なぜ、僕たちは小説家になりたいのか?
小学生の頃、僕の夢は小説家になることだった。
そして、今日までその夢は続いている。
しかし、そんな夢を抱いているのは僕だけではないはずだ。
口には出さないものの、僕が出会ってきた多くの人々は小説家になりたいと願っていた。特に、僕は大学時代、文芸サークルに所属していたが、そこにいる人々のほとんどは大なり小なり小説家になりたいと願っていた(と僕は偏見で解釈している)。しかし、大学生にもなると、そんな非現実的な夢を堂々と語るのは恥ずかしい(僕自身も含め)。だから、実際に小説家になりたいとは口にせず、その夢を胸の中に秘めたまま大人になる。そして、小説家ではない何か別の職業に就き、死んでいくのかもしれない。
思えば、映画監督や小説家、漫画といった自分を表現する仕事は、憧れる人が多い。自分がしたい表現活動を行い、承認欲求を満たしながらお金を稼げる仕事はとても魅力的だ。しかし、だからこそ倍率は高いし、人一倍自分に対する謙虚さが必要な仕事なのかもしれない。自分が何者かになりたい。周りに認められたい。
誰もがそう思っているからこそ、それを成し得るのは大切なものを犠牲にする覚悟がある人間と、大切なものを犠牲にしてきた人間だけなのかもしれない。多くの人は何かを犠牲にする直前で、自分が何者かになることをそこまで重要視していないことに気づくのかもしれない。
僕が好きな言葉に「夢なんか豚に食われろ」という言葉がある。夢を語ることができるのはそれがいかに難しいか、その夢を口にするのがいかにおこがましいかを認知していない人である。夢を叶える人はそれを口にする暇などなく、ただ目の前のことに実直に打ち込むのだそうだ。そういう意味では、僕はまだまだ未熟者だし、精進が足りない。
まずは目の前のことを全力で取り組もう。
どんなに傷ついて辛いことがあったとしても、全てを受け止めて自分の糧としよう。自分の弱さを言い訳にせず、プライドを打ち捨てよう。
日々謙虚、日々感謝。
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