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励ましのサイエンス 其の4 中嶋愛さんの場合

中嶋 愛さん
「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」編集長

中嶋さんは、僕の最初の本『面白法人カヤック会社案内』を世に出してくれた編集者です。2018年には『鎌倉資本主義』をいっしょにつくりました。

今年4月、プレジデント社を退職され、「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」編集長に就任されました。実は、この「励ましのサイエンス」も中嶋さんとの会話の中で生まれたものです。では、伺ってみましょう。

未経験の仕事で怒られるばかりの毎日

31歳の時、米国スタンフォード大学留学から帰国して、プレジデント社に入社しました。中途採用なのに編集は未経験。留学経験などすぐに活かせるわけもなく、ゼロからのスタートでした。

雑誌「プレジデント」編集部に配属され、カバシマさんというベテラン編集者の下につきました。未経験の私を育てるために預けられたのだと思いますが、カバシマさんは、夜はお酒を飲んでいろいろやらかし、昼間はデスクで起きているのか寝ているのかよくわからない。奇妙な生き物を見る思いで眺めていました。

やがて私はTさんという作家を担当することになりましたが、やることなすこと怒られる日々でした。電話がかかってきては「君じゃ話にならない。カバちゃんに代わって!」と言われ、悔しさを堪えながら電話を代わってもらうこともしばしば。

そんなある日、カバシマさんから「Tさんと二人で米国出張に行ってきて」と言われて顔面蒼白になりました。

大手メーカーの米国法人を取材するもので、西海岸のカリフォルニアから東海岸のニューヨークまで横断する大がかりな取材プロジェクトでした。ムリですと言えるわけもありません。

転職後、初めての海外出張で倒れる

出張では、取材のコーディネーター兼通訳兼運転手を務めました。今から考えると、そういう時は現地のコーディネーターに依頼するのですが、なにごとも未経験だった私は、「そういうものなのかな」と言われるがままにやっていました。多少の土地勘はあったとはいえ、朝起きてから寝るまで1秒たりとも気の休まる間のない心労がたたったのか、数日目にして倒れてしまいました。

幸い予備日が1日だけあったので、Tさんには「今日は食事はルームサービスですませてください」と言って、ホテルの客室で気絶したように眠りました。翌日、どうにか起き上がれるようになり、朝食会場に向かうとTさんから「昨日、カバちゃんに電話したよ」と言われました。

「中嶋さんが倒れちゃったけど、どうしよう? って聞いたらカバちゃんがさー、首に縄つけてでもニューヨークまで行かせてくれって言ってたよ。彼女は大丈夫だからって

なぜか嬉しそうに話すTさんを前に、私はクラクラきていました。私の容態すら知らないはずなのに、何を勝手なことを…。でも丸一日休んだおかげか体力もすっかり回復したので、そのまま出張の行程を続けました。

不思議なことに、あれほどこわかったTさんが出張後半になるにつれて優しくなりました。最終日の取材を終え、Tさんは一足先に帰国されたのですが、ニューヨークのホテルの客室のドアの下に、「ありがとう」というメモが差し込んでありました。道中いろいろあったけど、ニューヨークまでたどり着けて本当によかったと思いました。

今でもよくわかりません。カバシマさんは、なぜ私を出張に行かせたのか。なぜ「大丈夫だから」と言ったのか。もちろん帰国してから聞きました。でも「グフフ」と彼独特の笑い方をするばかりで、はっきりとした返事は返ってきませんでした。今では鬼籍に入られたので、確かめる術もありません。

でも、その出張をきっかけに、仕事に自信が持てるようになりました。Tさんからは、上司に代われと言われることもなくなり、私にいろいろ相談してもらえるようになりました。留学経験があるから、得意なところで見せ場をつくってやろうと思ったのか、私がSOSを出さない限り、やり遂げるだろうと踏んだのか、あるいは何も考えていなかったのか。すべては推測に過ぎませんが、励まされたエピソードと聞いて、なぜか真っ先に思い出します。

留学先で就職活動に行き詰まっていた

「励まされた」ということでもう一つ思い出すのは、留学中に出会ったクリスティーナという友人です。

米国滞在中、就職活動がうまく行かずに落ち込んでいると、クリスティーナから電話がかかってきました。不採用通知ばかり受け取っていると愚痴を言うと「あなた、何枚レジュメを送ったの?」と聞かれました。20枚くらいかな、と答えると、

「たったそれだけ!? アメリカ人はね、100枚くらい平気で送るのよ。まずは100枚書いて送りなさいよ。20枚くらいじゃ落ち込む資格もないわよ!」

と言われました。

でも落ち込んでいる時に、そんな前向きなことを言われても煩わしいじゃないですか。それに生粋のアメリカ人である彼女と違い、こっちは言葉やビザの壁もあるのに、わかったようなことを言われたくない。そんな私の気持にまったく気づかず、クリスティーナはさらに畳み掛けてきました。

「じゃあ、あなたがむこう5年間でやりたいことを20個リストに書き出して! 今度会う時、私に持ってきて」

思わず「Why?」と聞き返しました。面接に行けば志望動機を聞かれるし、大学の就職カウンセラーにも相談している。なんであなたにそんなリストを提出しなきゃいけないの、と。

電話を切ってからもしばらく気持ちがザワザワしていたのですが、気が付いたらなんとなくリストを書いていました。たぶん20個も書けなかったと思います。でも書いているうちに、少し見えてきた。無理にアメリカに残らなくてもいい。ふっとそう思いました。

その後、クリスティーナに会っても、彼女はリストの話は一言もしませんでした。私からもしなかった。

単なるおせっかいですよね。でも落ち込んで悪い方向しか見られなくなっている時、ズカズカと踏み込んできて、別の方向を向かせてくれる人がときには必要なんだと思います。個人の領域には誰だって踏み込みづらい。ましてや最近では、下手なことを言えばハラスメントと言われかねません。そんな中、遠慮も忖度もなしに他人の領域に踏み込んでくる勇気を持つ人に救われることもある。

「励ましのテロリスト」と言ってもいいかもしれませんね(笑)。こっちが窓を締め切って布団をかぶっているところに、窓を叩き割って乱入してきて耳元で大声で励ましてくれるわけですから。考えてみれば、私の祖母もそんなところのある人でした。

「励まし」とは何か?

やなさんと話してから、励ましってなんだろうとずっと考えています。

励ますというのは不思議な行為ですよね。褒めるとも違う。感謝するとも違うし、慰めるとも違う。共感でも応援でも同情でもなく、偶発的で衝動的で瞬間的なもの。極めて個人的で、ある意味では無責任なもの。

カバシマさんが「大丈夫だから」と言ったのも、私を間接的に励ますつもりだったのかどうかさえわかりません。その言葉を受け取った瞬間には、私は励まされたどころかうっすら怒りさえおぼえました。「何が大丈夫なんだ!」と。

励ましは交換にはなり得ません。贈与として人の手から手へと渡される。相手が励ましとして受け取るまでには、しばしば時間差がある。暗号とも似ていますね。誰かの発した言葉や振る舞いは、自分が解読する鍵を持つことで、初めて励ましという贈り物に変換される。

やなさんは、人の話を聞いた時や本を読んだ時、よくわからなかったり納得できない話こそ、とりあえず頭の片隅に放り込んでおくと書いていますよね。時間が経ってから思わぬ人生のヒントになることがあると。

最初はただの暗号でしかなかったものが、時間が経って、経験を重ねるうちに、自分の中に暗号を解く鍵ができて、贈り物であったことに気づく。時間を超えて励まされるというのは、そういうことなのかもしれません。

やなさわ:励ましは交換ではなく無責任で一方通行なもの。まさにその通りだなと。だから皆さん共通して、自分があの人に励まされたのに、その張本人は、まるで励ました記憶がなかったと言うのでしょう。

でも、それだけではサイエンスにならないので、この連載をしているわけですが、時間差があるということは考えていませんでした。少し経ってから、あれが励ましだったんだとわかる。そんなことが、もしかしたらすべてに共通しているかもしれないです。次回のインタビューから、エピソードを伺った時に、いつそれが励ましと感じたんですか? と聞いてみたいと思います。


そして、法則がまたひとつ見えました。「励ましのテロリスト」。ズカズカ踏み込んで別の方向を向かせる。これも励ましのひとつの方法ですね。ただ、これは結構嫌われたりムカつかれたりする覚悟も必要で、自分も痛みを伴う気がします。だから、できる人が限られる。

この連載は、どうやったら人は励まされるのか、励ますことをできるのかを解明するためのものですが、自分が誰かを励まそうとした時、それぞれのスタイルがあるということなのだと思いました。ちなみに、僕はちょっとテロリストにはなれないタイプです。


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