アイドルを消費して緑の眼鏡をはめる

 幾層にも重なった人間たちと、階層ごとのルールやお作法。階で少しでも変わった動きをすれば一気に周りから白い目で見られ、階層を誤って飛び出せばたちどころに弾劾される。
 それは、自分が気に食わないものを詭弁で吊し上げ、意見を持つ主体としての責任を放棄して自分と世界の境界を曖昧化することに他ならない。チェンバーの中をこだまするものが、いつしか世界の果てから本当として飛んでくる。
 弱さゆえの誤謬は、その者の景色を恣意的に染め上げる。自ら緑色の眼鏡をはめて見るエメラルドの都には、結局ハリボテの王しかいないのに。

 翻って私はどうだろう。私が世界に感じた憤りや憎しみやグロテスクさは、少しでも自責をしてみればすぐに自分を貫く。私は、自分が忌み嫌う行いをまさに自分でしているのだ。今度は私がたちまちハリボテに成り下がる。もしかしたら、端材や雑紙ではなくタンパク質で出来ているから、切り身やスライス肉かもしれない。切り刻まれて静かに横たわっているようだ。

 とにかく、正しさや真っ当さを考える時、私は自分が間違っている可能性をふと思い出しては、内に巣食う気持ち悪さに酔うことになる。思考を止めればいいと、頭では分かっていても、脅されたようにやめられない。

 私は私として生きていくしかないので、根暗な私は考えるのをやめられないならば、内になんとか前向きな哲学を見出そうとする。でないとやっていられなくなってしまう。私はまさに彼らを見つけてしまった。自分の暗さをあまりに強く塗り替えるような輝きを。自他境界の曖昧化なんかよりも、もっと深刻に目が眩んでしまった。

 私が弱いばかりに、私があなたたちの美しさに憧れてしまったばかりに、勝手にあなたたちを内在化させてしまってごめんなさい。
 あなたたちの個としての生を、想いや権利や誰にも見せない部分を、あなたたちから切り離して恣にしてしまってごめんなさい。
 私は、私がアイドルに憧れてしまった罪悪をそんなものであると思っている。どう言葉を紡いでも人から像を切り離してしまうことは罪で、自分は遠いどこかでそれを償うか、首に巻き付いている真綿の先に時限爆弾が下がっているのだろうと思っている。

 でも、人間関係とは案外全てそんなものなのかもしれない。
 人間とは主観的な生き物だから、他者を解するには自分を介さずしては有り得ない。他者と関わり相手に同一性を見出すには、自分の中にその人格を再現せねばならない。だからそんなものなのかもしれない。裏を返せば、あなたへの接し方と普段の周囲との接し方は、同じであると言える。
 では逆の発想で、もしもあなたが私の目の前に居たら、こんな様を見て何と言うだろうか。私はそうやって懲りずにエメラルドの夢を見る。

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