声に出してはいけない日本語 『家族』を考える

はい、懲役太郎で、ございます。

まあそうですね、今回は家族の話、といっても一般的なね、父母、きょうだい親戚っていう実の血縁の家族の話というのはメインではなくて。
まぁそれに対して、義理の家族、親兄弟の肩書きで呼び合って繋がる関係性というのはヤクザでも当然ありますし、これが普通の人達の間でもそういうのってありますよね。

でね、私この、以前には電話相談もやっていて、その中で実の家族との関係に悩んでいるっていう人の話も沢山、聞いてきたわけですよ。
だから、家族っていうのはもう、形が何かコレって決まってるものでもなければ、全ての人が全ての家族が、理想的で完璧で、幸せだなんていう事は無い。そうではない人も当然沢山居る。
というのはよく分かってるんです、これはもう、そう言えるだけの数を聞いていますんでね。ええ。

それが分かった上でね、私は、義理の家族っていう物も自分の経験でよく知ってるわけですよ、ヤクザをやってた頃に盃を交わした親父も兄貴も居て、そういう関係性、そういう世界のやり取りを知っている。
それを知った上でヤクザに先は無いって見切りをつけて飛んで抜けて、一般の社会の中で暮らして歳を取っていき、そしたらまあ、年長者で、おじさんなんでね、「お父さん」とか「兄貴」って呼んで来る人が出てくるようになってって。

そういう経緯を全部ひっくるめて考えていって、これはもう大部分、説明がつけられるようになってきたなという、話です。
要は、全部がそうとは決めつけては申しませんが、そうやって血の繋がりの無い義理の家族関係というのを、持ちかけて、呼びかけて来る。
これっていうのは、柔らかく言っても、その人言って来た人の理想の家族を押しつけて背負わせるっていう面のが大きいっていう事なんですね。

もっと言ったら、まぁそれが愛情であったり、金だったり何かをしてあげるっていう労力だったりでやり方は色々なんだけど、それの搾取のため。
家族だとみなしてそう呼んだら、その相手からもう搾取していいんだよね、っていう目的のために呼んでいる
そういうのが正直な話珍しくない、なんかこう、
『自分に得をさせてくれる相手が家族なんだ』
『家族なんだから自分が頼んだらそうしてくれないのはおかしい』

みたいなのがどっかで滲み出てくる。

そんなわけは無いんですよね、実の親子・実のきょうだいが必ずそうはならないのと一緒で、家族はそんな万能で便利な物ではないですよ。
だけど、それが義理の、疑似的な家族ってことになるとなんでかそういう事になってくっていう、これはもう言葉で人を縛る、このnoteのシリーズでね、最初に私がね、言っていた『国語力』の、言葉の力の悪用、と言っていい物、なんです。


なんでここまで言えるかっていったら、これはもう実際の例のこれ以上ない物を僕はこの目で見てきたからですよ。
何度も言ってますようにある死刑囚とね、拘置所で手紙のやり取りをしてた事があって、その当時はまだ死刑確定ではなくてそういう事ができる状態でしたから、その手紙がね今も現物を持って手元にあります。はい。
でそのやり取りの中で、その時はまだ私は現役だったんで、その彼は「自分を舎弟にしてくれ」って頼んできたんです。
私はそれを受け入れたんですよ、それで彼を懐柔して、甘えられるような繋がりを作って話を引き出せるようにしたかったっていう意図もあったんで。

それでその手紙の中で私の事を「兄貴」と呼んで、まぁ彼なりの距離の詰め方っていうのを見せてきた。
そしたらまあ、これも繰り返しの話になってアレなんですが要求ばっかり書いてくると。
単純に「お金を送ってくれ」っていうのもあったし、私がその時居た組織の上の人間に「よろしくお伝えください」とか「いつか紹介してください」とか、あとはハッキリ言ったら「自分のために動け」っていう労働力ですよね、彼の裁判、彼の戦略に対して僕に「お知恵を貸してください」って書き方は丁寧なんだけど、よーく考えてください、この当時私も拘置所に居て一緒なんですよ。
立場は一緒。ね。

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