【無粋長編】amazarashiというバンドを概観把握するためのamazarashiアルバムランキング②

無粋長編分割版第2回です。
ここらへんはマジで悩みました。
第3位〜第5位はすべて同率3位だと思って下さい。


5位:『千年幸福論』

1番最後に入手したアルバム

そう。
『千年幸福論』は自分にとって最後のアルバムだ。
amazarashiにはまって、当時中学生の自分はBOOKOFFでamazarashiのCDを買い集めていて、そして一番最後に買ったアルバムがこのCD。
たしか『メッセージボトル』→『地方都市のメメント・モリ』→『夕日信仰ヒガシズム』→『ワンルーム叙事詩』→『ラブソング』→『ねえママ あなたの言うとおり』→『世界収束二一一六』→『虚無病』→『あんたへ』→『爆弾のつくり方』→『アノミー』→『0.6』→『千年幸福論』とかの順で買った気がする。あんまし覚えてない。
何故か後回しにしてたアルバムなのだ。アルバム名的にそそられなかったのかもしれない。中学生だし(?)。

けど好きな曲がたくさん入ってるアルバムだ。
中学二年生の私は、「空っぽの空に潰される」を聴いて本格的にamazarashiの魅力に目覚めたし、『メッセージボトル』収録の「美しき思い出」はCDが擦り切れるほど聴いた。

(このMVめちゃんこ好き)

そんなんだから『千年幸福論』を初めて聴いたときちょっと後悔した。「なんでもっと早く買わなかったのか」と。

初っ端から重めのオルガンで始まり、「一滴の涙が海に勝るとは知らなかったな」というたった一文の雄弁性と抒情で撃ち抜いてくる「デスゲーム」。息ができないほど苦しい思いを歌ってくれた「逃避行」や「夜の歌」も大好きだ。ここらへんは中学生の内に聴けて良かった。また数年経ってから聴いたら別の良さが出てくるんだろうけど。とにかく名曲の連打
純文学とかを読んでる気持ちになって、心に沁みこんでいくのを感じた

逆に、最後に聴いたアルバムだったからこそ、ここまで感じ入ることができたというのもある。
amazarashiをある程度理解した後に、原初にして初期衝動の終着点である『千年幸福論』を聴いたからこそ、ここまで響いたのかもしれない。
amazarashiの中でも結構重要なアルバムだと思う。

けど結構、「夜の歌」とか「デスゲーム」とか、LIVEではあんまし歌われないイメージもある。
amazarashiのフルアルバムの中では結構目立たない。
けどめちゃくちゃ好きなアルバムだ。
amazarashiが好きな人ほど好きだと思う。


初期衝動ダダダ

これも『ボイコット』と同じように「バラエティに富んだだけのアルバム」だと言える。テーマの一貫性はない。
だがただ「バラエティに富んだだけのアルバム」ではない。
何か、アルバムとしての核があって、聴いている私たちを貫いてくる。

まず、私はミニアルバムの延長線上としてこのアルバムがあるのだと捉えている
だから『千年幸福論』は『夕日信仰ヒガシズム』以降のフルアルバムとは全く別のものとして考えるべきだと思うのだ。

その理由はいくつかあるが、まずフルアルバムの中では唯一収録曲の曲名がそっくりそのままタイトルになっていることに言及しよう。
他のフルアルバムはまずタイトルがあって、タイトルの一部を取って曲を作ってアルバムの世界観を作っている。
だが『千年幸福論』はそうではない。
表題作として「千年幸福論」があるだけだ。
曲がただ集められまとめられている。
「千年幸福論」というテーマがあるわけではない。

テーマも何もないと言ったが、ではそれなら何故ボイコットよりも順位が上なのか?これは一体どういうアルバムなのか?

言うなれば『千年幸福論』は初期衝動の完結編だ。
正確には「amazarashiとしての初期衝動」の完結編だ。

私は勝手に『爆弾のつくり方』『アノミー』『ワンルーム叙事詩』を「初期三部作」と呼んでいる。そして『千年幸福論』を初期の完結編に位置付けている。
何を以て「初期」と呼んでいるかというと「初期衝動」が感じ取れるかどうかだ。

amazarashiはミニアルバム『爆弾のつくり方』でメジャーデビューした。
そこで彼らはamazarashiというバンドの「表明」をした。
メジャーという場で、そしてamazarashiというバンド形態で、何を歌うのか、何を成していくのか、そしてamazarashiとは何なのか。
それが「初期衝動」として初期の作品群に表れていると感じる。

例えばそれこそ「夏を待っていました」なんかはamazarashiが歌いたい歌の象徴みたいだ。
「夏を待っていました」という簡潔ながらも噛み応えのある雄弁性に富んだ曲名、ストーリー仕立てだと思ったら主人公の内面にフォーカスしていき聴き手の心に入り込むその自由さ、多分なメタファー、希死念慮、少年性、モラトリアム、などなど……。
「こういうのが歌いたいんだ」という衝動めいたものを感じる。

(このMVを初めて見たときの衝撃を覚えていますか?)

『爆弾のつくり方』や『アノミー』なんかは、とにかく様々な方向性、アプローチでamazarashiを表現する。
『爆弾のつくり方』には、amazarashiの創作の動機を歌った歌やラブソング、物語調の詞の歌や人間として生きる自分の業を歌った歌など幅広く収録しているし、『アノミー』も罪と愛をテーマにしたり過去の別れをテーマにしたり振り幅が大きい。

そしてその次の『ワンルーム叙事詩』ではアルバム単位での雄弁性を表明した。
「奇跡」や「ポルノ映画の看板の下で」など、ワンルームで様々思案を巡らすも、「ワンルーム叙事詩」で思い立ち、「真っ白な世界」でワンルームを出て「ワンルーム叙事詩」を終える。
アルバム丸ごと使って物語るということしている。
これもamazarashiとしての「表明」だ。

そしてこの延長線上、初期衝動としての3つのミニアルバムの延長線上に『千年幸福論』がある。

だから言うなればこのアルバムのテーマは「amazarashi」だ。
「amazarashi」とは何たるかを、一曲一曲、様々なアプローチで歌いあげているのだ。

初期衝動ダダダ。そんな感じがする。
だから好き。


曲順凄すぎ。

このように「amazarashi」をテーマにしているだけあって、このアルバムはamazarashiの中では特殊だ。
よって一曲ずつ吟味して「amazarashi」を紐解いていく必要がある。

まずこのアルバムは「デスゲーム」で始まる。
めっちゃくちゃかっこいい曲…。
オルガンとピアノの組み合わせ良いし、なによりベースがバチボコにかっこいい。

初めて『千年幸福論』を聴いたとき、だいぶ驚いた気がする。
「千年幸福論」という名前のアルバムのスタートを切るのが「デスゲーム」って。
なかなかダークな曲調にもまして、「自分自身をまず疑え」とか言ってくる。 尖ってるね。

しかし聴き馴染んだ今となっては『千年幸福論』のはじまりとしてこれ以上ない程適任だと思う。
そして「amazarashi」の表明としてもすごく機能的な一曲だと思う。
「疑心暗鬼の密室」での、つまりこの現代社会での息苦しさ。
しかしそれは自分によるものだと歌う。自分自身を疑うべきだと歌う。そして気付く。

ああ 一滴の涙が 海に勝るとは知らなかったな

デスゲーム/amazarashi

これ。
この一文。
このたった一文の雄弁性。
詩情もあってすごく好き。
一滴程の涙が広大な海以上に意味を持つこと知る。
それは苦しみかも知れないし悲しみかも知れないし嬉しさかもしれない。
海にはない、なにか。
「自分自身をまず疑」って、そして「一滴の涙が海に勝る」と知ってはじめて、「千年幸福論」は語られ得るのだ。

いや、最高。
そしてそれに続く曲が「空っぽの空に潰される」なのも良い。

「一滴の涙が海に勝る」と知ったわけだ。
そして自分自身を疑おうと自己の内面に飛び込んだわけだ。
しかしそこで得たものは?

自分が空っぽだってことだけなのだ。

この曲順めちゃくちゃ「amazarashi」してません?してますよね?
しかしCメロで「恒久的な欠落を愛してこその幸福だ」と「千年幸福論」の足掛かりを得て終る。良い。
でも虚しさは変わらない。曲の終わりは1番2番と変わらず虚しいだけのサビなのだ
ここも「らしい」。

「空っぽの空に潰される」も「amazarashi」の表明としてこれ以上ない位優れた曲だと思う。
曲名のたった一文の雄弁性と抒情は「一滴の涙が海に勝るとは知らなかったな」や「夏を待っていました」にも負けないだろう。

続く曲は「古いSF映画」。
いやね、『千年幸福論』は曲順がだいぶ神がかっている
「空っぽの空に潰される」で虚しさを歌い上げた後、「古いSF映画」でも「僕らが信じる真実は誰かの創作かも知れない」と虚しさを歌うのかと思ったら、2番から雲行きが変わる。そして聴き手はこの曲が「人間性」を問う曲であると悟る。

人が人である理由が 人の中にしかないのなら
明け渡してはいけない場所 それを心と呼ぶんでしょ

古いSF映画/amazarashi

人が人である理由が 人の中にしかないのなら
受け入れてはいけないこと それはきみ自身が決めなきゃ

古いSF映画/amazarashi

デスゲームでも歌い上げられたように、だんだんと荒廃していく現代世界。
それはさながらSF映画のようで、「そういう結末」も無きにしも非ず。
そうなってしまった世界で、「人間とは」を問う。

そんな曲の終わりが自分はすごく大好きだ。

昨日の夜遅くテレビで やっていた映画を見たんだね
不安になるのは分かるけれど フィクションはあくまでフィクション
この先どうなるかなんて そんなこと僕に聞かないで
答えは君自身が見つけて 僕は名も無いアンドロイド

古いSF映画/amazarashi

最後の最後で、語り手が聴き手を突き放してくる。
「フィクションはあくまでフィクション」だとフィクションみたいな世界の住人が言ってくる。
そして「答えはきみ自身が見つけて」と託される。
人間として、自分の「明け渡してはいけない場所」や「受け入れてはいけないこと」とは何か。その答えは自分の中にしかない。
これも「千年幸福論」の足掛かりになる。

(このMVが「夏を待っていました」→「アノミー」→「クリスマス」に続く映像作品の完結編になっていることも『千年幸福論』を位置づける上での手掛かりになる気がする)


好きな曲多すぎ。

『千年幸福論』はポエトリーを挟んで三部構成になっていると思う。

  • 第一節…デスゲーム/空っぽの空に潰される/古いSF映画

  • インターバル…渋谷の果てに地平線

  • 第二節…夜の歌/逃避行/千年幸福論

  • インターバル…遺書

  • 第三節…美しき思い出/14歳

  • インターバル…冬が来る前に

  • エンディング…未来づくり

とまぁこんな感じ。
すると一節ごとのテーマみたいなのが見えてくる気がする。

先触れた通り、第一節は「自己の内面」及びその「人間性」なんかがテーマになっている

そして続く第二節はというと、「夢」とか「幸福」とか、「目指すべきもの」がテーマになっている
「千年幸福論」が含まれていることもあるが、第二節はアルバム『千年幸福論』の中でも特に重要なパートだ。

まず、「夜の歌」「逃避行」が歌われるわけだが、この2曲は結構似てる曲だと感じる。

見えない物だから 見失っても当たり前
今日も僕は僕の心に 確かめて歩く夜明け前

夜の歌/amazarashi

この寂寥に 僕らは生きる
ただ一瞬の 輝きのために

夜の歌/amazarashi

でも それなら なおさら 僕は僕を選ばなきゃいけない
終わりが訪れた時 公開しない僕に出会いたい

逃避行/amazarashi

双方とも「amazarashi」の夢とか希望に対してのスタンスが如実に表れている。
「amazarashi」の表明として、また「amazarashi」の初期衝動として象徴的な曲だと言えるかもしれない。

「夜の歌」の方は特に顕著だ。
amazarashiがコンセプトとして掲げた「それでも」の先に光があることをこれでもかっていうくらいストレートに歌っている。

一方「逃避行」はというと、「amazarashi」の初期衝動が色濃く出ている。

たまらずに人ごみを走った あの日のスピードで生きたいな
掴み取るその理想の重さ 僕らの悔し涙と等価
死に場所を探す逃避行が その実 生きる場所に変わった

逃避行/amazarashi

「辛酸舐める日々の逆境」から逃げて、「生き損なっ」て、「生かされて」「amazarashi」というバンドに繋がる。
そして「掴み取った理想」のもと、私たちのもとに届いている。
amazarashiの初期衝動が逃避行ってところがすごく好き。

そんな僕らの長い旅の先はまだまだ遠いみたいだ

逃避行/amazarashi

「死に場所を探す」=「生きる」。
そんな旅の先はまだまだ遠いらしい。

とか、言っといて。
とか言っといてですよ。
とか言っといて次の曲は「千年幸福論」なのだ。
これがすごい。
要は諸行無常、永遠などない、っていう歌なわけだけど、それだけじゃない。
「終わりはいつも早すぎる」と、終わりを意識する。
終わりがあることを知るための歌なのだ
「千年幸福論」ってのはつまりamazarashiがいつか終ることを表明する歌なのだ。不謹慎な話、それは秋田さんが亡くなってしまうときも知れないし、それ以前かも知れない。
けどどちらにしろ終わりは来る。
そういうことを表明しているのだ。

『千年幸福論』は初期衝動の完結編だ。
完結編ではあるが、初期衝動のライン上でそういうことを歌うのってすごく「らしい」と思う。

けどこれで終らない。だって『千年幸福論』はただ「終わりは来る」っていうことを言うためだけのアルバムじゃないから。
これはこれからのamazarashiのためのアルバムだから。

次の第三節。
ここで過去に戻る。
それも未来へ進むために、だ。
「美しき思い出」はそのまま過去を回顧する歌な訳だけど、「忘れたいこと」も「忘れたくないこと」もすべて、背負って未来へ行こうとしなくてはならない。
「失くした数だけ 壊した数だけ」得たものがある。
そうしてamazarashiができているっていう「表明」なわけだ。

次の曲は「14歳」。
これは「amazarashiの初期衝動」というより、秋田さんの音楽の初期衝動だと捉えたい。
さらに深堀して表明している訳だ。

そしてエンディングへ向かうわけだが、その前にポエトリーリーディング曲について吟味したい。


てかポエトリーリーディング秀逸すぎ。

『千年幸福論』のポエトリー枠は全て秀逸すぎる。
という話がしたい。

まず詩として良すぎる。
抒情的で胸の内にじんわりと沁みこんでいく感じがする。
歌詞を見ずとも聴いただけで情景が浮かび上がってくるのがすごいし、耳馴染みがいいというか声に出してみたくなる詞なのだ。

特に「渋谷の果てに地平線」は体言止めが上手いし「遺書」は押韻が気持ちいい。
その2曲は歌のパートに入ると一気に情景が展開してくのも凄い。
「渋谷の果てに地平線」は「渋谷の~」で夕焼けに鳥が飛んでいく情景が見えたし(マジ)、「遺書」は「手向ける花は~」で荒野に一陣の風が吹いて冠毛種子が舞う情景が見えた(大マジ)。

また「冬が来る前に」なんかは「詩人秋田ひろむ」の表明だと勝手に思っている。
詩として良すぎる。

「良すぎる」しか言ってないな。
もう完成されすぎてる。
なんかアルバムの構成とかだったら語れるけど、詩は語れない。
詩は自身で自身を語りつくしてるから、あとは聴き手が受け止めるだけなのだ。

いや、良い。
『千年幸福論』のポエトリー枠超良い。

アルバム内での機能的な側面に言及すると、先述した通りアルバムを3節にわける役割なわけだが、これが非常にうまくいきすぎている。

「渋谷の果てに地平線」は、それより前の3曲が聴き手に問いかける内容だったから、情景を映し出すだけにして聴き手の内面に迫る余韻を与えている。

「遺書」なんかはもう「千年幸福論」の「終わりはいつも早すぎる」とマッチしすぎている。
結局誰も彼も最終的には土になる。
その余韻の増幅効果。
また、その上で過去を回顧する「美しき思い出」に繋がるのも良い。
今の自分に引き戻される感じがして「忘れたいこと 忘れたくないこと」の感じ方が強くなる気がする。

「冬が来る前に」は「14歳」の後付けみたいな感じだと思う。
「二度と来ないものを待っている。昨日が来るのを待っている。ずっと」という風に過去への感慨を強調した上で「未来づくり」に進む。
過去を引きずって未来へ進む。
余韻のつくり方神…。

こういうふうに機能的にも良くできてるんだけど、曲単体でも聴き応えがあるので好き。
『夕日信仰ヒガシズム』以降のアルバムのポエトリー枠は、アルバム内での機能的な役割を果たすためだけの曲になっている気がするのだ。
単体でももちろん良いのだけれど、機能性が強くなりすぎている。「まえがき」「収束」「拒否オロジー」なんかは特にそう。
そうした中で、『千年幸福論』のポエトリー枠は曲単体の力強さと機能性のバランスが神がかっているのだ。

『千年幸福論』のポエトリーリーディング秀逸すぎ。


「未来づくり」

最後にこの曲だけ触れさせて欲しい。
このアルバムは「未来づくり」という曲で終っていることに意味がある。

だってよくよく考えてみて欲しい。
ここまで沢山「これがamazarashiだ~!」ってやってたのに(飛躍)、その結論が「未来はこんな風に当たり前にできていくのかな」なの、普通に良すぎるでしょ…。
安易すぎて嫌いな言葉だけど、これは「エモい」と言わざるを得ない。

(というか、「千年幸福論」で「永遠はない」って悟った上で「未来づくり」歌ってる時点でだいぶ良い。)

けど初期衝動を締める曲が「未来づくり」であることに必然性も感じる。
未来への期待。
結局は、amazarashiってそういうことでしょう。
「終わりで始まり」「未来になれなかったあの夜に」「空白の車窓から」など、この曲が今後のamazarashiの方針を決定づけていると言ってもいいかも知れない。

この曲はメジャーデビューする前の「あまざらし」時代にも歌われていた。
「未来づくり」は昔の曲なのだ
それを、この期に及んで持ち出してくる。
それってすごいことだと思う。
メジャーデビューして、「amazarashi」として何を歌いたいかを吐きつくして、けど結局「未来づくり」に戻る。
「amazarashi」の根幹が変わらないことを知る。
「未来づくり」の歌詞にもあるけど、未来が「当たり前」にできていくことを期待する。
すごく…良い……。うまく言えないけど、伝わったら嬉しい。

けど「変わった」からこそ「未来づくり」を今一度歌えた、というか歌いなおせたとも感じている。
メジャーデビューできてフルアルバムも出せて、そうした上で昔の「変わらなさ」に立ち返ることに意味があるというか。

多分歌詞に対する秋田さんの感慨もあまざらし時代とamazarashi時代で変わってると思う。
ニュアンスというか、秋田さんが感じている「未来」も「過去」も「当たり前」も、変わっていると思う。
その上でamzarashiの初期衝動をこの曲で締めたことに意味があるのだ。
「変わった」上での「変わらなさ」。
『千年幸福論』の「未来づくり」はそういう曲だと勝手に感じている。

その証拠かはわからないけど、「今までのことなんて帳消しにしたいんだけれど、今日までの失敗なんて破り捨ててしまいたいけれど」の音程が昔と今で少し違う。

これをただのアレンジだと思えないのは、考えすぎなのかな。


あとがきかも知れない。

『千年幸福論』はamazarashiのダークホースです。

聴き返して吟味していく内にその魅力や完成度の高さに気づくと思います。
かく言う私も今回これを書くにあたって『千年幸福論』の歌詞や付属詩をじっくり読みこんだりしてみたんです。
そして気付いてしまったんです。その凄さに。

『七号線ロストボーイズ』が間違いなく最高傑作だと思っていましたが、揺らぎましたね。
ただ思い入れの観点から言うとあんまりなのでこの順位になりました。

というか冒頭でも言いましたが5位以上は僅差です。ほぼ同率3位です。

次回もよろしくお願いいたします。

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