マスクと人間の意識

コロナによる制限の緩和が本格化している。都内はインバウンド旅行客であふれ、会社の歓送迎会や学校のイベントも何ら臆することなく開催できる状況だ。

コロナ前の生活様式に、どんどん戻っているなか、まだまだコロナ禍の状態を維持しているものもある。
マスク着用だ。マスクの着用については、政府方針の通り、原則個人の判断に委ねられている。着用していない人も増えているが、体感からすると、まだ着用している人が多数派だ。

着用を継続している人の理由は何だろうか。コロナ感染の防止の人もいるだろうが、「まわりへの配慮」が理由のケースも多いと想像する。未着用者に対してネガティブな反応をする人がいるかもしれないという気持ち。それだったら、完全に習慣化した行為をわざわざ止める必要もないと考える人は少なくなさそうだ。

かくゆう僕も、マスクはしないことが増えたが、マスク着用者が大半の場所へ行くと、なんとも言えない微妙な「気まずさ」を感じることがある。
コロナ前には全くなかったこの気持ちを感じた時に、人間の意識をここまで変えた事実にちょっと恐くなった。
違和感でしかなかったものを当たり前にできること。人間は環境に慣れてしまうこと。価値観とは、どこまでいっても判断・解釈であり、容易に変化すること。一種の洗脳ってことだよね。今書いていて気づいたが、洗脳って「脳を洗う」と書くのか、僕が感じた恐さそのものを表してくれているではないか笑

まっさらに洗う大掃除ではなく、キチンと整理整頓はしておきたい。


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