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励ましのサイエンス 読者篇 水前寺たけこさん

読者 水前寺たけこさん

ある年の夏、会社経営の友人から死亡事故が発生したとの連絡がきた。
倉庫に山積みされた商品が落下し、その下敷きになった社員が死亡したらしい。
原因は、その社員の過失によるものだ。

彼には、遺族に対して安全管理が万全だったと明確に言えない心情があり、遺族への保証や今後の安全管理基準などを含めた対応を指揮しなければならない状況だ。
彼の声質から、数日寝ていないことは直ぐにわかった。

「明日、時間ある?」
彼は何も言わなかったが、今どのような声をかけてほしいのか、今自分は何をすべきなのか、これからどうあるべきなのか、などを「私の言葉」で聞きたいと思っていることが自然と伝わってきた。
私自身、このような状況になったことはなく、自殺した同僚の親族へのお声がけ程度しかなかったので、適切なアドバイスなどできない。

彼と私は、何でも腹を割って話せる30年来の仲だ。
断る理由はなかった。

翌日、私は彼と会い、このように声をかけた。
「プラモデル作らないか?」
彼にとって場違いな話に聞こえたかもしれない。

私は、彼が適切な判断ができるような状況をつくることが必要だと思った。寝ていなければ、どんな優秀な経営者でもその判断はできないからだ。
そして、短期的に一つのことに集中できる「プラモデル作り」という手段で、彼の頭の中から今回の件を一時的にリセットさせることが、私の狙いだった。

彼は素直に聞き入れ、近所のホビー店で好きでもないプラモデルを購入し、彼の自宅でプラモデルを作りはじめた。粛々と作りはじめて15分程経つと、彼の険しかった顔が幾分穏やかになってきた。

「よし、次は海で体を焼くぞ!色黒になって、女の子にモテよう!」
プラモデルはあと少しで完成できるところだった。達成感のない状況で強引に海に誘ったのは申し訳なかったが、私は、彼の顔色から頭の中がリセットできたと判断できた。プラモデルの役割はこれでおしまい。次は彼の体を休ませることだ。

幸い、彼の自宅の前は海だ。
白い砂浜と青い空、そして濁ったダークグレーの海。遊びに来ている人も少ない。
コンビニでサンオイルを購入し、いい年をしたおっさん同士で体に塗りあった。
このとき、二人して笑った。彼にとっては久しぶりだったんだろう、肩の力が抜けたように思えた。
二人で空を仰ぎながら、これまで何度も大笑いした鉄板のネタ話に花を咲かせた。

「次は睡眠だ!30分だけだがな!」
ひと通り笑った後、私は彼の体を休ませることにした。
睡眠時間と脳内の働きは密接な関係があること、そして太陽光は人間の自然治癒に役立つことを何かの本で読んだことがあるからだ。
彼は、1分も経たないうちに寝た。
30分の約束だったが、彼の奥様からの頼みもあり、1時間寝かせることにした。
たった1時間かもしれないが、経営者にとっての1時間はとても貴重だ。
それを承知の上で彼を1時間休ませるには、こういうやり方しか思いつかなかった。

1時間後、彼は自分で目を覚ました。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
彼は笑顔でそう答えた。
彼は夢の中で今回の件の解決の糸口を見つけたんだろう。

私は今回の件について、彼に何も話さなかった。
考える状況をつくっただけだった。

おしまい

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人の頭の中には、「こうすれば、どうなる?」という扉が無数に存在していると思います。そして、インプットされる情報の一つひとつが扉を開ける鍵になっていて、開けては閉めをひたすら繰り返し、その中から最善の扉と鍵を探し続けているのかもしれません。そして扉の先を見るきっかけが「励まし」だと思いました。

扉の鍵は1つではありません。映画「マトリックス・リローデッド」のワンシーンにある「鍵によって開く場所が異なる」という面白い扉です。

ただ、扉を開く先は、(1)心と身体が平常な状態であること、(2)自分事であっても他人事であっても本気で悩んでいること、が必要みたいです。
この2つの条件を満たしていないときは、扉の向こうが見えなかったり、見えたとしても記憶から消えてしまうようです。

今回の私のエピソードは、直接的に励ますものではありませんが、扉を開くための条件のひとつをクリアするお手伝いをしたと思っています。

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