八丁味噌GI問題について、改めて考える

結局、この問題の何が腹立たしいのか、自分なりにポイントを整理してみたいと思います。(2021/6/12, 2024/3/9 追記あり)

①「八丁味噌」の定義の曖昧化と拡大解釈

一般的な三河の人間が知っている八丁味噌は、
・岡崎市八帖町で作られている
・製造元はまるや八丁味噌、カクキュー(合資会社八丁味噌)の2社
・材料は豆と豆麹、塩のみ
・木の樽に石の重しを積んで2年以上長期熟成される
・色は黒に近い濃茶色
・水分が少なく固い
・味は濃く癖がある

というものだろうと思われます。

少なくとも江戸時代から八丁味噌を作り続けてきた上記2社においては、「八丁味噌」とその他の味噌製品は厳密に区別されており、原材料に八丁味噌を使用していても、米みそと合わせた「赤だし」やその他の調味料と合わせた「味噌だれ」等は「八丁味噌」という商品名では販売していません。この2社が「八丁味噌」の名称で販売しているのは、豆味噌100%のものです。チョコレートに例えるとカカオ100%みたいなもので、八丁味噌育ちの自分ですら、癖が強く誰もが美味しいと思うものではないように思います。

食べやすいように米味噌等を配合した「赤だし」は、またチョコレートに例えるとミルクチョコレートです。マイルドな味噌と合わせることで、豆味噌のうまみを誰でもおいしく味わうことができます。

しかし、昭和に入って以降、ビジネスや観光で愛知県を訪れる他県の旅行者が増加し、八丁味噌の知名度が上がっていくにつれ、少しずつ他の味噌メーカーが「八丁赤だし」「名古屋八丁」といった紛らわしい名前で味噌を売りはじめました。

たぶん平成に入ってからだと思いますが、急激に起こった「名古屋めし」ブームの中で、「八丁味噌」とそれ以外の紛らわしい豆味噌も、米味噌を配合した「赤だし」も、果てはつけてみそかけてみそをはじめとする味噌調味料も全てが混同されてしまい、一緒くたに「八丁味噌」と呼ばれるようになってしまいました。岡崎の2社はこのような混同が始まった時点で「違いますよ」と声を上げなければならなかったと思います。

Googleで確認できる限りでは2012年頃には既に「あいち赤だし八丁味噌」という商品が関東地方を中心にくっそ安い値段で売られていました。上記の例えでいうと「カカオ100%ミルクチョコレート」とでも言えばいいでしょうか。どこかの国の偽ブランド業者が作ったインチキ商品みたいですが、愛知の会社が作って本場以外の場所でこっそり売ってきたものです。砂糖、カツオエキス、酒精、その他調味料(アミノ酸等)が添加されて本物の1/3ぐらいのお値段なので、現在も意識低い系の安売りスーパーによく並んでいます。

岡崎の2社は、この「あいち赤だし八丁味噌」のような粗悪品については商品名の変更か販売停止に向けて働きかけをしなければならなかったと思います。

上品ぶって、というのは酷かもしれませんが、鷹揚に構えていたことが裏目に出てしまったのです。既に、日本人の美徳や羞恥心などというものを信じていたら身ぐるみかっぱがれる世界になっていたのです。そして、このような「八丁味噌」という言葉の定義の曖昧化、拡大解釈の広がりに便乗してブランドを乗っ取る準備を周到に進めてきた連中に、まんまとハメられてしまったのです。

ゴールド赤だし育ちだし八丁味噌が大好きですが、八丁味噌協同組合の対応の遅さ、周囲の状況を見る目の無さには本当に腹が立っています。

【2021/6/12追記】 
株式会社あいち赤だしは「あいち赤だし八丁味噌」とほぼ同じパッケージデザインで「あいち赤だし木桶熟成」という商品を出してきましたので、今後はそちらに置き換えていく方針かもしれません。が、過去にこの会社が「あいち赤だし八丁味噌」という名称でこの味噌を本物の八丁味噌であればありえないぐらいの安価で叩き売りをしており、県組合が「岡崎の2社以外の八丁味噌も流通している」と強弁するにあたりそのことが大きな役割を果たした、ということには変わりありません。

②無知で不勉強な農林水産省による、本末転倒のGI認定

農林水産省が特定農林水産物等の名称の保護に関する法律(地理的表示法)を2014年に施行しましたが、岡崎の八丁味噌協同組合は2015年に登録申請したところ「県内の他地域でも八丁味噌は生産されている」として却下されてしまいました。そして、結局2018年に岡崎の八丁味噌協同組合参加の2社を除く「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」が登録を受理され、新たに八丁味噌を名乗れるようになりました。

岡崎の八丁味噌協同組合が登録申請した際には、
・産地を愛知県全体に広げること
・定義をゆるくすること

を要求されたとのことで、八丁味噌協同組合がこれを受け入れなかったために却下されたというのが経緯のようですが、中国等他国で既に売られている偽物を排除するために、国内で生産する紛い物を本物認定して出荷量を増やし、国際市場での存在感を増したいという農林水産省の思惑があったように思われます。

これにより、国が定義する八丁味噌は、
・愛知県内ならどこで作ってもよい
・ステンレスタンクでもよい
・加温して10ヶ月で出荷してよい
・添加物についても決まりはない

と、「愛知県味噌溜醤油工業協同組合の作る豆味噌であれば」どんな手抜きの大量生産品でもOKウェルカムな定義となりました。①でご紹介した「あいち赤だし八丁味噌」も、この定義であれば立派な八丁味噌です。

「海外の偽物対策で国内の偽物を本物ってことにしたよ。意地を張らずに偽物の仲間に入れば手抜きの大量生産品と一緒にお前らの味噌も本物扱いしてやると言ってるのに、一体何が不満なの?」

というのが農林水産省の一貫した言い分です。

本来、粗悪な偽物から消費者を守るのが国のお仕事です。農林水産省のお役人や、認定に関わった識者の皆さんは何を見て、何を目的にこのような認定を行ったのでしょうか。そもそも、この方達は豆味噌と赤だしの区別すらついていないように思います。マスコミが無責任に取り上げる「名古屋めし」の漠然としたイメージしか持っていないのではないでしょうか。

また、おそらく審査に供された県組合各社の「八丁味噌」はそこそこのグレードの物だと思われますが、彼らが市場で売っている大量生産品の自称八丁味噌を見たことはあるのでしょうか。市場調査もしていないでしょうし、メーカーが提供したサンプル以外は食べたこともないでしょう。そんな人達に、何百年も地域に根付いてきた伝統の味が殺されようとしているのが非常に腹立たしいのです。

1/3の値段の粗悪品が同じ「八丁味噌」を名乗って売られるなら、本物の味を知らない消費者であれば安い方に飛びつくでしょう。本物の味を知っている消費者がどんなにがんばっても、市場では本物は淘汰されてしまうでしょう。

海外でも多くの消費者が「hatcho miso」を愛してくれていましたが、今後は本物を「hatcho miso」として海外で売ることはできません。「hatcho miso」の名を冠した全然別物の大量生産品が、今後は海外で売られていくことになります。

農林水産省さんは一体何がしたいんだ?

農林水産省の担当者は「あー、いい仕事したわ」と自己満足に浸れるだろうし、愛知県味噌溜醤油工業協同組合の各社はしてやったりと思っているでしょう。既にTVでは偽物の八丁味噌が堂々と宣伝されています。でも、岡崎の2社が長年育ててきた既存のブランドイメージを盗んで消費者を騙し、偽物を大プッシュして本物を潰そうとすることは、「消費者にとって」何のメリットがあるのでしょうか。

農林水産省が今更自分たちの非を認めるとは考えにくいですが、まだ消費者庁への請願については回答が来ていなかったと思いますし、今回2020/3/25から全然第三者に見えない謎の第三者委員会も開催されます。(おそらくは出来レースで農水省の思惑通り、「はい第三者が審査しました問題なし!ヨシ!」となってしまうでしょうが)八丁味噌協同組合としては、最後は行政訴訟も検討されているそうですのでまだ完全に詰んだわけではありません。

正直怒るのが遅すぎるわ、と八丁味噌協同組合の怒気を含んだ3/19のリリースを見ながら思ったりはしたのですが、最後まで怒らずにただ潰されてしまうよりはマシです。今後はがんばって戦っていってほしいものです。

【2024/3/9追記】
第三者委員会は議事録を見る限り世間話レベルで終わってしまい、農水省の予定通りだと思いますが「問題なし」の結論となりました。

まるやさんが単独で訴訟を起こしましたが、異議申し立て期限切れで2024/3/6に最高裁から却下され敗訴が決まりました。
この判決は「期限切れ」という手続き上の瑕疵によるもので、GI登録の経緯や製品の製法・品質等とは一切関係ありませんので裁判所は悪くありません。こんなことで最高裁まで争っている暇があったら他にするべきことがあったのではないかという気がします。

Webメディア「BAMP」での2018年時点のインタビューでは、まるやの浅井社長とカクキューの野村企画室長が他社の「八丁味噌」について下記のように回答されています。

2018年時点でのインタビュー記事(抜粋):リンクから全文が読めます

実際には、先に書いたように2012年頃にはすでに「八丁味噌」を名乗る紛い物が広く流通していたことをGoogleなどで確認することができます。業務用の「八丁みそ」も、以前からイチビキは堂々と扱っていました。Webarchiveでは少なくとも2012年にはイチビキのサイトで普通に「業務用八丁みそ」を掲載していたことが確認できます。

2012年10月のアーカイブ。業務用の「八丁みそ」が確認できる


「名古屋八丁」「八丁赤だし」といったなんちゃって商品はもっと古くから流通が始まっていたようです。
ログイン必須の隠しページなどではなく、全世界の誰でも見られるように公開されていた情報です。一般消費者は気付かなくても、競合メーカーであれば当然知っていなければいけないことです。岡崎の2社が市場の動向をまったく見ていなかった迂闊さには今更ながらため息が出ます。

その時点で危機感を持って手を打たなかったことがいまの惨状を招いているので、こういってはなんですが岡崎市の行政も含め「何やってんの…」という感想しかありません。

詐欺は騙すほうがもちろん悪いです。背乗りするほうが悪いに決まっています。しかし、多くの人から愛されているブランドをメーカーがその迂闊さゆえに失ってしまったことについては、今回嵌められたメーカー側も深く反省していただきたいと思います。

正攻法での対抗手段はもう無くなってしまったので、あとは県組合がGI出願を自ら取り消すよう世論を動かすとか、農水省がGI認定をいったん取り消すようロビー活動するとかそういう搦手からの方法を取れるかどうかといったところではないかと思います。

2026年、岡崎2社の八丁味噌は「GI認定品ではない」とパッケージに記載しないと国内で八丁味噌を販売できなくなります。また、海外ではもうhatcho misoとして販売することはできなくなると言われています。

これからは本物の味を知らない人たちが大量生産の安物を「八丁味噌」として消費していくことになりますが、本物はそんな中で生き残ることができるのでしょうか。もう少し危機感を持って、生き残るために最大限の努力をしていただきたいと思います。でなければ、本当に「本物の八丁味噌」は死んでしまいます。

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