亜美ちゃんに祈れよ

 男は鉄橋にいた。深夜もド深夜、真っ赤に塗られた鉄橋にいた。
 ――ここから飛び降りてやろうか。『トーマの心臓』の冒頭のように、いっそ劇的に飛び降りてやろうか……。

 男はミュージシャンだった。「売れないミュージシャン」という呼称はもはや現代的ではない。男は「食っていけないミュージシャン」だった。
 ほんの2年ほどメジャーレーベルに在籍していた時期はあったが、思うほどには稼げぬまま契約を切られ放り出された。廃業する気になれず自主制作を開始するも大して稼げず、日照りの日々が続いていた。メジャー時代に獲得した熱狂的なファンというのもいなくはないのだが、彼(女)らに生活の全てを支えてもらうことはできそうになかった。
 時代はインターネット、SNSだ、ツテを作って稼ぐ手段はいくらもあると思い立ちネット活動にも勤しんでみた。
 しかし男にその手の才能はなく、彼がインターネットから授かった唯一のコンテンツ性は「目に付いた人間に片っ端から喧嘩腰の質問を繰り返す痛い元ミュージシャン」という烙印だけであった。先述の熱狂的なファンがネット上で彼を熱心に擁護したことも、慢性的な生煮え炎上に拍車をかけていた。

 起死回生のためにはブツを出す――つまるところ音楽を作るしかないのだが、いつの間にか“インターネット面白おじさん”と化してしまった男には、どうしてもかつてのように曲を書けなくなってしまっていた。
 これはいける、というフレーズを思いついても、何故かボツにしてしまう。あの、忌々しいインターネットの、猫や青空の写真をアイコンにした得体の知れない奴らの、根拠なく居丈高な物言いが脳裏にチラついて、すべてボツにしてしまうのだ。

 〈あなたの歌詞はまるで作文のようで、歌には聞こえません、作詞も音楽を作る行為の中のひとつであり、そこには作曲と同等の才能が必要です。〉
 〈海外では既にE・D・M等のダンスミュージックが主流になっているのはご存知ですか? 今の10代20代の若者は、ギターで押し出すようなバンドサウンドを聞きたがってはいないのです。〉
 〈貴方がハロウィーンの信者であることはよく理解できましたので、今後は貴方自身の音楽を創ることに努力なさってください。〉
 〈一度、モーツァルトやバッハといった偉大な先人の音楽に触れてみることをおすすめします。〉

 ……なんなんだ、おまえらは。

 そういうわけで、男は鉄橋にいた。
 創作ができなくなったなら、もはや生きているとは言えない。泳ぐことが呼吸と一体化している回遊魚のようなものだ……男はそう自嘲した。
 橋から見下ろす果てしない闇はひどく現実味が薄く、これからここで人生が終わるという現実味も薄かった。
 いや、それでも飛び降りよう。いっそ劇的に、飛び降りよう。
 男は目を閉じた。
 深呼吸するたびに、誰かの顔が思い浮かんだ。
 高校時代の友人。1回だけ飲みに行ったプロデューサー。変な髪型のPA。女の子。ギターショップのおじさん。幼稚園の先生。両親。ファンのババア。フェスで見たFOO FIGHTERS。ムカつくラジオの司会者。水野亜美ちゃん。

 ――水野亜美ちゃん???

 男は驚愕し、がばっ、と目を開いた。
 そして、ひとつの天啓を得た。
 死の間際、誰かに救いを求めるように、今日まで出会った人々のスライドショーが始まった。
 その結果、最後にたどり着いたのは、あの水野亜美ちゃんだったのだ。
 神でも、仏でもない。頭脳明晰で穏やかな物腰の、あの、セーラーマーキュリーこと、水野亜美ちゃんだ。
 ……なるほど、人間というのは、進退極まった最期の瞬間、水野亜美ちゃんのことを想うのか! 理屈は全くわからないが……なんと体に馴染む人選だろうか!!
 この真理を知っているのは、世界中に俺しかいないのだろうか。……ああ、こうしちゃいられない。
 耳栓替わりのイヤホンを装着し、男はやにわに歩き始めた。
 音楽を創る動機というのは、予期せぬところで手に入るものである。

 数ヶ月ぶりに、男は創作らしい創作を開始した。
 彼はずっと疲れていた。いわゆる「お金になるような音楽」に疲れていた。
 追い求めても手に入らなかった、換金できる音楽。「共感できるように」「耳にキャッチーな」「一度聞いただけで口ずさめる」「わかり易い世界観の」「ライブで盛り上がれる」「きゃりーぱみゅぱみゅのような」……そんなしょうもないリクエスト。
 それらすべてをぶん投げて、男はもう、やりたいようにする他なかった。
 鳴らしたい音を鳴らし、歌いたい音を歌う。今時そんな意識では素人以下と呼ばれても仕方ないが――いや、でも、じゃあ、それでいいじゃねえか。

 寝食を忘れてもんどり打った結果、ジャーマンメタルに筋肉少女帯をぶち込んだような、えらく粘度の高い曲が完成した。ぐちょぐちょのバンドサウンドの隙間を縫うように流れるピアノのメロディに、男は自分でむせび泣いた。
 男はバンドマンのツテを総動員して、これが最後だから、とレコーディングまでこぎつけた。そもそも無かった資金がいよいよ本当に無くなったが、まあ良しとした。
 誰かに怒られるとか、渋い顔をされるとか、そういうこと抜きに音楽を作っているのは、今の日本で自分だけではないのか。きっとそうだ、そうに違いない。
 男は自分の底辺性に、思い切り自惚れた。

 そしてさる9月10日、男のSoundCloudに『亜美ちゃんに祈れよ』がアップロードされた。

 亜美ちゃんに祈れよ

 逆境に敗れ 鉄橋飛び降りる
 その前にまずは 亜美ちゃんに祈れよ
 この世に生まれ 男に育ったなら
 誰だって最後は 亜美ちゃんに祈るさ

 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!!
 生きる力を頂戴 明日の分だけでも
 Anyway the wind blows
 Anyway the wind blows
 Anyway the wind blows
 そうだろ マーキュリー

  独りで闘うには 世界は暑すぎてさ
  汗やら涙やらで 身体中びしょ濡れだ
  誰かを頼れるほど 俺には履歴がない
  だからこそ躊躇わず 立ち上がるんだ 見ていてくれ

 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!!
 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!!

 大博打直前 錠剤噛み砕く
 その前にまずは まこちゃんに祈れよ
 この世に生まれ 遮二無二育ったなら
 人生の分岐点 まこちゃんに祈るさ

 まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!!
 しのぐ勇気を頂戴 この一瞬だけでも
 I listen to my heart
 I listen to my heart
 I listen to my heart
 そうだろ ジュピター

  独りで闘うには 世界は摩擦だらけ
  すれ違い続けては 心までヴァンデグラフ
  長い夜が明けるには まだまだかかりそうです
  だからこそ鮮やかな いかづちを落としてやれ

 まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!!
 まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!!

 【台詞】
 《再三、申し上げてはおりますが、あまねくこの世の男たちは皆、おのが人生が本当にマズくなった時、最後の最後には、亜美ちゃんに祈りを捧げるのです E-girlsのAmiちゃんじゃない、水野亜美ちゃんその人だ 君のパパも、彼氏も、旦那も、セフレも、息子も、みんな亜美ちゃんを見上げて涙を流すのです え? あたしの彼氏は絶対亜美ちゃんなんかに靡かない? お姉さんそりゃ気の毒だが、多分あんたの彼氏、トカゲ人間だよ……》

 Anyway the wind blows
 Anyway the wind blows
 Anyway the wind blows
 そうだろ マーキュリー

  独りで闘うには 世界は暑すぎてさ
  汗やら涙やらで 身体中びしょ濡れだ
  誰かを頼れるほど 俺には履歴がない
  だからこそ躊躇わず 立ち上がるんだ 見てくれ

  死ぬまで闘うには 世界は摩擦だらけ
  すれ違い続けては 心までヴァンデグラフ
  長い夜が明けるには まだまだかかりそうです
  だからこそ鮮やかな いかづちを落としてやれ

 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!!
 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!! 亜美ちゃん!!

 まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!!
 まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!! まこちゃん!!

 助けてくれ


 公開以降、男はひたすらネットのリアクションを待った。彼にはそのすべてを受け入れる覚悟があった。
 誰から誹謗されても構わない。
 古いアニメファン、メタルマニア、男は○○・女は××等の議論が好きな人、自己啓発にやたら噛み付く者ども、創作クラスタ、QUEENの関係者。
 誰から怒られてもかまわない。むしろ炎上するなら今しかなかろう。男は心穏やかであった。
 炎上発言が取り沙汰される時に比べ、いざ作品を発表した時のネットの反応は鈍い。それでも男はまったく落ち着いていた。そんなもんだと思えば、すべてがそんなもんなのだ。

 そしてある日、1件のコメントが投稿された。
 男が初めて見る、この曲に対する感想。
 ――ああ、亜美ちゃん、ようやく声が届いたよ。
 男はほのかな笑顔を崩さぬまま、そのコメントに、目を通した。

 〈なんか神聖かまってちゃんっぽい〉


 その晩、男は鉄橋から飛び降りた。

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