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「鉄腸」と「おなら」

ダレかさんとナニかさんの花畑_No.04_

ボディービルダー/アーノルド・シュワルツネッガー(ウィキペディア)

吾が〈生意気〉人生の❝屋台っ骨❞

 ぼくが〈生意気〉人生を選択した底意そこいはどこから来たものか、自分でもつかみきれない。…けれども、きっかけになった事件ならワカってる。まだほんの駆け出し少年だった頃、川崎映画街の裏路地で不良少年から「ナメんなよけ」とタカられ、ダイジな小遣いを強請ゆすり盗られた。
 悔し涙のなかで考えた(どうする?)の答えは、漠然と  なにしろ(つよくなる)こと  だった。それから、とにかく(ナメられないように)生きなきゃいかん…と、鉄のように堅くつよい心「鉄腸剛胆」に憧れを抱いた。
 それによってユラユラ動じやすい腹がドシッと据わる。〈腹〉は〈腸〉だ…との、思いキワめが芽生えた。
「不動心」であるためには、まず腸が丈夫でなければならない。

 ならば、その後のボクは鉄腸をモノにできたか。…といえば否。ざんねんながら  ついにそれがデキずにきてしまった。
 話しは小学校の低学年時代に  さかのぼる……

お父さんに似たのかしら…

 「そっか…腹ぶっ壊れたんダ」
 学校に遅刻したワケを訊かれたボクが「おなかこわした」と応えたら、シンパイそうに眉をしかめたその友だち、ぶっきらぼうな大声を上げたもんだから、ぼくはガックリうなだれるしかなかった。
 
 ぼくの腹もち・・・のワルさは、産まれつき。
 ものごごろ  ついたときには、もう「お寝しょ(夜尿症)」で布団に盛大な世界地図を描いており。そんな朝は、母の手でテキパキと庭の物干しに布団が干されるのを恨めしく眺め。お向かいの主婦の「まぁ…立派な地図が描けましたことねぇ!」挨拶の声が鋭く胸に刺さった(注1)。
 お医者さんに診てもらっても「神経かなぁ」でラチが明かず、母は「お父さんに似たのかしらねぇ」と思案投げ首だったことを覚えている。父は水泳の達者だったけれども、胃腸の消化器系に弱点をかかえていた。

 そんなボクの弱みは、都心の私立中学に通うようになってもつづいて。電車通学に馴れることは、目的地まで各駅のトイレ位置を識ることから始まった。なぜなら下痢癖の吾がお腹に、急な途中トイレを要求されるからであり、しかもそれは不意に、待ったなし…にやってきた。
 ついでに、この緊急途中下車トイレ騒動には、オマケが付く。給食がなかったから弁当持参だった通学の、鞄には入らない弁当は別荷物にしていたわけだけれど。うっかりすると下痢腹に気をとられた途端、網棚に弁当を置き忘れる事態を招く。
〈あとの祭り〉は下車駅から通報してもらうことで、なんとか挽回ばんかいはできたが…母さん手づくりの弁当は喰えず仕舞いになり。下校時に終着駅まで受けとりに行くしかなかった。
 それもたび重なると、鉄道電話に出た遺失物係の人から「お昼には間に合わないネ、どうしよう?」となり、ぼくは「よかったら、かわりに召し上がってください」と申し出る羽目にもなり。そうして、後で返された弁当箱は  きれいに洗われたうえ、母宛てに「美味しく頂戴しました」と礼状まで添えられてあったり……

〈鉄腸〉を〈弱腸〉が許してくれない

 そんな腹ぐあいだったから、ぼくは「鉄腸」が欲しかった。
 その想い描くところは、裸になれば腹筋隆々と割れて見るからに頼もしい腹。堅い強い心も、それについてくる。ボディビルダーかボクシング選手のごとき腹。それこそは下痢の不安など毛ほどもない腹(注2)。
 しかし…不安な腹ぐあいに悩み苦しむ…いや脅かされつづける日々は、そんなトレーニング意欲すら受けつけてはくれず。
  やむをえず斜に構えるしかなかった青春時代。ぼくは、キューバ革命・英雄のチェ・ゲバラにあやかって冗談半分に「ちぇゲバ」と名乗ったりしたこともある。「下痢バラ」のもじり・・・いうまでもない。

 こうしてひたすら〈耐え忍ぶ人生〉だったボク。それが、成人の頃を境にガラリと様相が変わることになったのは、アルコールとの出逢い。
 酔いが麻酔の役にたったのかは知らない…けれども明らかに下痢腹を忘れることができた。それにアルコール適性も手伝ってか、いつのまにか周りから「酒につよい」と評判され、とある酒蔵の大杜氏からは「酒豪」の評まで頂戴することにもなった。
 ……とはいえ人生、酔ってばかりはいられない。素面のしらふの日常はあいかわらず、生まれついての下痢腹をかかえつづけてきた。

『河童に屁をくらわす』の図(ウィキペディア)

ヘンな屁の噺

 子どもの頃から下痢腹のボクを悩ませたものが、もうひとつ。
 (おなら=お鳴ら)だ。
 まぁ…世には、悪態をつくときの「へっ」もあるのだけれども、これはマジに「屁をる」ほう。放れば…鳴る。それが…
 それもボクの場合には(屁を放るのがコワ)かった。

 むかしの噺家はなしか(落語家)には、まくら・・・(本題に入る前の小噺)の下ネタ噺の上手がいて、たとえば「屁が出た、驚くことなかれ、屁は肛門の欠伸あくびなり」とか、「屁にブー・スー・ピーの3種あり、ブーは音高く臭い薄し、スーは音低く臭いつよし、ピーは少し実の出る音」なんぞとっていた(注3)。

 大人にオモシロいものは子どもにもウケて、ハシャギやイジリのネタにもされたのだったが、ボクにはコレがほんとジョーダンじゃないマジに困りもの。おなら・・・が出そうになって、音が出る怖さをこらえソッと「すかしっ屁」こころみたのに(イケね)実が出ちまったり…

人生の仕舞いくらい綺麗に幕を引きたい

 そうしてよわい八十ちかくまで、不安な腹ぐあいかかえて生きてきて。
 冒頭  お話した「つよい心はジョーブな腹から」との思いは、いまも変わらない  けれども。腸に弱点をかかえ、あこがれの「鉄腸」を手に入れられなかったボクは、かわりに「自分の意思・意見は言う」生意気(なまじいに意気がること)で  なんとかココまでのりきってきた。

 無責任に「ヤレばデキる」と人は言う。けれども、ぼくは  その言葉に「条件が備わっていれば…」と付け加えておきたい。
 だいじな〈条件〉のひとつは「腸」で、「腹ぐあい」に不安があっては「やる気」にもなれない…のが真実だからだ。〈無理〉を言うのがマチガイで、生きもの〈デキればヤル〉ものデス。(そうだよ…ネ)

 ところが、じつは……
 そんなボクの人生が、いよいよ終章にちかづいて、思いがけない劇的な展開をみせることになる。
(往生の間際まで下の世話に手をヤカせる無粋漢にはなりたくない)想いから、諦めかけていた下痢腹解消〈最後の頼み〉と必死のチャレンジを試みたところ…(詳しいことは  また別のときにあらためてフレさせていただこうと思うが)、なんと半年ほどでおさまってしまったではないか。
 これには誰よりもボク自身がいちばん  いまだに信じきれずにいるのだ。(ほんとかょ…なぁ…だまくらかされてんじゃないだろな)


(注1)お寝しょ(夜尿症)…高知弁では「お寝しょ」を「夜ばぁたれ」と 
    呼び、あの幕末  夜明け前の風雲児  坂本龍馬も、幼時は惰弱であ 
    ったと司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に書かれてある。…が、そんな
    ことが免罪符になってくれるワケもない。
(注2)ボディービルディング…1980年代アクション映画界に勇名を馳せ、
    歯を食いしばっての厳しいトレーニングを日課としたアーノルド・
    シュワルツネッガーの「痛みなくして、得るものなし」は、いまも
    スポーツジムで大人気の標語とか。ちなみに国際ボディービルダー
    ズ連盟の創立はボクが生まれた1945年、その10年後には日本ボディ
    ービル協会が発足している。
(注3)落語の「まくら」や「前座噺」…噺家によっては、本題噺よりオモ
    シロい人が少なくないけれど。有名な前座噺(短い噺)に「転失気
    (てんしき)」があって、意味は昔の医者言葉で「おなら」。それ
    を知らない和尚が〈知ったかぶり〉をして〈しくじり(失敗)〉を
    繰り返す滑稽噺。


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