田嶋陽子が死んだ日

 田嶋陽子が死んだことを知った瞬間、僕の体はどんっ、と宙に浮いたような衝撃に見舞われた。

 それは、大学の友人たちと朝までカラオケをした帰りだった。早朝の街のカピカピした空気の中、僕らはガラガラの喉でヘラヘラと笑いながら始発電車を待っていた。
 ふと、僕はスマートホンを手に取り、夜のあいだ放ったらかしにしていたSNSにアクセスした。親指でつよつよとタイムラインを下っていくと、突然、有り得ぬ文字列が僕の目に飛び込んできた。

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 う、えええっ、と、僕は駅のホームじゅうに響き渡るほどのかすれ声で叫んでしまった。
 驚いた友人たちが何事かと尋ねてきたので、僕は「田嶋陽子が死んだ」とだけ答えた。
 僕と同学年の友人は「まじか」と言って苦い顔をしてくれたが、ふたつ下の後輩は「えっ誰すか」とのたまった。
 彼らのリアクションは正直どうでもよかった。カラオケオール後の気怠い快楽は一瞬で吹き飛び、僕の心は今まで経験したことのない悲痛に満たされていた。
 それは田嶋陽子の死に対する強烈な悲しみと、僕は田嶋陽子が死ぬとこんなに悲しいのか、という大きな戸惑いが入り混じった奇妙な感覚だった。
 数年前おばあちゃん家の猫が死んだときとも、おばあちゃん自身が死んだときとも違う、宇宙に放られたような虚脱を覚えながら、僕は電車に乗り込んだ。

 それから数日のあいだ、どの報道番組もそれなりの時間を割いて田嶋陽子の死と彼女の生前の活動を報道した。
 たかじんのいないたかじんの番組では緊急特番を放送し、準レギュラーだった彼女の名場面をVTRで紹介した。僕はそれをぼんやり観ながら、そういえば三宅久之やたかじんや津川雅彦が死んだ時は、驚きこそすれこんなに悲しくはならなかったな、と気づいた。
 インターネットはどうにも地獄だった。フェミニストたちはかつてのオピニオンリーダーの訃報にかこつけて、こぞって各々の持論を主張し始めた。中には「田島先生の努力は認めるが、もはや現代には通用しない」「フェミニストのイメージを固定した田嶋陽子の功罪は大きい」「これからようやく新しい時代が始まる」といった酷い意見もあった。そしてそれらの主張に対する大量の批判意見が各所から噴出し、誰の得にもならない泥仕合が繰り広げられていた。
 どいつもこいつも、文末にR.I.P.と3文字つけておけば高尚な議論になると思い込んでいる。僕はうんざりしてインターネットから離れることにした。
 そして僕は僕自身のために、この悲しみをよく見つめることにした。

 
 僕が物心ついた頃には、田嶋陽子は闘う女性の代表格としてテレビに出演していた。途中髪型を変えたり国会議員になったりしながら、彼女は強烈にかつ断続的に僕の記憶に居座り続けた。
 考えてみると、自分の意識の履歴――それを時代と呼ぶのだろうか――に強く組み込まれた著名人の死去というのが僕にとって初めての体験だったのだ。そしてそれがこんなに悲しいことを知るのも初めてだった。
 身近な人の死に比べ、著名人の死は不意打ち感が強い。
 衰えを晒し老害などと呼ばれつつ、それでも永遠に元気でやっていく。そんな気がしていたテレビの向こうの人々も、いつか必ず、ポロっと死ぬ。そのことが思いのほか辛いことを知った。
 ああ、そういえば、田原総一郎も死んだっけか。思い出してみると辛い。

 僕の時代に組み込まれた著名人は、まだまだ、まだまだたくさんいる。僕はそれを思い、じんわりと戦慄した。
 ビートたけしがバラエティ番組から退き、年に一本映画を発表するだけの老監督になってから何年経つだろう。極端にエンタメ寄りの作品と極端に難解な作品が交互に発表されているが、端役で出演するたけしの台詞は7割がた聞き取れない。
 徹子の部屋はじき放送12000回を迎えるが、もはや徹子は意志の力だけでおしゃべりしているように感じる。彼女が世界ふしぎ発見を卒業した半年後に、ふしぎ発見自体が放送終了したのはショックだった。草野仁は最近顔が土色だ。
 病気療養から復活した明石家さんまは見る影もなく、所ジョージは比較的上手にテレビからフェードアウトしていった。
 タモリは2年前にタモリ倶楽部以外の番組をすべて降板した。最近のタモリ倶楽部ではタモリはほとんど喋らず、ただニコニコ笑っているだけのご本尊になってしまった。まるで水曜どうでしょうのミスターのようだ。
 ミスターで思い出したが、何年か前、長嶋茂雄と萩本欽一が立て続けに死んだ年があった。号外が飛び交い、テレビはゴールデン3時間枠で彼らの偉業を称え、書店は「ありがとうフェア」を組んで関連書籍を平積みした。
 僕の両親は流石にショックを受けていたが、僕にとっては「ふーん」で終わるニュースだった。やくみつるの4コマに出てくるおじさんと、仮装大賞以外に仕事のないおじいさんが死んだからといって、僕には動揺のしようがなかった。
 しかし。しかし今なら僕にも、彼らの死を悼むための時代があったということが、とてもよく理解できるのだ。時代を失うことは身を裂かれるように悲しい。そのことも今、痛いほど実感している。
 そして、これから先の未来では、いよいよ僕の時代が失われていく番なのだ。
 そればかりは本当に、どうしようもないことなのだろう。

 田嶋陽子の死から一週間が経ち、僕の心もさすがに立ち直った。
 悲しみが癒えることは、決していけないことではない。
 いい加減インターネットの地獄も終わったろうと思い、僕は久しぶりにSNSのアプリを開いてみた。

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 ……それはまたちょっと違うやつだろ!!!

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