感覚か感情か


世の中にはそれはそれはたくさんの音楽や演劇、ダンスなど芸能があるのですが、こと西洋の古典的音楽を日本で教えていますと時々迷うことがあります。音の並びは7つあるドレミファソラシの音の高低と、音の長さ(休符含む)のつながり方でできるリズム、そして音の組み合わせでできる和音、ハーモニーの3要素でおおむね構成されているのですが、これをあまり楽譜に正確に弾きすぎるとコンピューターで再現しているような感じになります。

実際には人間の手指で鍵盤を操作、触っているのでどんなに正確に弾いているつもりでも誤差は1秒の数十分の一程度はあるのが普通でしょう。このわずかな誤差が弾く人によって違ってくるのでその辺りが「味」や「個性」としてよく捉えられて誰の演奏が好きとか、同じ奏者でもいつどこでの演奏が良いなどと好みをいろいろと話すのが好きな愛好者も出てきたりすると思います。

ただピアノを教えている中で、例えば昔むかしは誰かの作品のソナタやソナチネで大きな音で弾いてとか、小さい音で弾いてという場所を「ここはエネルギッシュに」「ここはダーダダダッって激しく気持ちが湧き出るように弾くところ」とかの言葉を使うような先生のレッスンを聞いたことがあるのですが実際自分で教える、伝えるときにはそういう言葉は使う機会が少ないなと思っています。大きな音で弾くときでも音のつながりや和声の響きが崩れてしまったり、音の鋭さで和音の響きが汚れてしまうほど強く弾く必要性も感じないのであまり鋭くたたかないようにと調節することを気にしてもらうようなコメントをすることが多いかなと思っています。

もちろん、曲のなかの表現、再現をすることが慣れていない人にはたまにわー、とかガーガガーなど、擬音をわざと使って話すことも全くないわけではありませんが、この表現はあくまでも初歩的なことですので毎回はしていないと思います。あまりやりすぎて生徒さんにドン引きされて嫌われても嫌ですからねw

曲を弾くことに必要な要素を伝えるには答えはひとつふたつと限定できないですし、いろいろな年齢、ピアノ歴の方がいるのでいつも勉強ですね。

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