声に出してはいけない日本語 過去の自分と会話が成立するか

はい。懲役太郎です。

えー、いつもはね、この……なんて言うの、なるべくどんな人にも通用するように、とか、折に触れてのタイミングで?いろんな場面で活かしていけるような、事。
そういう風に思ってこう話そうとしてるんだけど、今日のこの話はねえ、人によっては参考にしなくても、いいというか、私はじゃあやってるかっていったらやってないんですよ。

「なんだ、それでお前自分でやってもない事を偉そうに」ってね、言われるかもしれませんがそれはそういう、ちゃんとした理屈があるんで、っていう事なんで。えぇ。
まあどういう話かっていったら、今皆さん、Twitterとかインスタとか、まぁブログだったりとにかく何でもいいんだけど、昔にさかのぼって昔の自分が言っている、その時何を言っていたか、何を考えていたのかっていう風に今そうやって見返した時に、今の自分と意見が揃ってない、部分がねもしあったとしたら、それに対して昔の自分に今の自分が、言い負かされないかどうか、ていうかその……今の自分の意見をちゃんと肯定できるのか?というのを、自分と向き合って考えた事がありますか?という話なんです。


だから私がやってないっていうのはそういう事なんですよ、ね、もう、接見禁止で何年も誰とも連絡が取れない中、それと刑務所の懲役の中とでもう一生分やってきた後なんで。
そのやってきた結果が今なんですよ、いちいち来た道を引き返すまでもなく、今が一番良い、昔より今の方が知れている事も分かっている事も増えてるんで、世の中も周りも状況は動いてる中で、そこを読み取った上での、今自分が何を言うのか何を思うのか、っていうのは昨日より今日、今日より明日の自分の方のが良くなってる、そういう自負がある

そうしてやっているところに「お前だって、あの時ああ言ってた・こう言ってたじゃないか!」とかってコメントで言われるとだから、違うんだよなぁって、1回言ったらもう変えちゃいけないの?ってそんな馬鹿な話はあるわけがなく、「いや一度言ったからには」なんて凝り固まらないで、違ってるところは直すし、その都度方向を修正してやってきゃあいいと。
だから昔と今で言ってる事が違ってたらそれは昔は昔、今は今だと思って、今のこの私の言葉で説明する必要があればね、してるってことで。だから聞く方のね皆さんも、今の、それを聞いて、そう思っていただけたら。はい。

なんで、そこのところを、「今の自分が一番良い自分なんだ!」と腹を括ってやれる人だったら、だからこの、昔を振り返るという手順は必ずしもやらなくていいという事。ちゃんと自分の口で説明できるならですよ?できてないならそれはきちんとなってないんで、違うんで。

で、そうじゃない人、というか、『今の自分って大丈夫なんだろうか?』『気付いていないだけで実はおかしな事を言っているんじゃないか?間違ってないか?』っていうのを、考えているとなった時に、ひとつの判断基準としてそういう、まず過去の自分の視点を使って、変わったか変わってないか見るという方法もありますよという、そこから比べてどうなのか?って、まぁそのやり方が絶対合ってるというわけじゃなくて、手段としてそういう物もという事なんです。

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