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ピーター・ドイグ展

昨年鑑賞したものをアップしておらず……

そのままなのも気持ち悪いのでアップすることに。

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久々に美術館へ。

自粛が始まってから全く出かけておらず、夏休みもなくストレスが溜まっていたようで、思い立って平日に美術館へ行くことにしました。

まずは何を観るかで悩みました。

この一発目がとっても大事だと何となく思ったので。

で、artscapeでこの作品を見て

「あ、コレ観に行きたい」と思ったのです。

直感を信じなさいというけれど、もう一つの気になっていた展覧会と迷っていました。『バンクシー展』です。

殆ど行く気になっていたので、公式サイトで作品解説を読んでいたのですが…うーん、バンクシーの作品ってその場所に描かれているからこそメッセージ性があるわけで、こうやって解説されて、まとめられてるのってバンクシーの意図と離れてる気がする。

と思いました。これはどちらかと言うとエンターテイメントとしての要素が強いんじゃないのかな?だとしたら今の自分がみたいと思うものとは、少し違う。

それならば、自分の直感を信じてみようと『ピーター・ドイグ展』に行くことにしました。結果は、行ってよかった!です。

私としては初期の作品のほうがより感覚的だと感じたから、そちらの方をじっくりと鑑賞しました。

なんせ、入場が時間制になっていてさらに平日で人が少なかったので何度も行ったり来たりを繰り返して鑑賞出来ました。最高……

普段は人を観ているのか作品を観ているのかわからないくらい人がいますからね。

下の二枚は映画からインスピレーションを受けた作品。

誰もが知っている映画「13日の金曜日」からのイメージを絵画にしたもの。他にも同じ題材の絵画がありました。感じたものをその時その時の印象で描いてみる。自分が感じた映画の印象と違っていたり、そうそうと思ったり。感覚を形にするというのはこういうことなのだろう。と思いつつ鑑賞しました。

鑑賞した映画の印象をこのような形で表現すること、それについて「あちこちオードリー」で又吉直樹さんが面白いことを言っていたので備忘録として。

「 本当に思っている本音を言ったら自分が思うより過剰に伝わる。どういう風な伝え方をすれば自分の思っている感覚に近く伝えられるか?の方がむしろホントだったりする。」

確かに、ズバリそのものを出してしまうとそれ以外に想像する余地もなくなってしまいますよね。

人に想像させる余白を持たせているのが、ピーター・ドイグの魅力ではないのかしら。

下の絵も小津安二郎映画「東京物語」を元に描かれています。なんと、自分の故郷が舞台になった作品がこんな形で更なる作品になるとは……

直感的に選びましたが、なんとなく納得いく感じがしました(笑)

今回の展覧会で目を引いた作品は下の絵でした。

ル・コルビュジエが建てた集合住宅を描いた作品。

私はよく、見たまま・この視線に映ったものをそのまま絵画にできたらな…と思うことがあります。それがなかなか難しいのです。この作品は本当にそれをそのまま再現している作品だと思いました。

構図はどうだ?ここを切り取った意図は?など等。描いているとどうしても目に映っているもの以外が邪魔をして、それさえも描いてしまうのです。

木漏れ日の中にル・コルビュジエの建物がある。

ただそれだけなのに、いや、ただそれだけのものを描くのは本当に凄いことだと思う。
自分の思想とか目の前にかかるフィルターが全て外されたものがそこに描かれる。観ていると、まるで木漏れ日をはじめとするそこに描かれているもの全てを体感しているような感覚に陥る。

目に映るままを描く。

それこそ一番感覚的なことなのではないか?

これは本当に素晴らしいと思い椅子に座って長い時間眺めていました。

行くかどうか悩んでいたバンクシー展。
バンクシーの作品は意図して描かれている。
ピーター・ドイグは感覚で描いている。

今の私には頭を使う作品よりも感覚で受け取れるピーター・ドイグの方がしっくりきました。

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