【理屈っぽい人が考えない人から良く思われる1つの手段】



感情的な相手に理性的に突っ込むとそり合わないという趣旨の事をこの記事で書きました。元々はあちらの記事の追記という形でこの文章を書いていましたが趣旨が全く違うので新しく文字起こししました。(その記事ではでは感情的なところは良いよね。と謳っているのにこの記事にて否定するような形になってしまっているのを俯瞰すると本文の価値が相殺されてしまっているのでこの記事を書いている今の私はそういう気分だということでよろしくおねがいします)

突っ込む人というのはつまり矛盾などのおかしな所を言語化し相手に指摘するわけですがこの行動には相手から「理屈っぽい」という印象を抱かれる要素があります。
言語化された理論を言ってくるというのは相手からしたら言葉を理解するステップが必要になってきますが、それを面倒くさいと思う人がいる、つまり教育されるのが面倒くさい人がいる事は可能性からも否定できない。
教育されるのが面倒くさい理由を「わざわざ考えて理解するのがいやだ」であると仮定して、
そんな考えるのが面倒くさい人に対して理屈っぽい人がどのようにして(感情的な)相手から好感を持たれるかというと、

理性的なところを挫折して本文では一緒になって感情的になり共同体意識を持つことを1つの方法として記述しましたが、理性的な所を挫折しないでいくと錯覚資産やバイアスなどを用い、善悪おいといて感情的な相手を「印象操作」させることです。つまり心理学の知識が有用になってきます。
(一応善悪を考えてみると、「相手から不快感を抱かせないようこれから良く思われる為に印象操作をして良いのか」という題目で議論をする必要がありそうです。)

先程、面白いとを見つけました。

https://gamp.ameblo.jp/mupepe/entry-12236984837.html

こういう事を考えているのが清々しく意味なく思えてきます。
考え方としては記事の頭で紹介した私の以前の記事に似ています。



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