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今更。

※この話にはかなりのフィクションが織り交ぜられています。


先日、友人と茶をシバいていた。

(↓友人参照↓ 尚ハプバーには行かなかったようだが、意識を取り戻した時にはベッドの上で全裸で寝ており、信じられない金額を一晩で使った模様。)


まぁ女なんてたくさんいるから元気だしな、と解散しわたしは電車に乗り込んだ。こんな時に通信規制とはなんと運が悪い。しかしどうやら都営地下鉄は車内にWi-Fiがとんでいるらしい、神かな。ツイ廃発動。


すると、すぐにショッキングなニュースが飛び込んできた。


絶句した。

乗換駅で降りるのを忘れ、なんとか引き返すも、その後もどの電車に乗ろうか判断がつかなくなるくらい心を乱された。それくらいショックだった。


希死念慮にとらわれていたあの頃、わたしは音楽が好きだった。

今も好きだけど、あの頃は本当によくライブハウスに足を運んでいた。

大雨の中傘も差さずに開場を待っていたことがきっかけで知り合い結婚まで考えた男もいれば、喫煙室でライターを借りたことがきっかけとなり今でも連絡を取る友達もいる。それくらいわたしはライブハウスにいた。

あの頃のわたしは、酒を飲んでる時、煙草を吸っている時、献血をしている時(わたしは自傷行為代わりに献血をしていた時期があった)、そしてライブを観ている時は幸せだった。生きている実感があった。


そんなあの頃のある日、わたしはいつものように都内のライブハウスにいた。

その日は何組かバンドが出演する対バンのライブで、そこに「赤い公園」はいた。

わたしは「女が嫌いな女」なので、なんとなくガールズバンドというだけで嫌煙してしまうのだが、なぜかすごく惹きつけられた。

特にバンドのキーマンである「津野米咲」という人のオーラはわたしの語彙力では「すごい」としか表現できないのだが、この人すごくかっこいいって思って帰宅して調べたら年下でびっくりした。

実際彼女は21歳の若さにして国民的アイドルSMAPに楽曲提供してしまう偉業を成し遂げてしまったのだからそりゃそうだよなと思う。本当にオーラがあった。とわたしは思う。本当に本当にかっこよかったし、わたしもこんな女性だったらよかったと思った。


とかなんとか言いつつ、正直なところ赤い公園をずっと追っていたわけではない。1番好きなバンドだったわけでもない。


では、なぜこんなにショックを受けているんだろう。


今から7年前、2013年。

当時半同棲しているお付き合いをしている方がいた。のだが、諸々の理由によりわたしは彼に興味を失っており別れたいと常々思っていた。のだが、これも諸々の理由により別れられずにダラダラと関係を継続させていた。

半同棲していると言っても彼は出張が多く、一度出張に行ってしまうと1ヵ月はざらに帰ってこなかった。あの頃のわたしには好都合だった。

しかし、月に何回かは事務処理などでこちらに帰ってくる。顔を合わせたくなかった。


そこでわたしはカメラを買った。


元々カメラに興味があったしお花が好きだったので、土日に写真撮りに行くと言ってひとりで出かければいいんだ、という安易な考えにより、わたしはボーナスの支給額が発表された日の仕事終わりに某家電量販店へ出向き即決でカメラを買ったのである。(余談だが、その時は本当に頭がイカれていてなぜか翌月のカード請求額が海外旅行行ったわけでもないのに30万を超えていたので白目剥きながら泡を吹いた。)


※この話にはかなりのフィクションが織り交ぜられています。


カメラを買ってからよく足を運んでいた場所がある。
当時のわたしには縁もゆかりもない場所、広くて季節の花がたくさん咲いている公園だ。
都市を出発し、開発都市を抜けると急にローカル感のある風景が広がる。古びた車両もまたいい味を出している。電車で始発から終点まで1時間、電車に揺られている時間もまた好きだった。

最寄駅から公園まで少し距離がある。
気分を高めるために聞いていたのが、赤い公園の「今更」だった。
公園に行くから赤い公園っていう訳ではないのだが、とにかくこのMVが好きで、聞くと気分が高まった。
実際にやったことはないけれど、広い公園の原っぱで駆け出したくなるような、そんな気分にさせてくれる曲だった。
写真を撮り、疲れるとタバコを吸った。子供の声が響く中、煙は空高くのぼってくのを見つめながら何か考えてるようなフリをしていた気がするけれど、何も考えてなかったような気もする。

その当時の彼と別れ、わりとすぐに夫と付き合いはじめた。
週末は二人で色んなところに行き、カメラを持つ機会も少なくなり、公園の近くに行くことはあっても公園に行くことはなくなってしまった。

訃報を聞いた翌日、東京は秋晴れだった。
「ああ、久々に公園に行ってみようかな。」
そんな気分だった。
娘の面会が終わったら行こうと考えていたのだがどんどん鬱々としてきて、終いには娘の面会時間も30分早く切り上げる程度には心が疲れていた。
彼女の死もショックだし、あの公園に行くのはあの頃の自分を思い出すようでなんだかとても辛かったのだ。
今日はやめておこうと思って寄り道もせず家に帰った。

それから何日か過ぎ、少しずつ心が回復しているような気がした。
今日は晴れている。
再び「あの公園に行ってみようかな」という気分になった。

娘の面会が終わり、自宅とは逆方向の電車に乗る。
あの頃はあんなに遠い街のように感じていたのに、今は電車で数駅だ。
この街に訪れることはたまにあるが、公園に足を運ぶのはいつぶりだろう。

久しぶりに訪れた公園は何も変わっておらず、コスモスが一面に咲いていた。
夢中で写真を撮っていたあの頃、毎日死にたくて消えたかったあの頃、もう記憶も曖昧で思い出せないけれどその頃の自分がきっと今の自分を形作っているのだろう。
まさかあれから7年後、わたしはカメラも持ってないし、死にたくもない。しかも子供もいる。7年前のわたしが知ったらどんな顔するだろう。


帰り道、喫煙所の横を通った。
久しぶりにタバコを吸ってみたくなった。
息を吸い込むと、澄んでる空気が肺を満たした。


なんであの時あんなに意地になって別れなかったんだろう、と今更思った。


津野米咲さん、29年間お疲れ様でした。
同じ時代を生きれてよかった、素敵な曲をありがとうございました。


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