現代アートは、「士族の商法」から脱却できるのか。

先日書いた、この記事の続きみたいな話になるけれど。

この件。これまで散々足蹴にされてきた人たちや業界からの積年のなんとやら…は、かなり根深いらしく。

佐々木俊尚さんがシェアしていたこのまとめでも、芸術への支援を求める演劇関係者がつい最近「和牛商品券」案を猛批判していたことが掘り返されていた。

こうした流れの中で、筑波大学の掛谷先生のこのツイも話題になっている。


これはなんというか。

いままで土木建築業を敵視し、電気などのインフラも軽視し、農畜産業を侮蔑し、あいちトリエンナーレで多くの人の心の拠り所を焼いて侮辱して「芸術だ」「自由だ」と開き直ってきた人たちの「高尚な」芸術が、今まで足蹴にしてきた人たちの気持ちにどこまで向き合えるか? が問われてくるのかもね。

今、どう振舞うかの胆力も、芸術関係者は試されているのかもしれない。


ぶっちゃけ内心がどうであろうと構わない。内心は当然、自由なんだから。

ただし重要になってくるのは、芸術を守るために頭を下げられるのか、それとも自分自身のプライドを守るために「士族の商法」を押し通すのか。

一般商売では自分のせいですらない理不尽な事象やクレームに、下げたくない頭を下げるなどは日常茶飯事。家族なり、生活なり、趣味なり、夢なり、自分が大切にしているものを護りたいからこそ、必要とあらば理不尽を前に自身のプライドを簡単に捨てたり、汚れ仕事や悪役、嫌われ役に徹する「働きアリ」はたくさんいる。果たしてそれが「キリギリス」さんたちにも出来るのか。

実際問題、「芸術の危機」に対して、(本人達には自覚が全くないのだろうけれども)まるで「くれない族」のようにお客様根性全開に「カネをよこせ!」と口汚くナジったり、「高尚な我々がどうなってもいいのか!」と上から目線でふんぞり返るばかりでは、それが美しいかどうか、正しいかどうか的な問題ではなく、現実としてたくさんの人の支持を集めるのは難しいのだろうね。

まさに「バラモン左翼」的であり「士族の商法」。こういう特権意識がにじみ出てしまっては「商売」には向かない。

「商売なんて芸術には関係ない」というなら止めないけれども、果たしてそれで芸術は護れるのだろうか。そもそも護ろうとしているのは本当に芸術なの? あなた個人の食い扶持やプライドではないの?なんて。(や、食い扶持を護ろうとするのは当然なんだけど、そのために芸術を人質にとろうとしている場合、割と見透かされるんじゃないかな?)


一方で一般商売にたくさんの苦労があるのと同様に、芸術関係にもまた、芸術関係ならではの苦労も沢山あるのだろう。それを軽んじてもいけないとは思う。

みんな、知らない他人の苦労や痛みについては軽く見てしまいがちなもの。背景で何が起こっているかなんて実情を知らない人の方が、かえって全てを知っているかのように無責任に、断定的に、躊躇なく相手をぶっ叩いたりしてしまえたりはする。「コンクリートから人へ」「たかが電気」なども、そうした貧困な想像力が生み出した言葉だったのだろう。芸術関係者がここまで想像力貧困だなんて・・・とは思わなくもないけど、まあ、そこは同じ人間だからしょうがないということで。人間だもの。(みつを?)


だから、それは今、芸術関係に向けるべき態度にも同じことが言える。積年にわたって散々やられてきたことへの意趣返しだとしても、わざわざ同じ轍を踏んではいけないよね。

つまり、一つ言えるのは「他人の仕事や存在に敬意を払わずに馬鹿にしたり、ましてそれらを奪うようなことを気軽にやるべきではなかった」ということだと思う。

だから、芸術やそれに関わる仕事そのものをバカにはしない。世界は誰かの仕事で出来ている。これを意識することは、大事な一線なのではないかな。

だからこそというか、現在「アート」関係者にしばしばみられている「芸術は他の仕事よりも高尚だ」という態度に対しては、むしろこういうときだからこそ適切な範囲での批判は必要だと思える。なにしろ今まで一顧だにされなかったんだから、少しは気付いて省みてほしい。しかし同時に、その批判が芸術関係者へのただの「攻撃」、まして「誹謗中傷」「人格攻撃」になってしまうのも避けたい。

芸術関係者からの「歩み寄り」が待たれる。というか、芸術関係者からのそういう歩み寄りがもっと出てくれば、問題はもっと早く解決しそうなものなのにね。

みんな芸術が嫌いだと言っているでもわけでもあるまいに、どうも、芸術を軽視している!大衆は芸術を理解できない!みたいに相変わらず社会を侮辱しながら論点反らして、自分達の責任転嫁し過ぎてるんじゃないかな。それってやっぱり、個人のプライドやエゴのために芸術を人質にしてません??

ともあれ。

いろいろあるけれど、できる限り敬意を払い合いたいところだね。ただでさえ新型ウイルスのせいでどこもかしこも殺伐としているのだから。

みんなで幸せになろうよ? 


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・・・と書いていたら、夕方になってこんな記事を見つけてしまった。

平田オリザさん『製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。』

これは困った。圧倒的な分断・断絶感に絶望しそうになる。

私はね、芸術関係はもちろんですが、農業も、モノづくりも、あらゆる仕事は全て「文化」だと思うのです。それら文化の集合体が「文明」ではないかとも。

異文化や他の文明を否定したり貶めたりしてはいけない。それらに優劣を付けようとしてはいけない。自由や人権、公正さを求めようとするなら当然のことじゃないのかな。

なのに「製造業の場合は、景気が回復してきたら増産して売ればいいじゃない(意訳)」なんてのは、それはもはや創作逸話の「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と変わらないレベルの認識であって…。

製造も技術も、継承が必要な文化である。職人技というものを、平田さんともあろう方が知らないはずがないだろうに。

いや、「モノ作り」を知らない以上、本当に知らないのかもしれない。アレか。パソコンできない年輩の上司が若者に、「これ、パソコンでちゃっちゃと作っちゃってよ。すぐ出来るんでしょ??」というやつと同じか。きっと悪意とか無くて、本当に何も知らずに他人の仕事を過小評価しちゃってるんだ。または、セクハラをセクハラだと思わず「円滑なコミュニケーション」だと思って、滑っていることに気付かない系統のやつじゃないのか。

そうか、こういう認識で「コンクリートから人へ」が断行されたのか。あれだけ多くの人が生業を奪われ、犠牲にされたのか。


時代が時代なら、民衆から革命が起こるレベルではある。

しかし、ここは現代日本。適切な批判を加えつつも、決して断頭台に送るような流れにはしたくないところではあるね。

がんばろう。

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