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「期待される人であれ」

「なぜ、国家公務員を辞めて、鍼灸師になったのか?」
鍼灸師になったとき、やたらと聞かれたことです。

そして、鍼灸師になって7年たって、やっぱり思うのが、これこそ、皆さんが知りたがる一番のこと、だってことです。

以前は聞かれるたびに、「それ、サラリーマンとか税理士でも同じこと聞いた?」ってイラついてたんですが(←イラつくなよ)、最近では、

健康に関わる仕事だけに、そこはかとなく「偽善」のにおいがするからじゃなかろーか?と考えています。


偽善と打算

でも、偽善じゃなく、「数多くの打算」というほうが、私は好きです。
打算が百あったので、鍼灸師になることにしたので。

□10歳頃、大分のゴッドハンド鍼灸師との出会いがあった。
□病院でも整体でも治らなかった、母親のムチウチをそのゴッドハンドが、短期間で治してくれた。
□その鍼灸師が母のリウマチを予見していた。
□公務員をやって、事務職をやる能力がないことを自覚した。
□一生働かず、病人として生きていくのは嫌だった。
□だれにも当てにされない「半人前」扱いが不快だった。
□ノアの箱舟に乗るための技能が欲しかった。
□弟から尊敬されたかった。
□経営というものをしてみたかった。
□もうちょっとマシな人間になりたいと思ったから。
□鍼灸が世間から低く見られていると感じて、おかしいと感じたから。
□「人の役に立てる」技能が欲しかった。
□人に頭を下げたくなかった。
□どうせなら、他人に迷惑をかけずに生きていきたかった。
□一人前になるのではなく、1.5人前くらいの人間になりたかった。
□経営者になって「ウハウハ」ということもないとも限らない。
□経営者になれば、クビにならない(だろう、たぶん。でもジョブズはクビになってたな)
□80代でも仕事続けられるかも…(年金不安)
□婆さんの鍼灸師の方が、下手に若いより安心感あるかもしれん。
□経営というものができるようになったら、人助けもちょっとくらいできるかも?(氷河期世代だから、一応同世代の友達のことも心配してる)etc.

似たようなことも複数出てくるし、ノアの箱舟とか意味不明なことも入ってるけど、
大事なのは、

「打算が100個」


100も打算が思いつくようなことは、やる価値あるんじゃないかってこと。


期待ほど、されて迷惑なものもないけど、「数に入ってない」ほどみじめなこともない。

いじめで無視されてたことがある人、家族とか、仲間内で、存在感を発揮できずにいた人には、ちょっとわかってもらえるかもしれない。

どういうときも、意見を聞いてもらえなかったり、いなくなっても気づいてもらえなかったりすると、楽な時も確かにある。けど、「自分の存在意義を感じられない」これは結構辛い。

ひたすら楽を求めるなら、死ぬのが一番楽かもしれない。
でも私は死にたくなかった。

だから、生きるために、できるだけ心地よく生きるために、「期待される人」でありたいと思った。


期待されるってなんだろね?

哲人) アドラー心理学では、人はみな、無力な状態から脱し、より向上していきたいという欲求、つまり「優越性の追求」を抱えて生きる存在だと考えます。よちよち歩きの赤ちゃんが、二本足で立つようになり、言葉を覚え、周囲の人々と意思の疎通を図れるようになっていく。つまり、人はみな「自由」を求め、無力で不自由な状態からの「自立」を求めている。これは根源的な欲求です。

『幸せになる勇気』16p

アドラー心理学では、「課題の分離」を重視する。
課題の分離というのは、ようは「人は人、自分は自分」を徹底的に考えることだ。

なので、他者からの期待なんて勝手なものに対しては、「どこ吹く風」という態度で臨むことが正しい。アドラー的には。

しかし同時に、アドラー自身は非常に熱心な教育者で、カウンセリングを「治療」とは考えず、「再教育の場」であり、その目的は”相談者の自立の援助”

アドラー心理学の掲げる目標
(行動面の目標)
(1)自立すること
(2)社会と調和して暮らせること

んで、教育ってのは、自分以外の誰かが自立することを助けるってことですわ。

で、人を教育しようかっていう気持ちになるには、その対象となる人物が、自分の時間と労力を費やす価値のある存在であるってのが一つ。

1.相手に時間と労力を費やす価値がある

もう一つ、相手に労力と時間をかけさえすれば、自立できる可能性があると思えるってこと。

2.相手が自立する可能性を持っていること

これって、まさに、「期待」じゃん。

期待がゼロだと、さすがに時間と労力を使いたい気持ちには、なれないからねぇ。

まぁ、でも、「馬を水飲み場に連れてっても、馬が水を飲むとは限らない」から期待してもしすぎるな、ってのがアドラー的な課題の分離なんだろうけど。


期待されない人になる簡単な方法

可能性をゼロにする口癖を持ってる人は、かなり周りから期待されずに済む。

具体的には、「~~だよね。でも、私は~なんだけどね」と「でも」を口癖にしておくと、すべての可能性を摘むことに成功できてしまうので、「絶対に誰からも期待されたくない」という人は、「でも」を口癖にしておくといい。

ただし、同時に自分の中でも、同じことが起こり、自分自身の可能性の芽も摘む。

この部分だけ期待され、こっちの部分は期待されないでいたい、ってのはなかなか難しい。


私は可能性のある人でいたい。

まだまだ若い(そろそろ46歳だけど)ので、まだ未来に夢を見たい。

鍼灸師の学校には行ったのが、ちょうど10年前。30代半ばだったのだけど、あのときも、うつ病患者ではあったけど、まだ自分自身をあきらめたくなかった。

あきらめたくなかったから、「人から期待される自分」でありたいと思った。

自分を投げ出したくなかった。
だから、希望がない中からでも、無理やり何かを引っ張り出す必要があったのだ。

そこで、打算を100個。

夢なんか見えなくったっていい。
未来なんか不確かであてにはならない。

そのかわり打算を100個考え出して、その打算でやることを決める。

打算のアイデアが100個思いついたことには、やる価値がある。
その打算から出たアイデアが、他人から「期待される」もんであるなら、大丈夫。


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