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『虎の血』阪神タイガース、謎の老人監督を読んでつらつらと考える

『虎の血』~阪神タイガース、謎の老人監督~
村瀬秀信 著 集英社刊

『虎の血』を読んでつらつらと考えた

岡田監督は阪神タイガース応援サークル 早大“猛虎会”に籍を置いていたという
私も学生時代、籍を置いていた早大プロレス連盟“闘魂”は、その猛虎会から派生したサークルだった
早稲田と阪神はなにかとつながりがあり、そこに私と岡田監督の4者はいろいろと因縁があるのだwww

戦後から東京オリンピックくらいまで、そろそろ証言者が全滅してしまう時期なんで、故に、こういう「秘録」みたいなの出版ブーム
特に昭和最盛期平成衰退期の文化は白秋を迎える我々にとって「青春の総括」をしてみたくなる

神奈川県川崎市、京浜工業地帯が活況を呈した時代の大変治安の悪い地域で生まれ育って
関西にはゆかりのないのに、なぜ子供のころから阪神ファンだったのか、自身でも謎の一つ

『虎の血』のタイトルの通り、タイガース愛とは何ぞや、虎の血とは何ぞや、というくだりが多い
消化できないような敗戦や球団としての姿勢が問われるストーブリーグなどなど、何度、もうプロ野球見るのやめようかと思ったことか
こんな阪神ファン特有でありつつ、選手にとっても球団との確執があって、いつの間にかファン、選手、共有する想いになってしまった

少年時代は地元の大洋ホエールズ子供ファンクラブ会員だったので、友人たちと川崎球場に通った
あの頃のカクテル光線に包まれた球場はガキにとってC級グルメと社会性のワンダーランド
テレビに出てる子役のやつが実はとんでもない不良で球場のトイレでカツアゲされるとか都市伝説も流行り
C級グルメは忘れられない味で、ライトスタンドの上で輝く赤い満月は怖かった

大洋の子供会向け特典の緑とオレンジの帽子はペラペラで、デザインも素材もとにかくダサかった
同時に子供会に所属した日本ハムファイターズの帽子は本物仕様かと思うくらい素材が豪華だった
子供心に大洋のやり方が正解だとは思った
子供会員としてはマルハのちくわをほおばりながらホエールズを応援していたのだが、横浜スタジアムができるとともに、あっさりと川崎球場は捨てられてしまった
この時も大洋のやり方は正解だと思った
子供会も強制解散だったような

川崎にはロッテオリオンズが残るのだが、当時のパリーグ、おっかないオヤジたちが見守る中でおっかないオヤジたちが野球をする世界
とてものめりこむような素地はなかった
実家はラーメン店を営んでいて、しょっちゅう近鉄バッファローズの応援団長のおっさんが来店してたが、応援団同士の乱闘の話をよく聞かせてくれた
本書に出てくる往時のタイガースの選手たちの恐ろしいばかりのおっさん度は、このころ、完全にパリーグに息づいていた

現在のパリーグの選手のかっこよさを見ると、脱皮をした蝶々を思わせる

そんで当時のテレビ神奈川は自前ナイターよりも、おそらく放映料が安かったのだろうサンテレビ率が高く阪神戦の中継がよく放映されたのである
ラインバックにブリーデンはもちろん、遠井、池辺、佐野、古沢とかのバイプレイヤーたる面々にも親近感がわき、、
ダメな子への愛情は、ダメであればあるほど熟成されていく
高校・大学と、横浜・神宮・ドーム・甲子園と足繁く通ったもので
甲子園遠征なんか、3連戦3完封負け、1点も取るところを見ることができずに兵庫県を後にしたこともある

当書の岸監督、早稲田の大エースだった方
当時、プロ野球より大学野球のほうがはるかに上位だったから、ちょっと生まれるのが遅ければ実は大スターとなり普通に監督になれた人だったんだろう
純粋なスポーツ・学生野球、お金をまわすための道具・プロ野球という上下関係が高度経済により逆転していくんだから、時の運というものにより変則な人生になったのだろうなぁ

そういう意味でも
プロスポーツ黎明期の雰囲気が伝わってきて感慨深かった

スポーツはピュアなものでなければならない、という拘り

そこに怨念のようなものを絡み合わせるのがプロスポーツである
個人的に本書を読みながら思い出したのが、ふたつの日韓戦
いろいろググって思い出した

1976年11月24日 韓国・ソウル奨忠体育館
WBC世界Jフェザー級タイトルマッチ15回戦
王者・ロイヤル小林(国際・55・3キロ・WBC世界Jフェザー級王者)
挑戦者・廉東均(韓国・55・0キロ・WBC世界Jフェザー級1位)
結果
廉が2対0の判定勝ちでタイトル獲得に成功。小林は初防衛に失敗。
レフェリー 吉田勇作氏
公式採点
吉田氏 146対146
森田氏 148対146(廉)
崔氏(韓国) 148対144(廉)

1Rに喫したスリップのようなダウンで王者・小林は最後まで“逃げ回った”廉東均を捕らえられず無念の防衛失敗
この時に「ホームタウンデシジョン」という概念を初めて知る
テレビの前で、スポーツなのに、、、と歯噛みした

そして、会場の熱狂度合いとかジャンボ鶴田のエキサイトぶりに目を見張ったのが、次の試合

1977年11月7日 韓国・ソウル特別市文化体育館
インターナショナル・タッグ選手権試合60分3本勝負
挑戦者・大木金太郎、キム・ドク
(2-1)
王者・ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田
①馬場(15分27秒体固め)大木
②ドク(5分8秒リングアウト)鶴田
③大木(2分17秒片エビ固め)鶴田
※大木、ドク組がタイトル奪取

虫唾が走り本能が呼び覚まされるような敵役
これこそがジャンルとしてのレゾンデートルなんではないのだろうか
※ちなみに、ともにプロ野球のオフシーズンの11月の開催というのも注目してほしい

巨人あっての阪神
新日あっての全日

なんだろう小ばかにされてるほうに感情移入してしまう習性
なんとか手を貸して、勝たせたいという

そして、だいたい満足できて、たまにめちゃくちゃ裏切られるけど、やっぱり満足できる

ファンでいる自分に納得できる、それが阪神タイガースなんだろうな

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