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風疫一過 #3

#3 when we leave

こんにちは。
"何しても体力がついてこない"タケサンです。
今回は横浜旅行最終日の模様です。
それではどうぞ。

メンバーはやっぱり以下の通り。

旅行後も関東で少し滞在するらしい ラム
新幹線組では1人目の下車 カレン
翌日結婚式に向かうらしい カズ
やっぱり四国は監獄だと思う 筆者(タケサン)
新神戸から広島までひとり ソルティー


昨日(本日)午前4時まで明け散らかしたせいで朝9:00の全員のテンションがお葬式。
さらにはなぜかトイレが封印されてしまっていた。如何にしても鍵が開かぬ。
→結局ドアガチャして開けた。脳筋。
※ドアは壊れていません。

今回泊まったホテルはなんと文化財に指定されているタイプ。しかもそのエリアでコーヒーを頂ける。せっかくなのでそこで朝食をいただくことに。朝ごはんは前日買っておいたコンビニ食。
朝食つけるとホテル代が洒落にならないからね、仕方ないね。
ちなみに買っておいた朝ごはんはおにぎりだがコーヒーとの相性はすこぶる良くない。
そらそうだ。

こちら宿泊ホテルの文化財ゾーン。
大正ロマンがすごい。
お嬢様がいらっしゃいそうですの

本日の予定は横浜に戻りなんやかんやするというプラン。つまりノープラン。
時間は盛大にあるのでせっかくなのでもうちょっと鎌倉を観光。
そういえば昨日鎌倉旅行のド定番に行けていなかったのでまずはそこから。

ホテルフロントに荷物を預け、ホテルから少し歩き鎌倉名物大仏へ。

でっかい!

旅行したのは平日、しかも台風上がりだったので大して人はいないだろうとタカを括っていたら、めっちゃいた。学生の遠足だ。
完全に忘れてしまっていた。この時行楽シーズンである。我々も中高時代浮かれてたではないか。

学生sの潮流に逆らい、なんとか見学をした。調べた限り大仏にも御朱印はあるらしく、ここでも戴いておいた。
高徳院、ていうんですよ。(ペダンティック)

貴重な大仏の背中。
背中、開いてるんですね

大仏から離脱中の学生に擬態揉まれながら大仏を脱出。

横浜に行ってもよかったが私の希望でもう一ヶ所行かせてもらった。
紫陽花寺こと長谷寺である。

しかし、ガチ寺ムーブをかます私を前に最早誰もついてきてくれなかった。
1人での参拝。

すごかった。
あわよくば6月に来たかったが、それでも寺好きには十二分に満足。

長谷寺観音堂
洞窟の中に入るやつ。
マニアックな学生たちも入っていった。

参拝後入口に戻ってくると私以外の4人は井戸端会議をしていた。4人を回収(いや私が回収された方か…)して漸く横浜に戻る。

この時点でおよそ11時。

これから横浜名物家系ラーメンと中華街に攻め込む。
ホテルに預けていた荷物と共に、再び湘南新宿ラインで横浜に。

横浜駅到着後、歩いて家系ラーメン総本山(らしい)吉村家さんへ。

/脚注
筆者は基本的に衣食に疎い。
故にこれ(家系ラーメン)についても最早、にわかともいえないレベルで無知である。
/脚注終

到着してみるとすんごく人が並んでいる。
食事にありつくまで軽く1時間はかかりそうな程の人数ではないか。

5人の総意で、ここに並ぶとこの後の中華街の時間がないなるという訳で向かいにあった別件の家系ラーメンへ。

家系ラーメンはじめてなのにトッピングでキクラゲとネギを乗せた結果、やたら緑と黒を強調してくるラーメンができてしまった。
結論、美味しかった。
(画像は確実にメシテロになるので自粛します)
[日付削除済]に[地点削除済]で[物品削除済]を食べたような気もするが気のせいだろう。

食後、また吉村家さんを覗いてみると、人はさらに増えていた。
本当に凄まじい人気である。

そそくさと横浜駅に戻り今度は中華街を目指す。
ラーメンを喰らった後に中華を喰らうために。

みなとみらい線で数駅。
元町・中華街駅で下車。
したはいいのだが、この駅なかなかに地下深い。
ひたすらに近くにあったエスカレーターを乗り継ぎ、地上へ。
高校時代に訪れたあのやたら派手な門が目の前に広がる…

と思っていたら目の前に広がっていたのは高速欄干と川。

そう、我々は近くのエスカレーターに乗り続けた結果、中華街側の出口ではなく元町側の出口へと到達してしまったのだ!

結局余計に歩くことになり、(主に足に)一悶着ありながらも横浜中華街朝陽門から中華街に入場。

派手っ派手やないかい

高校の修学旅行で一度訪れてはいたが、やはりそちらは高校が決めたスケジュールに縛られることとなるため微妙な感じになってしまっていた。
今回は完全に自由探索である。
あと高校の同級生と再訪するのが何かエモい。

ここでは食べ歩きの「あて」として謎のマスカット飴を頂いた。
美味しかったけど真ん中らへんの飴が硬くて
しばらく噛み付いてグダグダするみっともない姿を晒すことになってしまっていた。
やっぱり食べ歩きのアテは柔らかいのがいいね。
鶏の唐揚げとか。

ここのお土産は安定と信頼のシウマイにしました。

これで今回の旅行で訪問する場所はすべて訪問した。

ついに旅が終わろうとしているのである。

駅からの脱出に失敗した元町・中華街駅からこの三日間親の顔より見た横浜駅に。

ここで諸事情あって関東圏にとどまるラムとはお別れとなる。ブルーライン改札へと向かう地下階段で別れの挨拶を満足するまで済まし、新幹線で帰る為新横浜を目指す。
ラムは我々がものすごい人流に揉まれるのを見送ったのち、踵を返して

行きの心の躍動に比べて帰りのブルーラインのトンネルが帰るとまた始まる果てしない労働と勉学への入り口に見えて仕方がないのだ。
とは言っても帰らないわけにはいかないのだ。
これが旅というものなんです。

新横浜駅の新幹線改札を越え、
新幹線ホームへ。

long bye, good bye, Yokohama.

当時ちょうど飲み物がなくなってしまったのでホームの端っこの方にある自販機まで飲料を買いに行ったのだが、我々が座る自由席は正反対側であった。
新幹線ホームを全部歩くことになった。
新幹線って長いんですね。
徳島で3両編成を見てキャッキャキャッキャしていた私が馬鹿馬鹿しくなってきました。

台風上がりだから所詮大阪名古屋方面なら並んで座れるだろうとたかを括っていたら大混雑でした。
結局、4人で揃って座ることはできず、カレンが降りる新大阪まで得体の知れないおじさんと相席をすることとなってしまった。
もちろん4人離散である。
やっぱり指定席にしておけばよかった。
(あの感じだと直前で取れそうにないが)

初見のおじさんと相席となった私は仕方なくイヤホンをつけ見知った人と物理的に誰も話すこともできない虚無人間となってしまった。
そのままナゴヤキョウトシンオオサカ…
一切お話ができず、厳粛性が求められる新幹線車内で互いに会釈をしたのちにカレンは新大阪で下車、彼は天下の台所の雑踏へと混じっていった。

そして新大阪と新神戸は新幹線で移動するとすぐ到着する距離。
つまり次は私の番だということである。

案の定一瞬で新神戸に到着。
私とカズが下車したのち、広島まで乗って帰るソルティーを乗せた新幹線はけたたましい轟音を立てて漆黒のトンネルへと吸い込まれていった。

下車後、ちょうどお腹の空く18時ごろだったので駅構内の和風レストランでタコワサ茶漬けをいただいた。神戸だからね。タコだね。

食べ終わったのち、カズと別れを済ませる。
そうしてカズは翌日に控えるという親類の結婚式で着飾る服を探して神戸の立派な街並みに駆けて行った。

そうして1人になった。
時間にして19:00。
徳島行きのバスは20:30発。

せめて帰りのバスがどこから出るのか知っておこうと、発車地点を示したスマホのマップを手に新神戸駅舎前をほっつき歩いてみるがどこを見てもバス乗り場っぽいものが見つからない。
「見つからない。」

やばい。

これを乗り過ごすと十中八九重大インシデントに繋がるというのは、誰の目から見ても明らかである。

初秋の涼しい空気に私の冷や汗が凍える。

とりあえず駅舎に入り、しばらく下調べをしてみた。

すると別の新幹線が着いたのだろうか。
大量の人が雪崩れ込んできた。
すると多くの人が駅舎内の下向きエスカレーターに乗って降りていく。

どうやら新神戸駅には下層(?)があり、多くの人が乗ったエスカレーターはそこ行きのようだ。

私も便乗し、下に降りてみるとようやくバスの発車場が私の視界に入った。
そう、発車地点を示した地図は駅舎前ではなく、ここ下層を示していたのだ。

当然発車まで1時間はあったので発車場のベンチに座り込む。

友と旅するという2年来の悲願を達成し、歩き続けた疲労に加え孤独を思い出した虚無人間は充電が尽きかけの携帯電話を手に、秋風に吹かれ待ち続けた。

そして旅の終わりを告げるエンジン音が近づいてくる。

私はバスに乗り本州に暫し別れを告げることとした。

疲労の故だろうか、徳島行きのバスの中、およびその後のことはほとんど覚えていない。

ただ、台風の余韻だろう、四国に至る道に架かる2つの橋はあの朝と同様に揺れ動いていたこと、
そして徳島に到着した私を迎えた母の、あの安堵に満ちた顔はしっかりと覚えている。


横浜鎌倉旅行録 「風疫一過」 -了-

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