見出し画像

励ましのサイエンス其の2 土屋敏男さんの場合

土屋敏男さん
日本テレビ放送網株式会社 R&Dラボシニアクリエイター

これまでの人生を振り返って、励まされた記憶がありません。僕は「盗んだ」と思っています。

いろいろなところでお話していますが、僕の師匠は、テリー伊藤さんと萩本欽一さんの二人です。「お前を弟子にしてやる」と言われたわけではありません。二人からたくさんのことを教わりましたが、僕が勝手に師匠だと思っているだけです。

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では、放送作家の出してくるアイデアを「これは使える」「使えない」とテリー伊藤さんがたった1秒で判別しているのを見て、どうしたらそんなことができるのか尋ねました。すると「作家が番組のことを考えるのは1日1時間。俺は1日16時間毎日考え続けている。できるに決まっているだろう」と言われました。

ああ、そうか。才能じゃなくて、圧倒的に時間をかけるかどうかの差なんだと心に刻みました。

萩本欽一さんは、笑いを科学的に分析して教えてくれたことがあります。笑いには「フリ・オチ・フォロー」の要素があり、オチの後に周囲の人が何秒間笑うことで観客席に笑いが広がるんだと、ホワイトボードを使って説明してくれた。僕にとって大事な公式になっています。ただ、それは自分の番組のディレクターである僕がちゃんと戦力になるように基礎を教えてくれたもので、「励ます」とは違う気がします。

お笑いをつくりたいと思ったら、「この人のこういうところがいいな」「これがものをつくるコツなんだな」と観察して、必要なパーツを持っている人から盗んで自分のものにしていく。そうやって自分が出来上がっています。

お腹が空いた時に食べたいもの、おいしいと感じるものは、実は体が欲しているからだと言いますよね。それと同じように、自分に必要なものを取りに行く。そのためには、自分が何に対して飢えているか、自覚的でなければいけない。

僕もいい歳ですから、「まあ、こんなもんでいいか」「あとは適当にダラダラ生きていけばいいや」と思ったら、そういう生き方もできるかもしれません。飢えもない、ほしいものもない。でも「死ぬまで面白いものをつくりたい」「もっと違うところまで行きたい」と思えば、取りに行く。人から盗みに行く。そもそも飢えていない人は、励ましの言葉を必要としていないでしょう。

テリー伊藤さんに言ったことがあります。「あの時の話、大事な言葉としてずっと自分の中にあります」って。そうしたら「え? 俺、そんなこと言った?」と言われました。自分でもありますよ。若い子から「あの時の言葉、励みになりました」「ずっと大事な言葉として残っています」って。でも覚えていないんです。そういうものですよね。本人は飢えて必死だから、目の前にいる誰かの言葉をパクパク食べて、血肉にしていくんです。

会社で社員研修だ、朝礼だってお膳立てされても、聞いちゃいませんよね(笑)。講義やセミナーを受けても、何も身につかない人だっています。でも、それを血肉にしてやろうと食うやつもいる。

いまはSNSがありますから、会いたい人にどんどんアプローチすればいいと思います。そういう意味では楽な時代ですね。僕のところにも「弟子にしてください」というメッセージがきます。こいつ面白いなと思えば返信しますし、食い下がってくれば、いくらでも質問に答えます。馬鹿だなと思ったらブロックしますけどね(笑)。特に若い人は、どんどんやればいいと思います。

やなさわ:いきなり励まされたことがないと言われて焦りましたが、非常に興味深い話でした。土屋さんは励まされたことがないとおっしゃいますが、テリー伊藤さんや欽ちゃんの話を勝手に切り取って励みにしたという風に聞こえますし、かつその励みになるようなキーワードを切り取るためには、励まされる側がそもそも飢えていないとできない。つまり、飢えていない人は、励ましの言葉を必要としていない。という法則があるのだなとも読み取りました。なるほどなー。

最初のコラムに書きましたが、尊敬する人に呼ばれた時、ひとりで行くのにおじけづいて同行者を連れて行きたいと言ったら「であれば、まだ時期ではないようです。またの機会にしましょう」と言われた。それは、僕がそこまで飢えていない、励ましを受け取る準備ができていないとその人は判断したのかもしれない。

つまり誰かを励ましたいという側の立場からすると、相手が飢えていなければどこまでいってもそもそも励ますことはできない。

だからこちらから勝手に励まそうということ自体がそもそも無理なんだなということもわかりました。どうでしょう?

土屋:あのコラムを読んで考えていたんですよ。俺は励まされる才能がないのかなと。やなさんは励まされる才能があるなと(笑)。

やなさわ:そうか、励まされる才能があるかどうかという視点もありますね。

土屋:やなさんってどっかでオープンマインドだと思うんですよ。僕はオープンマインドに見えないから、誰も励まそうと思わないのではないか(笑)。

やなさわ:「励まし方」の法則性を見つけていきたいけど、逆に励まされる作法というか「励まされ方」の法則性もあるということですね。本人が飢えていなければ励ましの言葉は届かない。だから、励ます側は、相手が本当に飢えているのか見極める。励まされる側は、自分を飢えた状態に置く。取りに行く。そうすれば誰かの励ましがきっと届く。励まされる気満々の人は励ましを受け取ることができるということですね。

何かさらに励ましに対するサイエンスが今回も深まったような気がします。ありがとうございました。

宣伝コーナー:
「面白法人カヤック社長日記」毎月更新中!
『面白法人カヤック社長日記 2015-2020年愛蔵版』絶賛発売中!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?