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『絶対良感』からみた保険の在り方

 社会には古今東西、様々な保険会社がありますが中々ピンと来ません。自身もいくつか加入しているのですが、やはりしっくり来ず。「先進医療が必要な事態に大多数の人が陥るのかな」とか「高度障害になったとして加入中の保険にピッタリ的中してくれるのかな」とか想像は膨らみます。そして一つの大いなる疑問に辿り着くのです。「果たして必要かしら」と。

 例えば掛け捨てで月に5千円の、もし入院したら30万円が支給される保険に入っていたとします。5年目のある日、遂に入院する機会があって30万円支給されればいいのですが、これが10年目に入院したら嬉しいのか嬉しくないのか複雑な気分に陥ります。おそらく5千円には“安心”料も含まれているのでしょうから得心がいっている人はいいのですが。掛け捨てしない代わりに10年間5千円を『じぶんほけん』とでも命名して確保しておいた方が、ひょっとしたら賢い方法なのではなどと素人考えをしてしまうのです。保険員の方は「それができる方はいいのですが、多くの方は使ってしまいますので、私共にお任せ頂いた方が安心です」という意味合いのことをいう場合がある。

 次に保険の内容だが、先にも書いたように、ドンピシャリに当てはまる疾病に罹る可能性が極めて低い、もしくはかなり低いと思われる商品が、何とメインになってはいないかという素朴な疑問である。“万が一”への備えは日本人好みだし、不安を是が非でもなくしたいと思うのも理解できる。でも、本当にそれでいいのだろうか……?

 ここで、絶対良感(※詳細は別ファイル参照)という色眼鏡をかけて保険を視てみることにしよう。現在の民間保険は、なぜか低確率の疾病への備えばかりが顔を揃えている。そう、高確率な疾病の備えが見当たらないのだ。例えば風邪保険。風邪に罹ればいくらか支払われる掛け捨て保険はどこにあるのだろう?腰痛保険も欲しい。ギックリ腰になったら支払われる貯蓄型保険はいずこに?他に、飲食業妨害保険があれば助かる経営者は多そうだ。居酒屋で心の貧困層(※別ファイル参照)が言いがかりで店員やお客に強いストレスを与えて店に損害が出てしまった際に支払われる。余談だが『お客様は神様ではない』。もし本当にそうなら、世界中の人間が神様ということになってしまう。なぜなら大勢の人が誰かのお客になったりなられたりしているからだ。しかし現実として、地球は神々(ヒト)の住まう地とは言い難い。神様ではない以上、勘違いしている迷惑なお客様には店内からご退場いただ居ても良い仕組みがスタンダードな設定になったなら、社会は幾分良くなるのだろうなあと妄想したりしているが、それはともかく。

 高確率で降りかかる疾病への備えが民間保険でできてこそ、困った時に救いの一手を金銭で差し伸べてくれる“当たり前”の保険のカタチになるのだろうと想ってやまない。それでも「保険は嗜好品」というのであれば、そこに私の意見の立ち入る隙はないだろう。

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