浮気都市伝説

『有名人の違法薬物使用や不倫の何が一般人にとって悪いかってことを語ってみる』

浮気都市伝説

『有名人の違法薬物使用や不倫の何が一般人にとって悪いかってことを語ってみる』

 少し前の話題になるが、立て続けに芸能人の違法薬物使用や、“まさかこの人が”というような人物の不倫報道が続いたので、いち視聴者として、どんな風に感じるかという事を語ってみようと思う。

(※以下省略のため、『違法薬物使用』の表記は「薬物使用」と統一させていただく。)

 まず、大前提として、『才能のある人ほど、やってはいけない』と思う。


 ファンが多ければ多いほど悪い意味での影響力が大きいのはもとより、せっかくの類いまれなる才能を、本人が自ら潰しているのだから。

 特に最近報道されたいくつかのニュースやワイドショーについては、役者さんも音楽家さんも、作品や役柄を通して好きな人たちだったし、本当に才能があると感じた人たちだけに、『もったいない』の一言である。


 不倫や浮気についてと、薬物使用。どちらも本人の実力や評価を損なう点では同じだが、感じられるマイナス点は違うので、まずは不倫報道についてから。


 浮気や不倫なら、本人や家族以外に迷惑はかからないと思う人もいるだろうが、有名人や芸能人の方に限っては、それは違うと思う。

 上記のマンガにも描いたが、子供の頃の私は、不倫などの不貞行為をする人は、めったにいないものだと思っていた。けれど大人になって、インターネット環境に触れられるようになると、特にこちらから検索しなくとも、テレビでは一切報道されないような事務所の芸能人や政治家の浮気報道も目に入るようになり、思いの他、不貞行為をする人が数多く存在しているのだと知ることになった。

(ちなみに、奥さんや恋人がどれだけ美しかろうが、家事も育児も仕事もきちんとこなし、聡明で性格も良かろうが、浮気する人はするんだな、という事も最近解ってきました。)

 占いサイトですら、毎日のように『不倫で悩む人へ』の占いメニューが多々更新されている。

 悩みを打ち明ける掲示板などでも、「こんなに不倫や浮気や風俗通いで悩んでいる女性がいるのか」と、驚くほどたくさんの記事が見受けられる。


 という事はつまり、だ。


 私たちが考える以上に、おそらくネットで打ち明けられている数よりも、はるかに多くの人たちが、旦那さんや恋人の不倫や浮気や不貞行為に悩み、苦しんでいると考えられる。

 それも、他人には相談すら出来ない形で。


 例えばここに、旦那さんの不倫に苦しむ女性が一人いるとしよう。

 まだ小さな子供たちのワンオペ育児でほぼ毎日、休む暇もないほど忙しい。

 たまに帰って来る夫は、洗濯や食事の用意だけはしっかり押し付けるが、生活費は渡さない。

 そのくせ、外ではイクメン面で良い夫を演じ、浮気相手と自分の趣味にかけるお金は惜しまない。

 離婚を切り出せば自分勝手な理由で怒鳴り散らし、酷い時には暴力すら振るわれる。


 友人や実家の家族にも相談できず、もう心身ともに、怒る事すらできない程疲れ、最近では好きな役者さんの出るドラマを観るほんの一時間ほどが唯一の心の癒しとなっている。

 

 アイロンをかけ、洗濯ものを畳むこの一時間、一日の終わり、眠る前のやっと休めるこの一時間だけは、嫌な事をすべて忘れて物語に没頭しよう!


 そう思ってテレビのスイッチを入れると、やっていたのはドラマ前の芸能ニュース。

 尊敬し、応援していた、大好きな俳優さんの、不倫報道でした。

「こいつもかよ……」

 ドラマの続きは気になる、だがこいつの顔を見てるとうちのクソ旦那も思い出す!

 ああもう観てられるかよ!! 


 という事も、充分に考えられる展開である。


 というか、私も個人的に、見るたびに嫌な気分になる芸能人の人や、政治家の人がいるのでそう思うのだが(嫌いな政治家は人として間違っていると思う人たちだが)、おそらく、伴侶の浮気に苦しんでいる人は、より深刻に、心の負担になるのではないかと思う。


 目に入るたびに自分の中の嫌な感情を思い起こさせる人間が出演している番組やCMは、丸ごと避けたくなるのが人情ではないだろうか。


『嫌なら観なければ良い』。


 そう、嫌なら観なければ良いのだ。


 けれどこの、“観ない人”が増えるとどうなるか。

 視聴率が落ちる

 ↓

 スポンサーが減る

 ↓

 次回の同ドラマ枠の予算が削られる

 ↓

 番組の質が落ちる

 ↓

 つまらない番組は見ない

 ↓

 視聴率が落ちる

 の、無限の負のループに陥るかもしれないのだから、バカにできない。

 自分だけならまだしも、真面目にやっている他の役者さんやスタッフさん等、何の罪もない人たちのキャリアも潰しかねない。

 今回は俳優さんで例えたが、これはテレビやCM等、定期的に人目に触れる機会がもっとも高いからである。

 最初から浮気しそうなお笑い芸人さんや、一部のあまりにも大御所な俳優さんや、ある意味開き直っている女優さんなら、その後の仕事も変わりなくあるパターンもあるが、良くていじられキャラや浮気キャラとして採用されるくらいの扱いになる事の方が多いのではないだろうか。


 よほどの演技力でもない限り、いやあっても、「でもこの人、不倫してたんだよね」、という人の頭の中の囁きは止められないものだから。

 純愛や正義を語る、本来なら感動的なセリフや演技を、鼻で笑われるようになる事こそが、役者さんにとっての最悪の悲劇だと思う。


 これは薬物使用していた場合でも同じだが(「でもこの人、クスリやってたんだよね」)、視聴者に対する物語への説得力が無くなり、現実に引き戻される瞬間ができてしまう事が、最も重い罪だと私は思っている。

 本人にとっても、一時の欲求に負けて、本来だったら日本を代表する名作シリーズになっていたかもしれないドラマや、映画史に残る一作への出演が消えてしまうかもしれないのだ。


 芸能界に入って、『人生の一時期、ただひたすらモテて、お金を稼ぎたい』と思うだけの人ならばそれでも良いかもしれないが、だからこそ、才能のある人には、誘惑に負けずにいて欲しかったと思うのだ。


 最低限、きっちり別れたり、離婚してからならば、まだ許せる事もあるかもしれないが……。

 

 最後に一応言っておくと、世の中の「まだ世界には真実の愛がある」と信じている人間たちの希望も、そっと削り取っている事も覚えていてほしい。清純派や誠実に見える人ほど。



 薬物使用については、主に作詞作曲を得意としている、ミュージシャンの人を例として考えてみよう。

 音楽、とくに良い歌詞のついた曲は、“物語”に近いものだと思う。


 その点においては、上記の不倫問題と同じく、せっかくの愛に満ち溢れた感動の曲や、人の心や世界の美しさを表現した曲も、「でもこの人~なんだよな」と現実に引き戻されるのは同じである。


 むしろ本人が作詞作曲しているぶん、「何だ口だけかよ」感が大きく、俳優さんほどその存在や作品をテレビなどで頻繁に見たり聞いたりしないものの、それが自分の人生を支えてきたような好きな曲や作家さんだと、そのガッカリ度合いはかなり辛いものがある。


 これは後述もするが、漫画家や小説家などの作家さんでも同じである。


 いくら感動的なものや正義感があるものを描いていても、本人が犯罪に手を出していたため、「どの口が言うのか」と、嫌いになった実例もある。子供の頃は好きで、憧れていた作家さんだったのに、だ。


 本当に、才能のある人ほど、人の道は外れないで生きて欲しいものだ。


 さて、有名人の薬物使用の問題について話を戻そう。

 こういったファンへの心理的な裏切りはもとより、薬物使用については、スポーツ選手における『ドーピング』に近いズルさがあると思うのだ。

 名曲が作られるには、作詞作曲者の感受性やセンス、音楽的な才能が必要なのは言うまでもないと思う。

 だがそれが覚醒剤で得られたもの、拡張されたものだとすれば、その行為は卑怯なものだと言わざるを得ない。

 以前ニュースの特集か何かで観たのだが、使用している間は「音の一粒一粒がはっきりと聴こえ」たりするらしい。

 お酒を飲んでいる時に良い意味で精神的な制約が外れるように、覚醒剤を使用している時にのみ感じられる感覚や、降りてきた詩や曲を頼りに制作しているとすれば、スポーツ競技でルールを無視してドーピングしながら戦っているようなものではないだろうか?

 例えばオリンピック競技で一位になった人が、後にドーピングしていたと発覚したとしよう。


 その試合自体はとても素晴らしく、ドラマチックで、たくさんの人が感動して涙したとする。

 

 その“感動した心”自体は本物である。

 けれど、その試合自体は“イカサマ”である。


 この、自分の中の、「それで良いのか?」という葛藤ほど、本来感じられたはずの清々しさを汚すものはないと思う。


「感動してしまった自分は間違っているのではないか?」という自身の感覚への疑問が生まれてしまった以上、それを知る前の純粋な状態にリセットするのは難しい。

 曲で言えば、「この曲好きなんだけどな」、の「けどな」の部分である。

 

「この曲好きなんだけど、アーティストさんは逮捕されたんだよな」

「この曲好きなんだけど、作ってた時もクスリやってたのかな」

 実際に薬物を使用しながら作詞や作曲をしていたかは本人にしか解らないが、少なくともそう疑われる行動を、本人がとっているのは事実である。


 俳優さんや女優さんにしても、いくら本人が「仕事の時は使用していません」と言ったところで、それを過去にさかのぼって証明する事ができるだろうか?

 役者さんなら舞台や撮影で、アーティストさんだったらライブや収録等で、多くの人と共にぶっつけ本番で挑める度量や、人前に立つ勇気も、一般人の私からすれば、尊敬の対象になっている大きな要素である。


 でもそんな状況に挑める心の強ささえも、薬物に力を借りているとするならば、いっさい使用していない他の同業者の人たちから見ても不公平だと言えないだろうか?

 

 例えば振り切った演技やパフォーマンスが違法薬物のおかげだとすれば、それに頼らずに同じ行動ができる人こそ、認められるべき才能の持ち主ではないだろうか?


 薬物使用から立ち直った人や、立ち直ろうとする人たちの支援はもちろん必要だが、それ以前に、同業者の人たちや、業界全体で『絶対に使用しない』と自分たち自身で戒めることが必要だと思う。


  そして、このドーピングで一位になった選手は、自分で自分を貶めてることに他ならない。


 本来なら薬物使用なしでも、二位や三位の選手と互角に戦えたかもしれない、一位になれたかもしれないのに、ズルをしたばかりに、その他全ての『ルールを守って戦っている選手』以下の存在になったのだ。


 それは選手本人が自分の実力を薬物で汚染してしまったためだ。


 音楽でも演技でも同じ事で、薬物の力を借りなくとも、いつか作られていた曲かもしれないし、できていた演技だったかもしれない。

 純粋な実力だけで、それ以上のものを表現できていたかもしれないのに。


 だからこそ、実力のある人ほど、薬物の力などに頼らないでほしいのだ。

 昨今、一般の低年齢層にも大麻汚染などの害が広がっているというが、小さな頃から青年期の自然な感受性は、宝物といえるほど貴重な物だと私は思う。


 傷つくことも多いと思うが、だからこそ自分の中の表現力が磨かれていく、本当に大事な時期なのだ。


 薬物でそれを汚してしまうのはもったいないし、もし、芸能界で働きたい、表現する事を仕事にしたいと思うのならば、そんな物の力は借りないで、実力で勝負してほしい。

 自分の未来がまだ定まっていない時期に、そんな物に手を出さないで欲しいのだ。


 仮に誰かに誘われたとしても、それが友達や先輩、恋人だろうと、常識として違法で、心にも体にも悪いと解っている物を勧めてくる人たちは、あなたの事を本当に大事に思っていないはずだ。

 芸能人で、今までに薬物に手を出してしまった人たちは、これからの一生を薬物なしで、表現者として自分の実力を示していくか、薬物の怖さや立ち直る術の経験を訴えることで、間違いを償えることを証明してほしいと思う。


 
 最後に、これはタイトルには表記していないが、有名人の性犯罪や動物虐待について。


 これだけは、重罪であればあるほど(たとえ表向きは実刑判決になっていなくとも)、一生、二度と、表には出てこないでいただきたい。

 テレビでもラジオでもネットでも、メディアなどへの露出は控えてほしいという事だ。


 被害者が刑期を終えて罪を償ったとしても、被害者の方は一生心に消えない傷を負っているかもしれないし、その事件の直接の被害者ではなくても、同じような犯罪で心に傷を追っている人たちが、数えきれないほどいるからだ。

 名前や顔を見ればどうしても被害や事件の事を連想してしまうし、被害者は酷ければ社会復帰も叶わず、公に自分の心情を世間に訴えられない立場にいるのに、加害者側はそういった人の目に触れる仕事でお金を稼いで生活してるというだけでも、憤りを感じざるを得ない。


 これは加害者がお笑い芸人だろうが、社会的に地位が高い人物であろうが同じである。


 十年たとうが二十年たとうが、それで『禊が済んだ』なんていう事はありえない。

 何年でも何度でも、加害者の顔や名前、それを連想させる物を見れば、被害者は再び当時の気持ちに引き戻される、それだけの罪を犯しているのだ。

 もし、芸能人仲間で加害者の生活を支えてあげたいというのならば、例えば経営している飲食店の厨房であるとか、事務所内部の仕事など、表に顔を出さずに済む職種を斡旋したり、雇ってあげればいいのではないか?


 私が子供の頃好きだった少年漫画家で性犯罪に手を染めた人たちもいるが、そんなニュースを知るたびに、「この人は読者である『少女』の気持ちは考えていなかったんだ」と、落胆するのだが、それでも売れっ子作家なら問題はないとばかりに、非常に短期間で誌面に復活したりもしている。


 また、今は故人だが、日本における有名な作家で、動物虐待をしていたことを知られている漫画家もいる。(※NHKのドキュメンタリーで、作家の子供の頃の友人が証言していた)


 けれどその作家の作品は、今もアニメやCMでよく使用されているし、こちらが見たくなくともどうしても目に触れたり、聞いたりしてしまう瞬間がある。


 そのたびに殺された動物たちの事を思い、酷い気分になるのだが、そういった作家のマイナス面はなかったかのように伝えられず、今後も日本の代表作家として、作品やキャラクターは繰り返し使用されるのだろう。


 もし私が子供の頃からその作家の動物虐待をするような一面を知っていたら、けして作品は見なかっただろうし、有名作家として尊敬したりはしていなかったと思う。


 この国では結局は被害者の気持ちよりも、犯罪の罪深さよりも、金銭の方が重視される世の中なのだと、心底情けなく、悲しく思う。


 長くなったが、どんな人間でも間違いをまったく犯さないということはありえないだろうが、最低限、自分の意識で踏みとどまれる事はあると思う。


 一生を台無しにしないためにも、才能のある人ほど、悪い誘惑があった時には、それが本当に自分にとって後悔しない選択なのか、一度真剣に考えてみてほしいのだ。


最後まで記事を読んでいただき、ありがとうございます!(^-^) サポートしていただいたお志は、創作や猫たちと生きるための糧として、大事に使わせていただきます!!(T ^ T) 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします♪m(_ _)m