2024-05-23

大学での発表に伴う怒涛の日々が一段落して、よく眠ったりやりたいことをやったりしている。短編のアイデアも一つ浮かんだ。限界の時のこういった成功体験が私をより深い限界へ連れていく。
五月に入ってから眠るのが怖くなりはじめ、発表が近づくにつれてそれが極まっていた。体が動く間はとにかくパソコンに向かい、しかし時間だけが過ぎていき、眠くなったら一定時間ごとのアラームを何個もセットして仮眠し、寝起きガチャを引き続けた。戦略的にぐっすり眠る決断も取り入れたのが成長したところだったが、基本カフェインと栄養ゼリーと仮眠で生活を回していたので体がずっと鈍く痺れているような感じで今も完治していない。発表の日は嘔吐きすぎて逆に気持ちよかった。一週間前くらいからずっと正気でなかったので正気でなさを乗りこなすために沢山の人に会った。人に会っている時は固形物を食べられた(疲れていたから油もの、次の機会からはもっと気を使った方がいい)し、なんとか資料作成に向かうことができた。支えてくださった全ての皆さん本当にありがとうございました。発表は原稿を読み上げたからいいとして、質疑応答の記憶が無いが、どうやら一つの質問に三分ほど答え続けていたようである。
発表が終わって落ち着けるかと思われたが、眠れなさは後を引いているし論文に追い詰められる夢を見るし体が動かないし食欲もない。地獄の日々が頭体にへばりついている。昨日の夜は雑炊にした。ゼリー期間から雑炊期間へ、回復の兆しである。カフェインも減らしているので、これから眠りの日々がやってきて、また元気になるだろう。久々にDSを色々と遊んだ。トモダチコレクションが楽しい。
悪い確信となったのが、自分は特に重い課題は追い詰められないと出来ないということである。正気である間はあらゆる杞憂が不安や恐怖となって私の動きを止めてしまう。心身を限界状態に追い込んで脳が弱って来るとやっと、ふと課題をやろうという気持ちが咎められず素直に働いてくれるタイミングがやってくる。それでこういうことになる、それに限界になることは気持ちよさもある、でももう要らないので、「やったら終わる」ことを意識してコツコツやってこうねーと思う、この回復期間に思えていればこの後もきっと覚えていられる。
最近はやっとみんなが私に向けてくれる気持ちの揺るがなさが分かってきたようで、とても安心できている。自己判断は良くないのだけれど、もしかすると減薬断薬してももう上手くやれるのではないかと思ったりもする。また安らかでない日がやってくるとしてもなんとなく安らかなのがわかる。これは警告です、どうやら私たちは自分で自分を追い詰める必要がないのです。

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