車道側は筒井あやめと清宮レイの「これから」の歌

タイトルにして改めて思ったのですが、筒井あやめと清宮レイって並んだ時の字面が大変美しい。
そんな二人のお話です。

車道側の歌詞があまりに二人の歌でした。
僕=筒井あやめ、君=清宮レイとなっております。

ポイントさえ抑えていけば、自動的に全歌詞が二人のことを歌っているようにしか思えなくなるので、夜明けの時みたいに引用はしません。
歌詞カードをお手元にご用意していただき、ご覧ください。

・友達=乃木坂のメンバー
乃木坂では、メンバー同士どれだけ仲が良くても友達ではないと考える人が少なからずいます。
西野七瀬と高山一実はグループの歴史の中でもトップクラスに仲のいい二人ですが、二人が友達になったのは西野七瀬が卒業してからです。
グループにいる間は友達である前にメンバーと考えるようです。清宮もこの考え方とラジオで話していました。
また、友達ができない悩みを持っていた筒井に、メンバーとは卒業したら友達になれるよと教えたのは高山でした。
車道側の歌詞をシンプルに読み解くと、幼馴染から恋人になれるかどうかという歌詞のように見えますが、メンバー同士の関係を「友達」として、これからは友達ではいられなくなる、つまり、メンバー同士の関係ではなくなる「別れ」を表しているのではないかと思います。
つまり、友達になるということを「友達じゃいられない」としているわけです。これが面白い。
1サビ、ラスサビの「僕たちはもう何年友達でいるんだろう?」は「いつ友達になるんだろう」の意味になると。

・車道側
車道→シャドウで影という考察も中々に楽しそうではありますが、一旦それは置いておきます。
これに関してはそのままの意味で読んでもいい気がしています。
守る側に立つという意味ですね。
ただ、ここでのポイントとして、僕=筒井が車道側として、歩道側にいるのは清宮ではないということ。
前述の通り、メンバーとしての別れの歌だとした場合、これから僕が守るのは清宮ではなくなります。
清宮に依存気味にあった筒井が、これからは車道側に立ってみんなを守るという決意の歌となります。
車道をシャドウとする場合、まだ乃木坂46という名前が出る前、コードネームシャドウとして呼ばれていた経緯があるので、乃木坂に残る筒井がシャドウ側というのも面白いかも。

・どこにいたって君のことが好きだ
乃木坂の歌詞において、「ここ」は乃木坂を指します。
メンバーじゃなくなっても好きというとてもいい歌詞。
ところで、単純に「僕が成長して、幼馴染との関係性が変わる歌」だとした場合、この歌詞がハマらないんです。
「今までどっちを歩くとか気にしてなかったけれど、今後は車道側に立つよ」という僕の想いがあったとして、「どこにいたって君のことが好きだ」となるでしょうか。
位置関係で好きの度合いが変わるわけでもなし、幼馴染の関係性としたら、別れなのか、恋人に発展するのかもどっちつかず。
それが乃木坂メンバーとして筒井と清宮の別れと、今後友達になるという関係性の変化の歌とした場合、全てが完璧になる。
それを踏まえて歌詞を読んでいくと、あやレイの歌にしか思えません。
印象付けるように最後に歌われる「どこにいたって君のことが好きだ」それが先日のアンダラにも現れていました。

“革命児”筒井あやめは、今後どんな物語を作っていくのか。非常に楽しみです。

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