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アール・ブリュットの定義について/Helalbony『異彩の百貨店』
人は
自らを通ったものしか
真に理解しあえない
それなりの時間を生きてみた感想
(もちろん例外もあるだろうけれど)
だけどそれをどうにかしたいから
誰かと分かち合いたいと願うから
人は芸術を生むのかもしれない
だから集い、話し、歌い、かき、奏で、演じ、触れ合うのかもしれない
ヘラルボニーのアーティストさんたち
彼らと同じ境遇にいる愛する息子を通して
僕は彼らを知った
2017年
息子を通し
『理想と現実について』/マティス展/Henri Matisse:『 The Path to Color』
理想と現実の衝突
人生はあらゆる衝突でできていて
その間の隆起したところで
バランスボールに乗ってるみたいな格好で
人はある種の「妥協」と共に生きている
(と勝手に思っている)
フォービズムというものに対して
(小生の浅はかな知識の中でだが)
「自分のクリエイティブとは違う領域のもの」
という偏見があった
けれど結局ひっくり返った
誠に僭越ながら
マティスの言う
「色彩とデッサンの衝突」
「
『抽象というものについて』アーティゾン美術館_『ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ』
短時間でいかに多くの情報を収集できるか
深さや真意などより表面的な数字
「目に見えないわかりにくいモノ」を退け
「目に見えるモノ」
「自分の脳に優しいモノ」だけをチョイスできる時代
社会(特にビジネスシーン)にいると
「抽象」という存在がひどく弱いものに思える瞬間がある
社会が求めているものは「具象のみ」であるような気さえしてくる
けれどいざ社会を抜け出すと
「抽象」は時として
否、
ほとんど
J.D.サリンジャーについて/『バナナフィッシュにうってつけの日』は『サリンジャー入門にうってつけの書』
ちょうど去年の今頃、蔦屋で発見して即買いした
「しししし3 特集:J.D.サリンジャー」
サリンジャーなんてものは、昨今の若者からは敬遠される存在
(流行ってすぐくらいの頃の『アキネーター』ですら「サリンジャー」を当てられなかった)
であると思っていた。
「サリンジャーに傾倒した時期がある」
などと言うと、いろいろな意味で、
「ある種の人間」としてカテゴライズされてしまうのではないか
という自