ならない、という選択

美味しく、楽しいティータイム。
学校から帰ると、手作りのスコーンが焼き上がる香り。
一緒に出されるのは、もちろん淹れたての紅茶。
ごく一般的な家庭ではあるものの、非常にマメな母によるおやつの時間。

母は誰よりも早く起き、家族のお弁当を作る。
早朝に出勤する父を外まで見送り、風邪を引いていても制服のブラウスにはアイロンがかかっていた。
ついでに、編み物も繕い物もする、お祭りの時には浴衣も着付けてくれる。
まさに良妻賢母。
辞書に
【良妻賢母】: 私の母
と載せてほしいほど。

自慢の母。
そして決して越えられない壁である。
 
絶対にあんな風にはなれない、そう幼心にわかっていた。
反発でもなく、憧れでもなく、"なれない"
し、"ならない"。
例えるなら
宇宙飛行士や落語家のように、なりたい人もいるだろう。尊敬もする。けど、私はならない。
という、決意という程のものでもない思い。
母も父も歌丸師匠も皆、違う1人の人間だということ。それぞれで良いのだということを他でもない母に教わった。
私は母にならなくていい。
越えられない壁は、私の前に立ち塞がってはいない。
 
 
あの頃の私と同じようにランドセルを背負った娘が帰ってきても、焼きたてのスコーンなんて無い。
お弁当だって毎日作れない。寝坊もする。

だけど、おやつの時間に一緒に紅茶を飲む。
手作りのお菓子じゃなくたって、ペットボトルの紅茶だって美味しい。

私のおやつの時間が、母のおやつの時間に劣っているとは思わない。
だって娘も私も笑顔なのだ。
美味しく、楽しいティータイム。
全然違うけど、本質は同じ。
あの時、母がこだわっていたのは"手作り"じゃない。
私たちの笑顔だから。

明日も娘と選んだお菓子と紅茶で
一緒におやつの時間。

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