「音楽は知識がなくても楽しめる」って言うけど私は知識がないせいで邦楽が楽しめなくて悲しいぞ

音楽は知識がなくても「楽しい曲」「悲しい曲」が自然とわかる!音楽に知識はいらない!音楽には言葉がいらない!だから音楽って素晴らしい!という文章を見ました。

私は日本で生まれ育った日本人なのに、雅楽を聴いても、お能を見ても、歌舞伎を見ても、それが楽しい場面なのか悲しい場面なのかさっぱりわからなくて悲しくなります。(歌舞伎は時代が近いからちょっとはわかるかも…?でも解説がないとお手上げ)
自分の音楽的アイデンティティが西洋に侵されています。私にとっての母語は西洋音楽になってしまっていて、邦楽が外国語に聞こえるのです。教育テレビのおかあさんといっしょとヤマハ音楽教室に育てられたもので…。

日本は植民地になったことがないから自分たちの言葉や文化が守れて良かった良かった!みたいな意見をよく耳にしますが、音楽に関しては完全に明治時代に西洋音楽の植民地になってしまいました。

音楽だけでも、こんなに足元がふわふわしていて、自分が何者かわからない、不安な気持ちになるのに
侵略によって言葉も文化も奪われた人々、自分たちの宗教的な場所を破壊されて、その上に立派な教会を建てられて、何百年も経って、植民地の言葉が母語になってしまった人々の心はどうなってしまうのでしょうか。

いつも「日本人である私」が「西洋音楽」を演奏する理由を探してもやもやしてしまいます。自意識過剰とは思いつつ…
案外、うたってて楽しいから!めっちゃ良い曲やからみんなにも聴いて欲しい!というシンプルな理由でもいいのかなぁ…

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