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二段階目の「物心がつく」

「これは、ぼくちゃんの為なのよ!」
「◎◎ちゃんの為にママは…!!」

人の「あなたのため」という言葉の嘘を、人はだいたい思春期には気づく。

「親は、先生は、俺のためと言いながら、本当は自分のため、本当は面倒ごとを避けたいがため、そういうことを言っているのだ」
ということが分かるようになること、ひいては、

周りにいる大人の嘘に気づけるようになることを、私は、二段階目の「物心がつく」瞬間と呼んでいる。

二段階目の物心がつかないと、
(1)他人がつく嘘に気が付くことができず、自分の身を守れなくなる
(2)気づくことで、傷つく自分の心を守りるために、嘘を信じたふりをする、欺瞞の人生が始まる。

ので、とてもヤバい。

二段階目の物心がついても、「ある嘘には気づけるけど」「ある嘘には気づけない」(気づきたくないがため、気づかないふりをする)ことがある。

というか、大多数の人に、そういうダブスタ(ダブルスタンダード)がある。

※ダブルスタンダード…この場合は、Aさんの嘘には気づけるのに、Bさんの同じ嘘に気づくことができない。気づけないよう、自分に呪い?をかけている。


先日、『私のちいさなお葬式』というDVDを観た。
ロシアの小さな村の話。

73歳、元教師のエレーナ。彼女には大事な一人息子がいる。年の離れた夫は、だいぶ前に亡くなったので、息子は彼女の誇り、宝物だ。
ロシアの田舎町で、毎日、友人たちとまったり老後の生活を送っていた彼女。だがある日、自分の心臓が弱っていることを、医者から指摘される。
彼女が第一に考えたのは、都会で成功を掴んでいる息子に「迷惑をかけないこと」
自分の介護や、葬儀のために、田舎に帰ってくる頻度をなるべく少なくして、息子の負担を小さくするまいと、彼女は自分で、自分の葬儀を出すことを決めた。
友人たちから止められ、周りからはあきれられても、元教え子の手も借りて、彼女は途方もないやり口で自分の葬儀の準備を始める。しかし彼女がやっていることは、息子に気づかれてしまい…

あらすじ

人が一番気づけないのは、自分の中にある嘘だということを、気づかせてくれる作品。

二段階目の物心がついても、自分の嘘には気づけるようにならない。

この物語の救いは、息子が彼女自身の嘘には気づく力を持っていることだ。
息子が、母親の「息子のため」に気づけないような、自己愛モンスターだったら、もっと凄惨な話になっていた。

私は、この物語の息子だ。

73歳の、日本で言う団塊の世代の親の「あなたのため」に逆らいきれず、しかし、二段階目の物心がついているから、その言葉を信じ切ることもできない。

田舎で、愛する人と暮らす生活を夢見ながらも、その愛する相手を支え切れたかどうかも自信がない。

理想と現実の間を、あまり上手にバランスが取れないまま、「これでいいのか?」「これでよかったのか?」を考え続ける。

ま、でも一つ言えることは、

親(団塊の世代)にそこまで心配されなきゃならないほど、私ら、か弱くもないよね!

ってことです。

右から左から袋叩きにあってるサンドバックみたいな世代だけど、(人数多い、就職超氷河期世代、安い労働力としてブラック企業の犠牲になる人多い、うつ病患者多い、自殺者多い…etc.)

それでもどっこい、生きている!

そしてこれからも、生き延びる(予定)
映画の中の魚じゃないけど、簡単には死なねぇぞ、です。

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