出雲大社分社へ
今日は、妻と2人、
那覇市古島にある出雲大社の分社へ行って、
心願成就のご祈祷をしてもらって来ました。
すごい!ここだけ沖縄じゃないみたい。
びっくりしました。
"ウチナー"(沖縄)でなく"ヤマトゥー"(大和)を感じる場所でした。
沖縄に来てからこの二カ月、
僕にとって新しくもあり、また日本人の源流を感じるという意味で懐かしくもある"ウチナー"感の風呂に浸って来たので、
久しぶりの"ヤマトゥー"の風がとても懐かしく、
澄んだ冷氣のようなものを感じたのでした。
きっと、
ウチナーとヤマトゥーは根底に流れるものを共有しているはずですが、
それぞれに素晴らしいなあと今日感じたのでした。
ウチナーの拝所は、基本的に手を加えず自然のままの岩場や森の中の空間を神聖な場として人々が共有する"感覚"ですよね。
沖縄の人と一緒に暮らしていると、無意識のうちに、そういう感覚を自分も共有するようになります。
例えば、散歩なんかしていると、住宅街の中にそこだけ全く手の加えられていない森なんかに出くわします。ガジュマルの樹枝から髭が沢山垂れていて、それらが陰で空間を満たしているので、なかなかに"怖い"んですが笑
ごく当たり前に、そういった"畏怖"が転がっているのが沖縄だと僕は今のところ感じています。
何か大きな神様というよりも、
人格を持ったその場所その場所の神様。人間臭いというか、そういった"見えない"存在たちも幸わうような、カチャーシーが聞こえてくるような、、、そんな賑やかさ、うねりが空気に練り込まれている気がします。
久しぶりに、"ヤマトゥー"の拝殿に足を踏み入れて、とても清々しい気持ちになりました。
吐き清められた潔白さを感じる、清々しさ。
巫女さんの衣に象徴されるあの"白さ"
紙垂のあの"白さ"
また、拝殿の柱の素朴な男らしさ、
などを感じました。
前から感じていたことではあるけれど、
ウチナーとヤマトゥー両方を体験しながら自分の中で日本民族というものがこれから浮かび上がって来そうな気がしてとてもワクワクしています。
今は、"なんとなく"な感じで両者の関係性をぼんやり感じていますが、
きっとこれからその結びつきが己が内で一つ一つ明らかになってゆくんだろうなあ。楽しみ!
4月には、妻とのユニット"Dois : Pontos"で京都、奈良に演奏に行きます。その時に、奈良の古くからある寺社を訪ねるのが今から楽しみです。こうやって、ウチナーとヤマトゥーが自分の中で繋がっていくのはとても興味深いことです!
Dois : Pontos の話が出たので、
Dois : Pontos についても軽く書きます。
フルーティストであり妻のエマ・アルカヤと、ピアニスト、ギタリスト、ボーカリストである僕の2人によるユニットです。
ユニット名はポルトガル語。
Dois =2つ
Ponto=点
Dois : Pontos =2つの点
2つの点から出発して、どんどん点を打って打って、、、点と点が線で繋がってゆくというイメージを込めてこのユニット名にしました。
なぜポルトガル語にしたかというと、、、、
なんとなく二人の作り出す音楽空間をあらわす言葉の色が、英語ではなくポルトガル語がぴったりと来たからです。
また、音楽への向き合い方もブラジル音楽に多大な影響を受けている、ということもあります。
ローマ字表記で、
Dois : Pontos と書いたり、たまにひらがなで、
"どいしゅぽんとしゅ" と表記したりもします。
僕も妻も、日本的なたおやかな情緒を愛しています。
ポルトガル語の持つ角のとれた響きと、日本語の持つ柔らかな響き、どこか共通点を感じるし、
ブラジル音楽が作り出す音楽空間が持つ「和」は、
日本人が民族的に心根に抱いて来た「和」とも共通すると感じます。
ブラジルでは、サンバのセッションのことを"roda de Samba" と言うみたいですが、
この"roda" がまさに"輪"を意味するのです。
直訳すると、「サンバの輪」。
YouTubeなどでroda de Samba の動画色々観れますが、
ジャズのセッションにある「バトル」的な空気が全くないんですよね。(ジャズのセッションも大好きです)
個々それぞれに音楽を楽しんでいるのだけど、
かつバラバラでなく、聴衆も含めてみんなの存在が有機的に繋がっているような、、、、。
行ったことはないし、これから行きたいんだけど、
そんな動画を観る度に、
"恐るべき国やなブラジル、、、"という想いを禁じ得ません。
僕たちDois : Pontos の音楽にも、二人の音楽を通してあの、個々の有機的な繋がり、和が空間に生まれることへの憧憬が練り込まれています。
また、
Dois Pontos とは通常、
記号「:」( Colon) を意味するようで、
"Colon" =匂い
とも意味をかけています。
日本語の古語「にほひ」は、
単に嗅覚的なことに留まらず、モノや人から"感じる"ふんわりとした佇まい、えもいわれぬ魅力などを表現したい時に使われていたそうです。
世界に偏在する"詩" はたしかに"にほひ"ます。
文章を見た時、その字の並び、文章が持つリズムが"にほひ"ます。
それは、
"聞こえてくる"ことともどこか通ずるかもしれない。
風韻という美しい言葉が日本語にはありますが、
そのような感じで、
部分を、見る目で「見よう」としても見えないが、
聞く耳で「聞く」と、
また、漂う香りを嗅ぐように「嗅ぐ」と見えてくるようなもの。
それを音楽の中でも僕たちは大切にしたいと思っています。
だから、縁に導かれて行った土地土地の匂いを感じていくことが僕たちにとって大切なことだと感じています。
4月に奈良や京都へ行くのも本当に楽しみです。
奈良との縁は不思議でした。
僕と妻が一緒になる前、
金沢と沖縄離れているので、デートをするには中間地点がいいということで、
なんとなく奈良を選んだんです。
もう秋でしたが盆地だからか粘っこい暑さでした。
あまり長居は出来ず、
明日香村辺りを散策する程度にとどまったのですが、、、、
なんと二人結婚してから再び不思議な縁で明日香村に行くことになるんですよね。
金沢の老舗ライブハウス、もっきりや さんでDois : Pontos のライブをやった日のことです。
たまたまご旅行で訪れて店の扉を開けたというご夫妻。
僕らの演奏に心から感動してくれ、
うちによく演奏家を招いて演奏会をやっているのだが、来てくれないかという話になって、
是非!行きたいです、ということで聞いてみるとなんとこのご夫妻が奈良の明日香村で、私邸を使って演奏会をしているということだったのです。
縁ですね。
accord kaguyama さんという、お店ではないのですが、喫茶店のような非常に素敵な空間です。
あれから二回行っています。
次は三回目。
奈良に導かれてますね〜。
次は京都のギャラリー、カフェでも演奏することになっています。
"ヤマトゥー" 文化圏の中心地に縁が出来て、行けるというのは本当に嬉しいことです。
これからも縁ある場所に点を打って、どんどん縁が繋がっていくのが楽しみですね。
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今日は出雲大社の分社に行ったのだけれど。
先日たまたま本屋で見つけて買ったのがこれまた出雲の文化に触れる本。
出雲は出雲でまた関西とは異なる日本の文化の源流を感じれる場所な気がします。
妻と二人、
近々、本社にも行きたいね、と話したのでした。
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