(左)

ある日、スカイシアターへの道中でそれを見かけた時は、ちょうど車両が上りきってまさに急降下しようとしている瞬間だった。ゆっくりと上っていった車両は、頂上に着いた瞬間速度を上げ、乗っていた人々の悲鳴とともに猛スピードで落ちていったのだ。

サンダードルフィンの車両が急降下する様子(新車両)

急に速度を上げる車両、その車両から聞こえる乗客の悲鳴、そして猛烈な走行音……

…これを見てしまった当時5歳の私は猛烈なショックを受けた。あまりのインパクトでこれがトラウマとして頭に刻まれ、その後約9年間一切絶叫マシン全てに乗ることができなかった。

…もし絶叫マシンに乗れるようになった今の私が当時の私に会えるとしたら、「今感じたその『予感』、大体合ってるよ」って声をかけてあげたいと思ってる(笑)

実際サンダードルフィンは、強烈なコースターなのだから()

それと、ラクーアと道路を隔てた南側にあった「タワーハッカー」も強烈なインパクトだった。人の乗った部分が高いところから猛烈なスピードで落下する様は悲鳴も相まっておぞましかった。こんな恐怖の塊のようなものになぜ人が乗ってしまうのか、当時5歳の私には到底理解できなかった。当然トラウマとして記憶に刻まれた。


小学生時代

小学生の頃、まだ乗れなかったにも関わらず、なぜか絶叫マシンについて調べ出した。なぜ調べ出したかはわからないが、この好奇心はかなり深いところまで進んでいった。調べていく中で、私はコース形状だけでなく、車両の形状、拘束装置の種類、さらには身長制限を示す身長計の形状発車時に流れるベルの音にまで興味を持つようになった。今考えてみると変なところに興味を持っていたと思う(笑)

だが、発車時に流れるベルの音に興味を持ったきっかけは覚えている。それは、2011年、富士急ハイランドに「高飛車」が開業した頃の出来事だ。当時テレビで高飛車が紹介され、その発車シーンが流れた。その際に発車ベルが流れたのだが……

↑この動画の0:40あたりで流れるのが高飛車の発車ベル。

……この発車ベル、私にとっては聞き覚えのあるものだった。

 一体それは何なのだろうか。

↑塩尻駅の発車ベルだ。

どうだ、全く同じ音に聞こえるだろう?

私は年に2回、親族の住む長野へ行く。その際の降車駅になるのが塩尻駅。私は当時鉄道も好きだったこともあり、この発車ベルは聴き馴染みのあるものだった。それがまさか、富士急の絶叫マシンで流れてるとは思わず、大変驚いた。当時私と相容れない存在であったジェットコースターに、ちょっぴり親近感が湧いた。


中学生時代

私の絶叫マシンに対する興味は尽きず、中学2年になってついに乗るようになった。いきなり怖い思いをして一生のトラウマにならないように、比較的激しくないものから徐々に体を慣れさせた。私が最初に乗った絶叫マシンは当時としまえんにあった「ミニサイクロン」であった。案外恐怖を感じなかったので「絶叫マシン、意外といけるかも」と思えるようになった。最終的にこの日は園内の花形であった「サイクロン」にも乗れるようになった。

これ以降、私は関東中の絶叫マシンに乗り回るようになる。

9年前にその姿を見てトラウマになった「サンダードルフィン」にも乗れるようになった。初めて乗った時は急降下時の強烈な浮きにビビったけど(笑)

この年の年末、親に誘われて富士急ハイランドに行った。私にとって初めて富士急の絶叫マシンに挑む日だった。最初に乗った「FUJIYAMA」は平気だったが、その後に乗った「高飛車」には恐怖を感じた。

高飛車

上の画像にあるように、「高飛車」はものすごい角度で落下する、見た目からしてヤバいコースターなのだが、私が実際に恐怖を感じたのはここではない。

私に恐怖を与えたのは高飛車の序盤だ。高飛車はスタートすると暗闇の中を進むのだが、暗闇の中しばらく走ると、不意に来る急降下(現在は急降下を予告する放送が流れるが、乗車当時は流れなかった)、そしてすぐさま宙返り。完全に私の予想を上回る刺激に頭が混乱し、収拾がつかない中すぐさま急加速。ここで暗闇を抜け出し、そしてループの連続という流れだった。私がジェットコースターに乗って本格的に恐怖を感じたのはこれが初めてだろう。発車前にきつく感じた拘束具が降りる頃にはちょうどよく感じるようになる程だ。

高飛車を降りた数分後、かなりの恐怖を感じたのにも関わらず、私の頭にはなぜか「怖かったけど刺激的で楽しかった」という感情が湧き出た。これも確実に、絶叫マシンにハマったきっかけである。


現在

それ以降、趣味の移り変わりや経済的観点から乗らない時期もあったが、このような経験から私は今も絶叫マシンに乗ることを楽しんでいる。特に2年前からは経済的にも余裕が出たことから遠出の機会が増え、生活圏からかなり離れた場所にある絶叫マシンに乗るという悲願を次々と果たし、私の満足度は急激に上昇した。時代の変化により遊園地や絶叫マシンが減少傾向にあるためそろそろ頭打ちを迎えるかという予感も感じ始めているが、少なくとも時代の変化で完全に淘汰されるまでは愛し続けたいと思う。


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