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令和とオタク




私はずっと隠れオタクで、好きな趣味はひっそりと同好の士と楽しむものであり、クソでかボイスでキャッキャ騒ぐのはcoolではないという価値観を有していた。
個室ならいいのだが、人気のある所で漫画やアニメ、ゲームの話をするのは無理で、そんな同類がキャッキャしているのを見ながら、遠くから勝手に共感性羞恥を発動させて、1人しらけていたのが私だ。
ほんの少し、羨望を含ませながら。

その漫画のキャラの誰が好き?と拙いコミュニケーションをとっていた小学生時代が愛おしい。
自我が芽生えてからは、教室の片隅で、シュヴンクマイエルいいよね、leinいいよねとアングラ臭のするサブカルコンテンツをひっそりとシェアするに留まっていた。
今ハマっているゲームもあまり人には言わなかった。

とはいえ、当時の友人にはもっとオタク丸出しだったと見えているかもしれない。
じゃあもっと暴れたかった。マグマみたいな湧き上がる感情をずっと抑えつけて、偽りの仮面を被って、エネルギーを持て余していた。



興味関心はゴリゴリのオタクのくせに、オタク界隈という概念は苦手で、10代の頃から匿名掲示板に息づく見知らぬオタク達に心癒されていた。
匿名は居心地がよかった。

少しずつオタクであることを公言できる風潮はゆるやかに拡大し、ニコニコ、Twitterが流行り始めどんどん広がっていった。そしてコロナ下、鬼滅が流行ってからはそれは顕著だ。面白い。
昔は本当に隠れるもので恥ずかしい趣味だったのだ。
それとも私が時代の空気感を敏感に感じ過ぎていただけなのだろうか?

今や習い事や教育で厳しかった母はアマゾンプライムでメイドインアビスを視聴し、ナナチのことをモフモフといっている。なんやその呼称。
我が家においてアニメは市民権を得たのだ。


そして父はピッコマという韓流縦スクロール漫画を読むためにパッドの購入を検討している。父がシェアしたアニメをこれは私向けじゃないわと母が一蹴している光景は感慨深い。
ちゃんと、なんでもいいわけではないようだ。

職場の若い子達はポケモン楽しいですよぉ♡といった感じだし上司は一緒にやろうよ〜とMMORPGに誘ってくる。
上司の周りにはお腐れ様がたくさんいるらしい。

国民上から下までotakuなのか?マジで言ってる?
クラスにいた8.5割の非オタはどこで何してるんだ?私が心の壁作りすぎていただけで仲良くなれる可能性あったのか?

オタクじゃなかった人は普段みんな何を話してるのだ???
政治経済とかではなく、文化的な話の方。男女の恋愛以外の話。

今や絵なんて描いてるといったらすごいと言ってもらえるし、アニメの話ができればおじさんに喜ばれる。

YouTubeではアーティストのコメント欄で大喜利が沸いているし、何十万人もの視聴がいる配信者がBL同人文化やpixiv、性癖のことをシェアしている。
Twitterでは同人女専用オタク用語がトピックに入っていることもあるくらい同人女も同人男も存在感を放っている。
もしかしてTwitterオタクしかいない説?

なんなら今や絵が喋って圧倒的人気を誇っていて。
実況、いいよね。


これが、令和か。
みんな、自由だな〜〜〜〜〜〜。

あんなに求めていた生きやすい世界なのに、何故か私1人取り残されている。
私が、私だけがノンケを装っているオタクだ。周囲の誰よりも拗らせているのに。
なんだよこれ。
もっとみんな好きなことオープンにしてるのかよ。


息をするだけで、オタクということだけで感じていた謎の劣等感や遠慮はなんだったんだろう。恥の文化。(それでもやめられなかった)
私の青春を返してくれ。本当の私は控えめおとなし遠慮がち従順陰キャではなく、もっと我の強いよくわからない生き物なんだ。


気づくまでに時間がかかってしまったけれど、令和と上手く付き合って人生楽しんでいきたい。




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