なんとはなしに思うこと

 最近なんとはなしに思っていること,人に対してのリスペクトが減ってきている,ということに関して自身の思考を思い出す日記がてら書いていく.何故筆者がこのように思っているのか.それは,部活での経験からである.

 自身が所属していた部活は,基本的に週2回の稽古を行っている.昔は相当なスパルタ(もはやブラック)な部活であったらしいが,数代前の先輩が時代に即していないとし,スパルタ度合いは軽減されたようだ.その流れで,代を重ねるごとに緩くなってきているのが事実だ.
 自身の世代は,世間では「Z世代」と称され,仕事よりもプライベート重視の傾向が強いなどと言われている.その傾向は部活にも反映され,徐々に緩くなっていく部活の流れの中で,プライベートを重視するZ世代の学生は,部活にとって負の効果をおこした.人が来ないのだ.
 茶道に限らず,どの活動にも言えることではあるが,練習を積み重ねなければ本番で結果を出すことはできない.特に茶会は全体を見るものだから,当然一番目立つ東だけでなく,お運びの人間の質が低いと,茶会全体の評価としては下がってしまうことになる.茶道は一期一会の精神を大切にしている道であるから,どの相手に対しても敬意の念を持つべきである.茶会を開いて仲間達と苦楽をともにしつつ,お客様に楽しんでもらおうとする部活としては,そもそも練習に来なければ,苦楽もなにもなく質の低いものが生まれるだけである.
 来ない人々が求めているのは,楽しい茶道体験であって,先輩からの叱咤や何度も同じことを行う鍛錬・修練ではないのだ.だが体調不良ないしバイトを装い何度も練習を欠席するのは,「自己」を優先し,当然練習に付き合う先輩がおり,茶会にはお客様という「他人」を愚弄していることに他ならないのでは無いかと思う.

 先ほど言っていたような「Z世代」は特にそれが顕著で,自身を守る手段がありすぎて,程度が軽かろうと何でもかんでも「ハラスメント」を主張する.自分さえ良ければ他人がどうなろうとどうでも良いのだ.やはり物事は適切な尺度をもって対応しなければならない.しかし,もはやハラスメント地獄とでもなりそうな現代社会において,ハラスメントは個人の精神という曖昧なものによって規定される.それを安易につかう人間は,特に精神的に弱く,苦痛を味わいたくはないという.誰だって苦痛を味わいたくは無いと思うが,それにしたって今の状況は明らかに過剰な甘やかしである.果たしてそのような人間が成長することができるのだろうか.
 社会は人との関わり合いの結果である.その関わり合いを捨て,自分の好きなことばかりをしていく世の中に暗澹たる気持ちを抱く.そんな今日この頃である.

余談
 2週に1回の投稿を目指していましたが,前回の投稿からかなり日が開いてしまいました.今後のnote執筆への戒めとして期限ブッチをここに告白します.まだまだ拙い文章ですが,頑張ります….

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