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励ましのサイエンス 其の13 石戸奈々子さんの場合

今回ゲストにお迎えした石戸奈々子さんは、NPO法人CANVAS理事長として、主に子どもを対象とした様々なワークショップを開催されています。多くの子どもたちと対話を重ねてきた石戸さんと一緒に「励ましのサイエンス」を考えてみたいと思います。

石戸奈々子:そもそも「励ます」ってなんだろうと考えてしまいました。たとえば、落ち込んでいる人に「頑張れ」と声をかけてはいけないと言われますよね。でも、そばにいて、話を聞いて寄り添うことはできます。それも「励まし」だと思いますが、今回問われている「励ます」はどこまでを指しているのだろうかとか。

やなさわ:なるほど。そもそも「励まし」の定義ですよね。

石戸:そうそう。「励まし」って、いろいろなフェーズがありますよね。子どもたちも、頑張れない時、頑張りたくても一歩を踏み出せない時、頑張っているけど不安だったり、行き詰っている時、さらに頑張りたい時。いろいろな段階がある。誰の「励まし」が届くのか、どの言葉や行動が届くのかは、その状況によって違うように思います。

たとえば落ち込んでいる人に元気になってもらおうとする時には、心の中にあるネガティブな感情をまず吐き出させてあげる声掛けが大事かもしれません。これから挑戦をしようとしているけれど一歩を踏み出せない人には、背中を押してあげる一言が大事なのかもしれません。さらに頑張りたい人は、やる気に火をつける叱咤激励の言葉を必要としているかもしれない。同じ言葉でも、その人が、どういうフェーズにいるかによって、捉え方や響き方は全然違うと思うんです。

「励ます」というのは、その人の心がより良い状態になるように、心のエネルギーレベルを上げる行為だと私は捉えました。

やなさわ:たしかに。同じ相手だとしても、エネルギーレベルによって、届く励ましの言葉は違うのかもしれませんね。

石戸:頑張れない状態の時だってありますよね。そんな時、どんな言葉をかけるかは試行錯誤を求められます。その人のつらさに可能な限り共感し、その人そのままを受容するように心がけています。そして、「頑張らないこと」を頑張ってほしいと思ってます。

やなさわ:石戸さんは、そんな風に励まされた体験はありますか?

「本当につらくなったら、頑張らないで帰っておいで」

石戸:そうですね、頑張れない時の励ましとして思い出すのは、大学を卒業してボストンに行くことになった時、卒論の指導教官に言われた言葉です。「本当につらくなったら、頑張らないで帰っておいで」と。

多くの人が「頑張ってね」「楽しんでね」と声をかけてくる中で、正直なところ、ちょっと戸惑ったんですよね。当時の私は、不安を感じていたわけでもなければ落ち込んでいたわけでもなかったから。その時の私にはあまり必要に感じる言葉ではなかった。でも、その言葉がずっと記憶に残っています。

「頑張って」というよりも「大丈夫だよ」という言葉が大きく響くことがある。それは「どんなあなたも受け入れるよ」「寄り添っているよ」という存在の肯定であって、何より大きな励ましなのではないかと思います。当時の私も、いざとなったら帰れる場所があるという安全基地をもらえていたからこそ、渡米後も常に心の安定を保てていたという可能性もあります。誰かの安全基地になること。もう頑張れない状態にいる人を力づけたいと思う時、ふと思い出すのが、その言葉です。

やなさわ:なるほど。

石戸:そして、がんばりたいけど一歩を踏み出せない時の励ましとして思い出すのは、進路に迷ったときのことです。CANVASを立ち上げる前。あるお誘いをいただきました。いわゆる王道な進路へのとても光栄なお誘いでした。形もないNPOを立ち上げるより「当然そっちがいいでしょ」とみんなに言われる。それこそ全員が「そちらがいい」と。

少し迷いが生じてしまった時、著名な経済学者の先生に言われた言葉があります。「奈々子さん、あなたは自分の中に、もう答えを持っているはずですよ」と。その言葉で迷いが消えました。自分が何をしたいのか、自分はどう生きたいのか。価値観は人それぞれで、それは他人が決めるものではない。自分自身にしか分からないもの。自分の心に素直に耳を傾けてみることで、自分が納得できる選択をすることができます。

進路相談などを受けることもありますが、その際には、いつもこの言葉を思い出します。それに対する答えは誰も分からない。だからこそ「こっちがいいよ」と断言するのは無責任と思います。判断する多角的なしかしフラットな情報を提示したり情報を整理したりするサポートをすることは心がけながらも、最後は自分自身で決められるように声をかけたいなと日頃から意識しています。それはそれで自分の心と対話し一歩を踏み出すための励ましの言葉なのではないかと思うのです。

やなさわ:なるほどなー。これまでお伺いした方たちは、何かしら迷いや不安があったり、未来が見えない時、つまり普段の自分よりもエネルギーレベルが低下して、ちょっと弱っている時、何らかの励ましを受け取っている。でも、エネルギーレベルの段階によって、さまざまな励ましの形がある。

石戸:そうですね。自分自身のこれまでを振り返ってみると、一歩を踏み出したあとに、取り組んでいることに不安を感じた時に勇気をもらった一言は「それはこういう可能性もあるよね」という取り組みを肯定した上で新たな視点をもらえた時かなと思います。これはよくあります。

行き詰まったり、あまり良くないことが起きた時に「それは、それはチャンスだね。」という一言。チャンス? とはじめは思ったけれど、自分が変われる、新たな取組にチャレンジできるチャンスだと。気持ちの切り替えの視点をもらえます。

それらを踏まえて、子どもの活動で言葉をかける時にも、ちょっと違う視点で褒めるというのは意識しているかもしれません。子供たちがやりたいことや目標を見つける、答えではなくきっかけを提供できるように。不安を感じたり、行き詰まっている時には、まず肯定した上で、新しい視点を模索できるように。

「励ましの4段階」フレームワーク 

やなさわ:今、すごくいいフレームワークをもらった気がします。その時のエネルギーレベルによって励ましのタイプは異なる。

(1)エネルギーレベルが低い時:「頑張らなくていい」「そのままでいい」という肯定が励ましになる
(2)一歩を踏み出す時:自分の内なるものを気づかせることが励ましになる
(3)踏み出してから:新しい見方や示唆が励ましになる

石戸:そうですね。さらに、一歩を踏み出して走り出してから、ギアを加速させてくれる言葉もあるので、四段階ですね。

たとえば私たちのこれまでの活動で、のべ50万人の子どもたちに参加していただいたという話をしていた時、「でも小中学生って1000万人いるよね」と言われたことがあります。全然足りないんじゃないか、もっとやることがある。そう思えました。とても大事な誰か一人が笑顔になることかもしれないし、日本が良くなることかもしれない。その規模はわからないけれど、あなたの行動で誰かが笑顔になる。そんな言葉があった時、私は、なんか、頑張るレベルを一段階上げられる。それもまた「励まし」だと感じます。

やなさわ:(1)の段階にある人にギアを加速させる言葉をかけても、却ってしんどいかもしれませんものね。

石戸:「50万人じゃなくて1000万人いるよ」と鼓舞してくれる言葉は、もう一歩頑張ろうと思わせてくれますが、そんな言葉を受け止める余裕がなくて、ただ寄り添ってほしい時もあります。

やなさわ:このフレームワークは、まさに「励ましのサイエンス」になる気がします。ありがとうございます。

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