【無粋長編】amazarashiというバンドを概観把握するためのamazarashiアルバムランキング①

という名目でamazarashiのフルアルバムについて語っていく。
もちろんすべからく『千年幸福論』から『七号線ロストボーイズ』まで。
聞くところによれば先日のSUMMER SONIC 2023にamazarashiが出演した際、「今年中(今年度中?)にアルバム出すよ!」的なことをMCで言ったそうな。
自分は参加してないし配信も観てないのでわからないのだけれども。
(とか言ってたら先日9/1、amazarashiの新しいオリジナルアルバム『永遠市』の発売が公表された。やばい。しかも元ネタあり。詳しいことはまたおいおい書くかも。)

とかくそういうこともあって、今一度「amazarashi」という、(一般的に見たら)独特なバンドについてより深い理解と解釈を得たいのだ。

そうしてamazarashiを探索していくうえで、ランキング形式でフルアルバムをそれぞれ語るというのは無粋かもしれない。
ただ、amazarashiのそれぞれのアルバムが、自分の中でどのような位置にあるのかを知るというのは、amazarashiの、否自分とamazarashiとの関係を知る上で有力な手法だと考える。
だからこのnoteは極めて私的な文章になると思う。

そのことを承知の上で読み進めてくれるとありがたい。
こういうの苦手な人とかは読まないで欲しい。
あくまで私の中のamazarashiなんで。
意見してくれるぶんにはめっちゃ嬉しい。
あなたの中のamazarashiも知りたいから、是非教えて。

(前置きめちゃ長ごめん)


ランキング付けの基準

まず「フルアルバム単体での評価」になることに注意が必要だ。
「フルアルバムを通して聴いたときの評価」と言い換えてもいい。
曲同士の繋がり、曲順、どんな曲で始まりどんな曲で終るのか。
そこらへんが重要になる。
単に「良い曲が多い」とかは評価されない。
いくら良い曲が多くてもアルバムとしてのまとまりがなく完成度が低かったらそのアルバムは駄作だと言い切っていいと思う。

また、先程述べたようにランキング付の基準は私的なものになる。
以下の通りだ。

  • 思い入れの深さ

  • 語れる度合い

  • テーマ性

  • amazarashiの良さが表れているか

  • アルバム単体での雄弁性

思い入れの深さは完璧主観でしかないのであまり考慮しないかも知れない。
というか全てのアルバムに思い入れはあるし、amz曲は全て好きなので、ここら辺考慮してもランキングは上下しない。

「テーマ性」も結構「このテーマは好きだけどこのテーマあんまり」という風に主観になってしまうかも知れないが、どういうテーマを持ってきてどの程度そのテーマを掘り下げられているかっていう意味だと客観的な考慮も入れる必要がある。

「語れる度合い」は単に「アルバム単体をどれだけ掘り下げられるか」ってだけです。安易な言い方だと「どれくらい深いか」。

この中で最も重要なのは最後の二つ。
「amazarashiの良さが表れているか」と「アルバム単体での雄弁性」だ。

まず初めてそのアルバムを一度聴いて、「amazarashi」というバンドを理解することができるか、amazarashiがどういうことをするバンドかっていうのがアルバムを聴いただけでどの程度分かるか、これが「amazarashiの良さが表れているか」だ。

そして「アルバム単体での雄弁性」というのは、アルバムが12曲を通じて、どのようなテーマをどれだけ掘り下げることができているか、またそれがどのくらい伝わるか。
これが「アルバム単体での雄弁性」だ。これは「テーマ性」っていう評価基準と結構被る。

てわけで早速6位~1位の順で語っていく。
低いやつからやった方が盛り上がりそうなんで。

6位:『ボイコット』

『ボイコット』を待ち侘びた時分

最下位が『ボイコット』だと知って驚いた人もいることでしょう。
まぁ怒らないで話を聞いて欲しい。

『ボイコット』は自分の中でも結構思い出があるアルバムだ。
amazarashiを好きになって初めて迎えたフルアルバムのリリースは『ボイコット』だし、初参戦のライブも『ボイコット』のライブツアーだ。

『ボイコット』の情報が解禁された日の興奮は鮮明に記憶している。
それまではyoutubeを開かないと聴けなかった「月曜日」や「未来になれなかったあの夜に」が収録され、理論武装解除でacoustic ver.しか聴けなかった「夕立旅立ち」もバンドアレンジとして収録されるという。
この時点でだいぶお腹いっぱいだ。

さらに、私が初めて見たamazarashiの映像作品であり、度肝を抜かれ虜になった『実験演奏空間 新言語秩序』のキーとなる楽曲、「リビングデッド」が、そして「独白」の完全版(=検閲解除版)が収録されるという。
そしてそれらをまとめ上げる今作のテーマが「ボイコット」だという。

いやもうこれらが発表されたときは正気の沙汰ではなかったかも知れない。
「リビングデッド」や「独白」が「ボイコット」というテーマの中でどのように再び生まれ、それらを経たあとでの「みら夜」がどのように輝くのか。
また「月曜日」を手軽に聞けるようになるってだけで当時の私は狂喜乱舞した。

それだけじゃない。
「みら夜」のあとに「そういう人になりたいぜ」とかいう「雨ニモマケズ」を彷彿とさせるエンディング曲が用意されているというのもすごいわくわくしたし、「抒情死」とかいういかにもamazarashiらしい曲名の曲は本当に楽しみにしてた。

一週間前には「とどめを刺して」のMVが公開された。
いやもうだいぶ暗い内容だった。
清々しさはあるんだけど、暗い。
『地方都市のメメント・モリ』でビー玉みたいに透明なamazarashiになったと思ってたけど、それ以前の重いamazarashiが帰ってきたのか?

しかしそのさらに前にラジオで流された「帰ってこいよ」は、確かに「メメモリ」を経たんだなと感じさせる内容でありながらそのバンドサウンドは今までamazarashiには無い音だった。
とことん期待しまくった。

だが期待しすぎた。
家に『ボイコット』が届いて、CDプレーヤーにCD入れて歌詞カード片手に通して聴いたとき、少しがっかりした。

「アルバム」としての良さが全くないのだ。
「ボイコット」というテーマもいまいちよく伝わらない。
それぞれの曲は確かに良い。だがまとまりなんて欠片もなかった。
少なくとも当時の私はそう感じた。
「アルバム」という表現手法をamazarashiが捨て去ってしまったのだと失望した。

実際この頃のamazarashiは、『新言語秩序』『未来になれなかった全ての夜に』など、「ライブで語る」ことを実践していた。
アルバムを楽しみにしている自分が、少し置いて行かれた気分でもあった。
「もう通して聴くことはないんだろうな」と特典映像の弾き語りを見ながらぼんやり思ったことを覚えている。

「ボイコット」というテーマ

とまぁボロクソ言ってる感じはするが、無論それぞれの曲は大好きだ。
「そういう人になりたいぜ」は弾き語りを聴いて、その曲の優しさと温かさに目覚めたし、「抒情死」なんかは音だけでバリバリかっこいい。
「死んでるみたいに眠ってる」とか「アルカホール」とか、挑戦的かつ実験的で、今までamazarashiになかったサウンドや切り口の楽曲もあって好きだ。
個々の曲についてだったら無限に語れる。

(↑映像としてもすごぶる良い「そういう人になりたいぜ acoustic ver.」)

だがそれは「アルバムについてどの程度語れるか」ということには直結しない。
まずこの「ボイコット」というテーマのチョイスについて吟味してみよう。

『ボイコット』を出す前、amazarashiは『未来になれなかった全ての夜に』というライブを行っている。
これは「未来になれなかったあの夜に」という曲のための、そして「ざまあみろ」と言うためだけのライブだ。
『新言語秩序』のようなストーリーテリングライブではないのに、ライブになぜか「オチ」があるのだ。
そしてその題からもわかるようにかなりamazarashiの集大成的なライブだと当時のファンは思っていた。

だから次のアルバムも当然「みら夜」が入るだろうし、『未来になれなかった全ての夜に』と同じようなテーマのアルバムが来ると思っていた。
だが次来たのは「ボイコット」だった。
私は正直かなり驚いた。
しかし同時に「そういうことをしてくれる」amazarashiが好きだった。

また、「ボイコット」というワードが意味合いを限定しすぎるというのもある。「ボイコット」は、個々人の中でもうすでに明確なイメージがあるワードなのだ。

例えば『地方都市のメメント・モリ』は「地方都市」と「メメント・モリ」という今までないワードの組み合わせで新たなイメージを構築することに成功している。
これは聴き手をアルバムの世界観に取り込みやすくする仕掛けのひとつになる。『夕日信仰ヒガシズム』や『世界収束二一一六』なんかもそうだ。

だが「ボイコット」は聴き手にとって「ボイコット」でしかないため、そこからamazarashiがamazarashiの世界を広げるのが困難になっていた。
「ボイコット」を「拒絶」という風に変換していたが、それをアルバム名に入れるだけでだいぶ違うと思う。

そうした「拒絶」を歌った楽曲、「とどめを刺して」や「抒情死」がアルバム内で浮いてしまっているのも問題だ。
他の曲には「拒絶」以外で確固とした世界観があり、「拒絶」というテーマでリンクすることがない。

山積するは曲順の問題

以上のようにテーマ選びのミスもあるが、曲順のミスもだいぶでかいと思う。
これは正解がない話なのだが。

「拒否オロジー」→「とどめを刺して」の最初の2曲は確かにわくわくした。だがその次に「夕立旅立ち」を入れるのはどうなんだ?
テンションの持っていき方がおかしくないか?

これは『夕日信仰ヒガシズム』の最初と似ている。
「ヒガシズム」という暗いテーマの曲を初っ端にぶち込み、その後に「スターライト」という超絶ポジティブな曲を入れる。
じゃあこの2者の違いはなんだ?

『夕日信仰ヒガシズム』は「テーマの誇示」として「ヒガシズム」を1曲目に入れ、そして「アルバムの物語のスタート」として「スターライト」を入れているのだと思う。
「ヒガシズム=夕方」→「スターライト=夜」という時間変化的な繋がりもあって、全くタイプの異なる2曲ながらも、これは非常に受け入れやすい。
「スターライト」という希望を歌い上げる歌の後に「もう一度」という希望の歌を入れているので、流れを確固たるものにしている。
(ポエトリーリーディングでその流れに緩急をつけてはいるが)

だが、『ボイコット』では「拒否オロジー」で「拒否=ボイコット」というテーマを掲げたあと、「とどめを刺して」から物語に入るのかなと思ったら、「夕立旅立ち」であらぬ方向へ向かってしまった感じがするのだ。
恐らく「とどめを刺して」も「テーマの誇示」に含まれるのだろうが、2曲もの枠を使ってそれをやるのはちょっとミスってるだろう。
「拒否オロジー」は曲名からして「ボイコット」の曲だなというのがわかりやすいが、「とどめを刺して」はそうでもない。
「オープニングが終わって本編に入った!」と思ったらそれもオープニングの一部でした、みたいな肩透かしの感覚。
というか、「ボイコット」のテーマを提示したすぐあとに「旅立ち」がテーマの歌を入れるのってどうなんだ、っていう話でもある。

「夕立旅立ち」の次に「帰ってこいよ」が来るのも安易だし、急に時間が10年くらい経った感じがして呑み込みづらいと感じる。
3曲目に旅立つ歌を入れたなら、9曲目とかに望郷の歌をいれて時間経過を表して、もっとダイナミックに「アルバム」という形式を使い倒して欲しかった。
思えば、「リビングデッド」と「独白」が並んでいるのもアルバムとしてのまとまりに欠く。苦肉の策なのかもしれないが。

「さよならごっこ」~「アルカホール」に至っては、もう聴いてる間「拒絶」というテーマを忘れてしまう。曲が曲単体で独立している。
そして「マスクチルドレン」あたりで「拒絶」のテーマに戻り始める。
「マスクチルドレン」~「独白」までの流れは結構好きだ。
ここでようやく「拒絶」について深堀していく。
(「死んでるみたいに眠ってる」は未だ呑み込めてないので勘弁)

だが、このテーマの締めとして「独白」で終っていけばいいものの、「未来になれなかったあの夜に」と「そういう人になりたいぜ」をラストに持ってきている。
これも始まりと同じだ。「終わるかな」と思ったら終わらない、肩透かしを食らっている。
だからぱっとしない。
というかそもそも、「ボイコット」のテーマの締めが「未来になれなかったあの夜に」と「そういう人になりたいぜ」であるのはアルバムの方向性を曖昧なものにしているとしか思えない

『ボイコット』は、「テーマの問題」というよりも、「テーマを活かせていない曲順の問題」なのかも知れない。

シングル溜めすぎたな

アルバム未収録シングル曲の溜めすぎ。
いやもう『ボイコット』の問題はこれに尽きる。

だってよくよく考えてみて欲しい。「未来になれなかったあの夜に」「月曜日」「さよならごっこ」「リビングデッド」「独白」のここらへんまとめるテーマを探すだけでだいぶ難儀するだろう。
シングル曲の個性が強すぎて自由にアルバム制作ができないでしょこんなん。
多分amazarashiはシングルを2曲以上アルバムに入れない方がいい。
『七号線ロストボーイズ』がそれを証明してる。

次のアルバムは「カシオピア係留所」「アンチノミー」「スワイプ」と3曲シングルがたまっている訳だが、そして各々だいぶ個性が強い楽曲なわけだが、一体どうなるのか……。

ちょっと心配。

駄作ではない

けどね、けどよ?
『ボイコット』は駄作ではない。
amazarashiのアルバムの中では駄作になるけど、一般的な音楽市場から見たら全然駄作ではない。
良曲がたくさん集まってるんだから、これをむしろ名盤と言う人が居てもおかしくない。
実際多いでしょ?『ボイコット』好きの人。

ただ、amazarashiにはこういうバラエティに富んだだけのアルバムというのは向かないんだと思う。
amazarashiの良さってのはあらゆる場面での「雄弁性」だと思っている。
詞を通して語り掛けてくることもあれば、ライブの形式を以てして主張することがある。
それは無論「アルバム」という場面においてもそうであるべきなのだ。
amazarashiが特殊なのは、こういう「雄弁性」に富んだことをしてきて、そしてこれからもそういうことを求められているからなのだ。

「みら夜」とか「さよならごっこ」とかいい感じに有名曲たくさん入ってるし、「死んでるみたいに眠ってる」とか攻めた曲調の曲も入ってる。
「amazarashiがどんな曲を書くのか」ってのを知りたいだけならこれを買えばいい。比較的新しいし。
けど「amazarashiがどんなバンドなのか」っていう深淵は見えてこないと思う。

何故ならこのアルバムは何も語り得てないから。

あとがきかも知れない。

ごめんなさい。長くなりすぎたのでここで一回区切ります。
次のアルバムが発売されるまでに全て語り切りたいとは思っています。
何卒。

あとボロクソ言ってるように見えるけどamazarashi大好きですからね。はい。

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