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なんか生きんのんてしんどい思たけどな、ぜんぜん気のせいやったわ⑤

こんにちは 翡翠です😊

前回のシリーズ④の続きのお話です

こちら↓をご覧頂けると流れが分かりやすくなるかと思いますので、宜しければ御一読ください


エピソードNo.5


私には子どもが3人
兄には娘がひとりと息子がひとり
私には姪と甥ですが、もうひとりの娘と息子でもあります


私が19歳の時に姪は生まれました
小さな彼女をひと目見た時から溺愛し、毎週土曜日に兄夫妻がデートをする時に預けに来てくれる事を楽しみにしていました

当時私は祇園で働いていて、今とは違いバブル期終盤でまだ賑わっていた頃です

祇園で働きだす迄の私は散々悪い事をしてきましたが、意外かもしれませんが家事だけはやっていました
京都に来てから両親は共働きだったので、お手伝いをするという感覚ではなく私の方が時間があるからできる人がやればいいだけだと思い、試行錯誤をしながらしていました
確か9歳からです

最初は出汁をとる事も知らなかったのでなかなかの仕上がりのお味噌汁に闘争心のようなモノが湧き元々何でも気になる事は追求してしまう性質なので
料理に興味が出ました
中学生になった頃には母親に作り方を聞かれるくらいで、他にも編み物や裁縫も追求し、和裁にハマり着物が縫えるようになったり、バイクがどうやって動くのかも気になり分解していちから組み直したりもしていました
悪い事をしながら家事をして何かを追求している様は、その情熱が学校や勉強に向けばと何度言われたかわかりません
50分程度で次の科目に変わる授業では、興味が沸いたとしても次の時間に追求する事も許されないというなんだか流れ作業の様なおかしなシステムだと感じた私は、やはり馴染む事は出来ませんでした

そして祇園では追求し続けた料理が役に立ち、忙しくてお通しが無くなると私が作る事もありました
アルコールにアレルギーがあるのでお酒は一滴も呑めませんが、土曜日は休むと言うとママに舌を引っこ抜かれそうな勢いで止められましたが、そんなのはお構い無しで姪と一緒に過ごす時間を楽しんでいました

私に1人目の子どもが生まれた時は、姪がお姉ちゃんになったように喜んでくれ、一緒にオムツを変えたりしていました
その時の兄も幸せそうな顔をしていたので、いろいろあったけど良かったな、と思っていました

そして姪が5歳の時に甥と私に2人目が誕生
また私はひと目で甥を溺愛し、土曜日は甥と私の2人目の子どもを並べて寝かせ、双子のようにしていました

兄嫁はお酒が好きで毎日晩酌をしていたのですが
甥が生まれてからは夕飯を作りながら夕方から呑みはじめるようになり、何時から呑もうが楽しくキレイに呑めるなら良かったのですが、兄嫁はしつこく絡んでくるタイプ
夜には育児が出来なくなるほど呑み、舌も回らない酩酊状態で電話をかけてくる事もしょっちゅうありました

大体は自分がお酒を呑んでいる事への言い訳と、私を恥ずかしいと言い貶める内容です
馴れちゃってほとんどまともには聞いていませんでしたが、聞く余裕がある時ばかりではありません
そんな時は言い返しましたが、酔っ払って覚えていないのでまた繰り返し電話をしてきます

兄嫁の母親もその電話に乱入してくる事もあり、2人共同じように酩酊状態で私を貶めていました

なんやねんあの母子

さすがに兄に何とかしてくれるように言いましたが、兄は自分の妻から毎日深夜まで私と同じ事をされていたので

すまんな、俺も出来るもんならとっくにしてる

2人でため息をつきました

姪や甥が夜中に熱を出しても、朝になってもお酒が抜けていない兄嫁
兄が仕事を休んで病院に連れて行っていました

姪が入院した時も兄が夜に付き添いを交代して兄嫁は家で呑む
退院してからのご飯も買ってきた自分のアテのような物が並び、姪と甥は小柄で少し痩せていました

その頃にはデートする為に連れて来るのではなく
私に預けて兄嫁は呑みに出掛け、兄は仕事

夏休みや冬休みになると初日から最終日近くまで姪と甥はうちに居たので、ここぞとばかりにご飯を食べさせ家に帰る頃には顔色も良くなり少しふっくらとなっていました

私に子どもを預けている間の兄嫁は家事をほとんどせずに毎日飲み明かし、姪と甥がうちに居る時でさえ酩酊状態での電話をしてきました

高校にも行ってないくせに、とか
悪い事ばっかりしてたから、とか
ちゃんとした仕事もした事ないくせに

などのバリエーションに富んだ事を言い
語尾には全て「恥ずかしい」と付いていました

ちゃんとした仕事がどんな仕事を指しているのかも分かりませんが、兄嫁にとって私は恥ずかしい存在だったようです
その恥ずかしい私に子どもを任せっきりなのにそんな事を言う兄嫁を受け入れる事なんて出来るはずがありません

兄嫁が何故そうなったのか
育児に不安があったのか、兄に不満があったのか
兄嫁も自分の母親に同じ事をされたようですが
例えそうだとしても、私も育児に自信があるわけじゃないし、ましてや兄の子ども
それなりのプレッシャーもあります
自分の旦那の事は自分で何とかすればいいだけで
過去に母親にされた嫌な事を自分が親となったいまそれをするという事も理解が出来ない
それがお酒を呑む理由にもならなければ
育児をしない理由にもならないし
ついでに言うと、私を貶める理由にもならない

兄嫁が言うように、確かに私には学がありません
悪い事もたくさんしました
勉強をしていい学校に入り
いい会社に入り
いいお給料をもらう
私に出来なかった事をしてきた人を尊敬しますが
父の兄弟が父にした事や、祇園で働いている時に見たエリートと呼ばれる人達の事を考えると
そうする事が必ずしも幸せに繋がるとは思えなかったし、そこに価値を見い出す事が私には出来ませんでした


翡翠ちゃんがお母さんやったら良かった

姪にそう言われた事があります
とっくにそう思っていると言いましたが、まだほんの10歳の子どもがそんな事を口にするまでの過程を思うとやり切れません

それまでずっと兄嫁にどこか遠慮をしていましたが
料理や洗濯、家事全般を一緒に遊び感覚で教え、私の携帯番号と住所も暗記させ
どんな時でも思った時に来るようにと言いました

かつての兄が私に言ってくれた言葉と同じです

お酒を呑んで自分の問題から逃げる兄嫁も、向き合うべき兄嫁から逃れるように仕事をする兄にも、私にはこの2人が上手くいく要素が見つけられませんでした
兄の事は好きでしたが、それは兄妹だからではなく私を幼い頃から尊重してくれたひとりの人として好きでした

ある日、こんな話を姪に聞きました

学校をサボった事が兄嫁にバレた時があったそうで
それを叱るよう言われて姪の部屋に入った兄は

お母さんに言われたし今から怒るしな

姪は笑いながら話していましたが、私は笑えませんでした
学校をサボった事なんかどうでもいいけど、兄嫁の顔色をうかがうような事をし、その場をやり過ごすだけでなんの意味も成さない事をする生き方をしている、それが自分の兄だと思うと腹立たしく思いました


兄は飲酒を止めさせようとはしていました
努力はしていたのだと思います
でもその度に喧嘩になり、それを理由に兄嫁はまた呑んで絡む
ご近所から通報されるぐらい2人は喚き散らし、駆けつけた警察に兄は連行されました
手を挙げるような事はしていませんが
散らかった部屋で泣いている女性と、見るからにガラの悪い興奮した男性がいる図柄だけを見れば
私でも兄を連行すると思います
連行された先の警察署で兄は事情を説明し、それを知った警察は駆けつけても連行する事はしなくなりました

相次ぐ通報に退去勧告を余儀なくされた兄家族は県外に引越しをしましたが、少しだけ不便な地を選んだ事で兄嫁は呑みにいけなくなり更にエスカレート

高校卒業後は私の家の近くに就職をしひとり暮らしする事を決めた姪はその事を兄嫁に話ました

家から出て行くんやったら今までの学費と食費返して

甥には冷蔵庫の物を食べると泥棒呼ばわりをし
学校以外での人との接触を断たせ
電話を使えないように電話線を抜き
その電話の側で兄嫁は見張ってもいました

私はその頃は交通事故でのリハビリをしていたので何も出来ませんでしたが、それを聞いた時は言葉に詰まりました
自分の子ども達とあの子達の為にも私は私でいなきゃいけないと思い、それが今こうして再びご飯を作り、自分の足で歩けるようにした理由のひとつになっています

兄は甥を仕事場に連れて行きましたが、現場仕事なので甥が敷地内に立ち入る事が出来ない場所もあります
夏休みや冬休みは長期出張になる仕事を取り、甥を一緒に連れて行きました

そして、兄は会社の事務をしていた女性と深い仲に

その女性は私より1つ歳下で、兄の亡くなった友達の奥さんで子どもが4人
事情を話すうちにその女性に惹かれていったそうで、いい人だと言っていました

私が口を出す事ではないし誰がどうだって構わないのですが、その女性は家に帰りたくないと大泣きする中学生になった甥に

学校は行かなあかんし家に帰るしかない

一見まともな言葉のように思えますが
母親は呑んだくれて喚いてばかり
お腹がすいても自由に食べる事も出来ない
見張られてロクに遊びにも行けない
それに私がいつ動けるようになるのかもわからない

その女性にも子どもがいるのに、唯一心が安らぐ父親の元から学校だけが理由であんな家に帰そうとする人が私にはいい人には思えませんでした

兄は甥を家に連れて帰りました

またまた次回にこの続きを😊


交通事故のお話はこちら↓をご覧ください


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